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私たちに与えられた隠れたマナと白い石

こんにちわ~

新約聖書の中に「イエス様からの手紙」があるの、知ってます?

パウロの手紙、ありますよね。ヨハネの手紙もありますよね。ペテロの手紙もね。

じゃぁ、イエス様の手紙は????

実はあるんです。これ、福音書のことじゃないですよ。


ヨハネの黙示録2章1節~3章22節までの箇所、実はこれ、イエス様の7つの教会に宛てた手紙なんです。

ただこれ、イエス様が語られて、それを御使いが書き送った手紙なんですが、実際は御使いは代筆で、イエス様が書くようにと言われて語られた内容をそのまんま御使いが書いた手紙です。


何れ、この7つのイエス様の手紙について、ブログに書きますね。

今日はその中から教えられたことを分かち合います。


黙示録2章17節、これはペルガモンといって、エーゲ海から約25キロメートル東にあった町なんですが、そこの教会に宛てたイエス様からの手紙の中の一部です。

といっても、結論で、イエス様の約束がその内容です。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。
勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。
また、白い石を与える。
その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

このペルガモンって強烈なところで、裕福な町なんだけど、偶像礼拝が蔓延していて、罪に満ちていて、クリスチャンがその中で暮らすのは、とても戦いがありました。

しかも、教会の中にまで、この罪の流れが入り込んできたんです。

その中には性的な堕落を伴った偶像礼拝も含まれています。

だから、「クリスチャンは自由なんだから、そんな堅いこと言わなくても大丈夫。イエス様、優しいお方だから、赦してくださるし♪」って、こんなノリだったんでしょうね。

そして、悪の流れが教会の中に入り込み、大変な状態でした。



そういう中で、イエス様はペルガモンの教会の人たちに「悔い改めなさい」(黙示録2:16)と勧めました。

そして、さっき、上に上げた17節のみことばです。

そういう罪の流れの中で、イエス様に留まり、罪を拒否し続ける者には、二つのものを与えるって、イエス様は彼らに約束されたんです。


それは何かというと、隠れたマナと白い石です。

この「隠れたマナ」って何かというと、このマナはイエス様の型です。

つまり、隠れたマナを食べることが出来るというのは、栄光の御座におられるイエス様を通して、点のお父様と深くて親密な愛の交わりが与えられるということです。

ぼくたちには、隠れたマナがあるんです。

これは、世の中の人が決して得ることが出来ないもので、最高のものなんです。

周りを見ると、苦しいこと、悲しいことがいっぱいです。

嫌になることもいっぱいあります。

でも、目を天に向けるとき、そこにはイエス様がおられ、両手を広げて私たちを迎え入れてくださり、イエス様を通して天のお父様とも深い深い愛に満ちた交わりを持てるんです。

クリスチャンじゃない人はそれを体験したことがないから、隠されています。まさに「隠れたマナ」ですね。

でも、ぼくたちはもう体験済みです。

ぼくたちの歩みの中で、激しい嵐の中にあっても、揺るがされないのは、そのただ中で隠れたマナが与えられているからなんです。

ぼくたちはそれを持っている。クリスチャンってそういう存在なんです。



そして、「白い石」なんですが、これは当時の文化を知らなくちゃ、何のことかわかんないですよね。

だって、白い石って、たとえば海に行けば浜辺に白っぽい石はあります。

また、囲碁の碁石も白ですよね。


実はね、旧約聖書の時代の裁判では、無罪のしるしとして被告人として立たされている人に、その人が無罪だという証拠として、白い石が渡されたんです。

だからね、白い石が与えられたというのは、罪が赦され、もう無罪とされているというしるしなんです。

ぼくたちはイエス様の福音を信じ受け入れた瞬間にこの白い石が与えられたんです。



そして、ローマ時代には、競技会、今でいうオリンピックがありました。

今は、勝者には金メダルとか銀、銅メダルとかが与えられたのですが、当時はそうじゃないんです。

白い石が与えられたんです。

その白い石、何の価値があるのかというと、当時、勝者が参加することが許される宴会があり、その宴会に参加出来るしるしがこの白い石だったんです。

だから、その白い石さえあれば、勝者のための宴会に、その白い石を見せれば参加出来たんです。

ぼくたちは、勝者として与えられた白い石を持って、天で開かれる大祝宴に参加することが出来るんです。



さら、この白い石、主人が客を歓迎するしるしとして与えられるものなんです。

ここでは、神様に受け入れられたしるしとして、私たちに白い石が与えられたんです。



で、この白い石、ただの石じゃないんです。

17節の後半には、「その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている」とあります。

ということは、罪許され、新しくされた私たちの名前がこの白い石には書かれているんです。

私たちは神様に受けいられ、神の家族の一員と数えられ、天の宴会に参加出来るしるしが与えられているんです。

こんな凄い特権が私たちには与えられているんです!!


ぼくたちが罪赦され、救われたということ、クリスチャンとなったということ、これはもの凄いことなんです。

そしてこれは当たり前のことじゃなく、恵みなんです。

だって、ぼくたちは本来、救いとは全く関係のないところにいた者たちですからね。

そんな私たちが救われ、クリスチャンとされたということ、これは本当に恵みであって、ただただ神様に感謝なんです。


クリスチャンってほんと、凄いですね。

ぼくたちに与えられている隠れたマナと白い石。

救われたことで、今、最高級のマナを味わい、そして将来、ぼくたちがこの地上生涯を終え、死んだ後、天の大宴会でイエス様と直接お会いし、最高の祝宴を堪能出来る恵みが約束されています。

だって、ぼくたちには白い石がもう既に与えられていますからね。


ぼく自身そうですが、苦しいこといっぱいありますね。

逃げ出したくなることもいっぱいあります。

悲しいこともいっぱいです。

でも、そんな苦しいただ中で、ぼくたちには隠れたマナが与えられているんです。


詩篇23篇5節にこうあります。

私の敵をよそに、あんたは私の前に食卓を整え、頭に香油を楚々いて下さいます。

神様はこういうお方です。

さあ、今日も最高級のマナを堪能し、お腹いっぱいになるまで味わいましょうね。

ハレルヤ、感謝します


じゃぁね
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