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神様の主権

こんにちわ~

今日も一日、無事終わりましたホッコリほっ・・・


今日も旧約聖書のヨブ記を味わいました

33章の8~13節を味わったんですが、この箇所、とっても考えさせられました。



ここにあなたの過ちがある、と言おう。
神は人間よりも強くいます。
なぜ、あなたは神と争おうとするのか。
神はそのなさることをいちいち説明されない。
ヨブ記33:12~13


ぼくたちは何か問題が生じ、それが解決されず、苦しい中にあるときって、「神様、どうしてですか!!!」って呻き、言うんじゃないのかなって思います。

でもね、このエリフのヨブに語っている言葉、うーーんって考えさせられちゃいますね。

だってね、「神はそのなさることをいちいち説明されない」って、確かにそうなんです。


「説明責任」っていう言葉、ありますよね。

ヨブが神様に訴えているのは、この説明責任です。

「どうしてこんな苦しい状態にあるんですか?」ってね。


でも、神様にその責任ってあるのかなっていうと、無いんですよね。

だって、神様はご自分の他、誰に対しても責任を負っておられませんからね。


そして、神様は私たちよりも強く、偉大なお方です。

全知全能である神様は、ご自身の責任において、すべてのことをなさいます。


そして、忘れてはいけないのは、神様は決して不誠実でも、不正義でもありません。

すべてのことは、神様の主権をもってなされることであり、私たちの指図は決して受けるお方ではありません。

だって、私たちより神様は遙かに偉大なお方ですからね。


だからね、すごくこのことば、考えさせられたんです。

ぼくたちは、目の前の状況だけを見て、一喜一憂し、おろおろしてしまいます。

でもね、そういう中で私たちがすること、それは、神様に文句を言うんじゃなくて、神様の主権にお任せすること。

そして、この状況の中で、一歩退き、神様に治めていただくことなんですよね。

そのとき、何とかしようと頑張ると、逆に空回りしちゃいます。

そして、神様の主権にお任せしないかぎり、神様は沈黙し続けます。

どんなに大きな声でお祈りしても、いっぱい奉仕をしてもです。

これ、ぼく自身が経験したこと、もがいても、努力しても、神様は沈黙のままでした。


苦しければ苦しいほど、神様に心の目を向け、主のなさることに信頼を置く者でありたいです。

神様のなさることに信頼する、これが本当に大切なことですよね。



祝福を祈ります。

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~



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イエス様の祝福が豊かにありますように。

キリストの愛を込めて。。。


Comment

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質問

初めまして。ブログ拝見しました。
初めてコメント致します。

ヨブ記・・・私の好きじゃない箇所です(笑)ヨブ読むと
自分の事のように感じたり、神様って意地悪!とどうしても思えてしまいます。

質問なのですが、何故神様に説明責任がないのですか?
御自分の他、誰に対しても責任を負っておられないとは
どうゆう意味ですか?

  • Bell
  • URL
返信有難うございます

何とな~くですが、腑に落ちましたi-234
確かに、自分が「主」になっていることがあるかも
しれませんi-230何故?というところに
本当の答は無いのだと頭の何処かでは解っていても
やはり、何故ですか?と主を責め立てている自分に
気付くことがあります。

  • みのん
  • URL
Re: 質問

コメント、ありがとうございます。
とっても嬉しいです。

ヨブ記、そうですね、ヨブの立場に立つと辛いですね。。。

神様の説明責任のことですね。
今、特に「説明責任」という言葉が世間を賑わしていますね。
これ、今に始まらず、昔からなんですけどね。
だから余計に「どうして神様は説明責任がない」と思ってしまいますよね。

でも、この「説明責任」、わかるようでわかりにくい言葉だとも思います。
この説明責任、政治にしても、企業にしても、すべての面で求められていますよね。
英語ではアカウンタビリティーと言って、社会に対して説明する義務があるということです。

では、この説明責任、誰に対して説明する責任があるのでしょう?
そう、社会、もっと具体的には私たちにですよね。

ではどうしてその責任があるのでしょう?
それはそのことが正しいかどうか、どうしてそうしなかったのか、この問題に対してどうして適切な対応をしなかったのか、私たちが検証するためですよね。

では、それを神様に適用すべきかということです。
「神様、あなたはどうしてこのときあの問題に答えなかったのですか?一生懸命祈ったのに無視したのですか?
このことに対して説明する義務があります」

神様に説明責任を求めるというのは、こういうことなんです。
そして、説明責任を求めている私たちは、神様よりも上に立っていますよね。

神様は全知全能なお方、誰にも頼ることもないし、すべてを治めておられるお方です。
だから、ご自身がなさる事に対して、誰に対しても責任はないのです。

それは神様は無責任だということでは決してありません。
神様は義なるお方、だから神様のなさることはすべて義であり、私たちのちっぽけな頭脳ではわからないです。

そして、神様は決して意地悪なお方ではありません。そして愛に満ちたお方です。
だから、説明責任を神様に求めるよりも、そこに信頼を置き、少しずつ少しずつ目に見える状況から天的な状況、つまり神様の愛、神様の義を見上げることなのではと思います。

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