安息生活の勧め♪

こんにちわ~

今日も無事一日が終わりました。

主よ、心から感謝します



今、ひとつのみことばが心にあります。

それは、ヘブル人への手紙4章10節です。



☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えられて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○



「神の安息」

ぼくたちは、既に神の安息に既に入っています。

だってね、福音の三要素、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかれたこと、死んで墓に葬られたこと、三日目によみがえられ、今も生きて働いておられること、この三つの出来事を信じ受け入れ、そこに信頼を置いて生活しているなら、救われています。

救われた人は、もう既に神の安息に入っているんです。


じゃぁ、神の安息に入っているなら、神様が、創世記1章、2章に書かれてあるとおり、天地創造の業を6日間で終え、7日目に休まれたように、救われた私たちもまた、自分のわざを終えて休むはずだっていうことを、このヘブル人への手紙の著者は言ってるんです。



でね、この10節のみことば、「神の安息」なんですが、3つにわけることが出来ます。

1、過去の出来事
上にも書きましたが、第一コリント15章3~4節のみことば、

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

この三つのこと、これを「福音の三要素」っていうんですが、この福音の三要素を信じ受け入れ、そこに信頼を置いた瞬間に、私たちの罪は赦され、取りのけられ、完全に自由にされました。

そのことを私たちは「救われた」っていうんです。

ヘブル4章3節にはこうあります。
信じた私たちは安息に入るのです。

この福音を受け入れ、救われた私たちは、もう神様の安息に入っている、過去の出来事なんです。


2、現在の出来事
私たちは信仰によって歩み、神様を第一にし、信頼する歩みをしているなら、そこには神様の安息があります。

たとえ試練の中であったとしても、病に伏せっていたとしても、神様に信頼をおいた歩みをしているなら、私たちの内には、神様の安息があります。

昨年末のことですが、ある姉妹が癌のために亡くなりました。

晩年は骨に転移し、寝たきりになり、体中が痛くて痛くて、それは壮絶でした。

しかし、そういう中で、寝たきりになってから、彼女は口癖のように「私は世界一の幸せ者だと思います」ってお祈りする度に言っていました。

状況は真逆ですよね。でもこう言わしめているもの、それは「神様の安息」を味わい、体験しているからです。

状況に振り回されない安息、それが「神の安息」なんです。


3、将来の出来事
本当の意味での安息って、天の御国での時です。

そして、将来、イエス様が王として再臨され、この世を千年間治め、その後、新天新地といって、新しい天と新しい地が再創造され、永遠の秩序が回復された時に与えられます。

これが究極の安息で、救われた私たちはその恵みに必ず将来与ることが出来るんです、ハレルヤ!


だからね、さっき紹介した姉妹も、地上生涯では乳がんや肺がん、そして骨にまで転移し、壮絶な生涯でしたが、今は神様の安息を味わい、堪能しているんです。

しかも将来、完全な体が、栄光の体が与えられ、肉体をもってよみがえり、罪や病が全くない状態で「神の安息」の中を生き、生活することとなるんです。


これが神様がぼくたちに約束されている安息です。




☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○


ぼくたちは今既に神様の安息の中に入っています。

じゃぁ、神様の安息に入った私たちは、日々の生活の中でどうすべきか、それは「自分のわざを終えて休む」んです。

どうやって?

それは、「自分のわざを終え」、つまり自分のわざ、行いを終わらすことによってです。

一生懸命がんばって神様を喜ばせようとしたり、信仰生活を努力して獲得しようとすることを止めて、「休む」、つまり神様に信頼し、神様にして頂くという信仰生活を送るんです。



ぼくたちは、なんか頑張って、努力して、「イエス様のために~!」ってやりたくなる傾向があります。

でも、聖書はそうは進めていませんよね。

「自分のわざを終えて休む」

これが信仰生活の土台であり、中心です。


たしかにサタンとの戦いは時に苦しいですし、誘惑はいつもありますから、目を覚ましている必要はあります。

だから、誤解してほしくないのは、休むって言っても、自分は何にもしないで「神様、よろしく~~~」っていう意味じゃないですよ。


そうじゃなくて、神様に信頼し、依り頼み、自分のわざを卸し、安息の生活をする。

それは、神様に信頼しているからこそ、これをやらなきゃ神様に喜ばれないとか、神様のために何かしようという動機からじゃなく、たとえ何も出来なくても愛され、受け入れられているから、今、与えられていること、任されていることを神様に信頼して行うということなんです。


「自分のわざを終えて休む」

安息生活、そこには力みとかないですよね。

クリスチャンライフって本来楽しい筈なんです。

その姉妹が言った「私は世界一の幸せ者です」っていう言葉、これがクリスチャンの恵みであり、醍醐味なんです。


今年一年、安息生活、実践していきたいですね。

主に依り頼みながら。。。


でわでわ~

関連記事
 ご訪問下さり、お読みくださり、ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」や励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ


イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。



0 Comments

There are no comments yet.

Leave a comment