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信仰の競走を走り続ける秘訣

こんにちわ~

今日は寒いです。

そして、明日の夜は雪

今週はとってもとっても寒い一週間になりそうですね。

風邪引かないように気をつけなくっちゃ


さてさて、今日はみことばの分かち合い、しますね。


☆★○☆★○☆★○☆
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。
あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような犯行を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。
(ヘブル12:1~3)
☆★○☆★○☆★○☆


ここ最近、ヘブル人への手紙を味わっています。

で、このヘブル12章、ほんとに奥が深いです。

あぁ、こんな意味だったのか、こんなことをこの手紙を書いた人は伝えていたんだ~って、その恵みがわかるたんびに「目からうろこ」状態です。


多くの証人たち


「多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いている」

この「多くの証人たち」って誰のことかというと、信仰の忍耐を発揮した信仰者の先輩方のことです。



この手紙の読者である人たちは、ユダヤ人でメシアニックジューと言われているイエス様を救い主として受け入れた人たちです。

しかし、救われたのはいいんですが、その結果、もの凄い迫害に遭ってしまいました。

だから、彼らは心が揺れ動いています。

それは、このままメシアニックジューとして歩むべきか、元いたユダヤ教に戻るべきか。。。

そういう状態の人たちでした。


そんな彼らへの励ましがこの12章の前提にあるんです。


彼らと同じように迫害を受けた信仰者の先輩方が、今迫害の中で苦しんでいるこの時のメシアニックジューの人たちを取り巻いているんだっていうことを著者は言ってるんです。

その人たちはどういう人たちだったのか、それについては11章に書かれています。

たとえばアベルやアブラハム、モーセ、ダビデなど、旧約聖書に出て来る人たちです。

その人たちが取り巻いている、だから彼らのことを思い出しなさいっていうのが、ここで言っていることです。



忍耐を持って走り続けよう


ここで著者は、クリスチャン生活を陸上競技に例えています。

その競技を見ている人たちがいます。それが迫害の中を通った既に天に召された信仰の諸先輩方です。

彼らは傍観者じゃなく、クリスチャンが見習うべき手本です。

その彼らを見て、忍耐を走り続けようって言っています。


陸上競技をするとき、たとえば重いリュックを背負って走ったりしないですよね。

同じように、重荷とまつわりつく罪を捨てて、身を軽くして走り続けるのです。


重荷
「重荷」ってありますね。

この重荷って、たとえば物質主義だとか、怠惰な生活だとか、誤った人間関係だとかです。


まとわりつく罪
では今度は「まとわりつく罪」って何でしょう?

まとわりつくんだから、あらゆる罪ですよね。

でもね、その中の筆頭は不信仰の罪です。

イエス様を進ぜず拒否する歩み、これが不信仰です。


罪を捨てる
この「罪を捨てる」っていうのは、古い衣を脱ぎ捨てるっていう意味です。

これまでの罪や重荷などを脱ぎ捨てて、身と心を軽くし、この信仰のレースを走り続けるんです。


終わりが設定されている

1節に「自分の前に置かれている競走を」ってありますよね。

この「自分の前に置かれている」って何でしょう?

それは、神様の栄光であり、その栄光の中で私たちは栄光の体、もはや罪そのものが取り除かれ、罪を犯すという概念が取り去られた栄光の体に変えられ、神様のその栄光の中で憩うその時のことです。


終わりは設定されています。そう、神様にです。


この地上生涯って、訓練なんです。

それが試練なんですけど、この試練は、私たちを栄光の体に変えるために必要なことです。


ぼくたちの歩みって、苦しいこと、辛いこと、いっぱいありますよね。

泣きたくなるようなこともあります。


でもそれは一時的。終わりが設定されています。

そして、そのために必要なことなんです。



信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい


イエス様こそ信仰の創始者です。そして完成者であられるお方です。

このお方から目を離さないようにしなさいって、この手紙の著者は言っています。


イエス様は神様なのに、その立場にしがみつかず、私たちと同じ人間となられました。

そして、忍耐して耐え忍び、十字架にかかられ、墓に葬られ、三日目によみがえり、そして天のお父様の右に着座されたお方、それがイエス様です。

イエス様こそ信仰のレジェンドです。

一番の先輩であり、レジェンドなんです。

そのイエス様にも終わりが設定されています。

それは喜びです。

それは、父なる神様の右の座に座られることです。

その祝福のために、33年半の地上での苦しみを耐え忍ばれたんです。


そのイエス様を見つめ、目を離さないこと、それが私たちの信仰の競走で勝利を得る唯一の方法です。


イエス様は今、父なる神様の右の座に座られましたが、今、大祭司となられ、私たちのためにとりなし祈ってくださっています。

そして、私たちがイエス様から目を離さないよう、とりなし、励まし続けておられるんです。


私たちは愛されています。

この地上での試練、それは、実は神様から愛されているからなんです。

だから、その苦しみのただ中で、イエス様を見上げるんです。

その時、力が与えられ、平安で満たされます。


いつもイエス様を見続け、イエス様に信頼し、依り頼んで、この信仰のレースを走り続けたいです。

主に愛されているから。。。


じゃぁね~




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