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救いに至る唯一の道

こんにちわ~

今日も無事終わりました。ほっ

そして今週もこれでおしまい、主よ、感謝します。



前回に続いて、今回もみことばの分かち合いをします。

ヨハネの福音書14章からです。



ヨハネ14:5~7
トマスが言った。。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか。」

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。

あなたがたがわたしをしっているなら、わたしの父をも知ることになる。
今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」



トマスの発言ですが、これはその前の節でイエス様が言われたことを受けて、トマスが語ったことばです。

わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている(4)


トマスは全然わからず、イエス様がどっか別の地方に行かれるのかなって思って、それで質問したんでしょうね。

これ、トマスだけじゃなくて、弟子たち全員そうでした。

イエス様はこれから十字架にかかり、3日後に復活するということを語られています。

だけど、弟子たちはそのことを理解するどころか、記憶から完全に抜けちゃっているんです。


これは、イエス様が復活され、彼らに会うまで続きます。

だって、イエス様は復活してガリラヤに行くと弟子たちに語っているんですが、イエス様が言われた3日後にガリラヤに行った人は一人もいません。

女たちがイエス様が復活されたって伝えても、「ふん、女の言うことなんて。。。」ってそっぽを向いて、聞く耳持たずです。

ごめんなさい、これはこの当時の一般的なユダヤ人の考え方であって、女性蔑視でもなんでもありません。


弟子たちは本当に情けないなぁって、他人事で思っちゃいますが、でもこれ、ぼくたちも気をつけなくちゃ、似たようなこと、やっちゃうと思います。

弟子たちはイエス様の語られたみことばをそのまま受け取れませんでした。

私たちは聖書のみことばに真剣に取り組んでいるんだろうか、みことばにどれだけ信頼し、みことばに立っているんだろうか。。。

うーん、考えさせられますね。



イエス様はそんなトマスを叱りつけるんじゃなくて、すごく大切なことをおっしゃいました。

わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(6)


これ、イエス様の神性宣言です。

イエス様こそは真理そのものです。命です。

私たちの進むべき道はイエス様です。

イエス様は真理であり命なるお方、このお方が肉体を持たれ、そして十字架にかかりました。


そして、イエス様が十字架上で「完了した」(30)って言われ、息を引き取られました。

「完了した」(新改訳)、「成し遂げられた」(新共同訳)は、原語では「テテレスタイ」っていう言葉が使われていて、これは商売用語で、借金はすべて完済したっていう宣言をするとき「テテレスタイ!」って使う用語なんです。

イエス様は一般庶民が使う言葉を使い、私たちの罪という大きな借金は完済し、もう借金は一切無いって宣言されたんです。


だから今、私たちはイエス様を通して、天のお父様のもとに行くことが、大胆に行くことが出来るようになりました。

だから、お祈りするとき、「イエス様のお名前によってお祈りします」って祈りの最後に言うんです。

これは、とりあえずお祈りの最後に言う言葉じゃないです。

これ、とっても大事なこと、神学的には、お祈りは、天のお父様にします。

だから、祈りの冒頭に「天のお父様」って言いますよね。

これも祈りの最初の決まり文句じゃないですよ。

そうじゃなくて、ぼくたちはイエス様を通して、天のお父様にお祈りしているんです。


イエス様が十字架上で私たちの罪がすべて処理され、無くしてくださるまでは、天のお父様のもとに行くことは、つまりお祈りすら出来ませんでした。

それが今や、「お父様」って、イエス様を通して天のお父様とお祈りすることが出来るようになったんです。



ぼくたちの救いはイエス様のみです。

イエス様以外には真理はありません。

世の中、いろんな宗教がある、だから宗教間で仲良くし、世界平和のために共に愛し合い、受け入れ合いましょうって、言う人たちがいます。

でも、キリスト教はそういうふうに他宗教を受け入れたり、他の真理も認めるということはしません。

排他的と言われてもです、妥協は絶対に出来ないんです。


それはどうしてかというと、イエス様のみが道であり、真理であり、命だからです。

イエス様以外の道を通って救いに至るということ、罪が完全に赦され、処理され、天のお父様のもとに行くことが出来るって無理です。

イエス様以外に父なる神様のもとに行く道はありません。


イエス様だけが唯一の救いの道です。

この道を歩み、みことばを愛し、慕い求める歩みを来週一週間もすることが出来ますように。。。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~

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Comment

  • ピーちゃん
  • URL
No title

年を重ねると、学ぶことも多いし、反省させられることも多々あったりします。
信仰生活も、聖書がどれだけ大切か、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めるようになります。
形ではなく、中身でしょうか。
守るのでなく、なければならないのではなく、本質が大切だと理解できます。
年を重ねて主の恵みの深さに感謝しつつ。
聖書は素晴らしいですね。

  • みのん
  • URL
Re: No title

ピーちゃんさん、こんにちは。ご無沙汰しています。
コメント、ありがとうございます。とっても嬉しいし、心から感謝します。

>年を重ねると、学ぶことも多いし、反省させられることも多々あったりします。
信仰生活も、聖書がどれだけ大切か、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めるようになります。

⇒アーメン、本当にそうだと思いますし、すごくよくわかります。
年齢を重ねる度に、みことばの重要性を痛感しますし、みことば以外のものを第一にしたらと思うと、すごく怖いです。

形では無く中身、本質が大切、本当にそのとおりです。
聖書を学ぶ中でいろいろなものがそぎ落とされ、本質以外のものが如何に多かったか、痛感します。
それと共に自由にされています。

聖書は本当に素晴らしいし、みことばに養われることの重要性、本当に感謝ですね。

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