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結婚を通しての関係

こんにちわ~

今日も無事終わりました

今日は何を書こうかなって思ってたんですが、YouTubeを見ていて、これについて書こうと思ったので、それについて、というか、感じたことを補足的に書こうと思います。





これ、「聖書入門.com」というハーベストタイムから発信している動画サイトからのもので、「3分間でわかる!聖書」というシリーズで、キュー○ー3分クッキングみたい(笑)なんですが、短い時間でよくまとめられて、とてもわかりやすいです。


で、今回のテーマは、「婚前交渉はなぜいけないのですか?」という質問に対する回答です。

ぜひ動画を観てくださいね。とってもわかりやすく、聖書から語られていますからね。


創世記2章24節
それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。

神様は私たちに結婚という制度を与えてくださっています。

それは単なる紙切れで結ばれる、そのようなものではありません。

だってね、人類最初の夫婦であるアダムとエバ、まっこの時はまだエバという名前が与えられていないので「女」なんですけどね。

この二人に上のみことばが語られています。


この二人の結婚は、何時だかわかりますか?

そう、神様がアダムを造り、そのあばら骨からアダムの助け手として女を造られ、ふたりは結婚へと導かれました。

アダムは女に「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから」(創世記2:22)と語り、喜びました。


おわかりと思うんですが、この時って、まだアダムが罪を犯す前ですよね。

まだ地上に罪がなく、ふたりとも服を着ていなくて裸だったんですが、恥ずかしいと全く思わなかったんです。

その時に、ふたりは結婚し、神様は「男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる」って語られたんです。


だから結婚って、罪の結果出来たもんじゃないんです。

本来、祝福に満ちたものなんです。


それとね、聖書はイエス様と私たちクリスチャンの関係を花婿と花嫁という形で語られています。

イエス様は花婿で、私たちクリスチャンは、それが男であっても女であっても関係無く、花嫁なんです。

イエス様はヨハネの福音書で、こう語られています。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆
あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしがいるところに、あなたがたもいるようになるのです。
ヨハネ14章1~3
☆★○☆★○☆★○☆★○☆

イエス様は私たちの罪のために十字架にかかり、死んで墓に葬られ、三日目によみがえりました。
復活されたイエス様は天に上げられたんですが、今も生きて、今は大祭司として私たちのためにとりなし祈っていてくださっています。

このイエス様が将来私たちを迎えに再び来てくださいます。

そのとき、既に死んだクリスチャンの人たちはこの地上でよみがえり、天に上げられます。

そしてその時生きているクリスチャンも、そのまま天に上げられるんです。

これを携挙っていうんですが、私たちが住む場所が整えられたら、イエス様が私たちを迎えに来てくださり、私たちクリスチャンは天に上げられ、空中でイエス様とお会いするのです。

そして、天に上げられた後、イエス様と私たちクリスチャンとの結婚式が待っています。

その後、この地上では7年間の大患難時代に入り、7年後にその時に生きているユダヤ人全員が悔い改め、イエス様に助けを求めたとき、イエス様は再びこの地上まで戻って来てくださいます。

これを再臨というんですが、イエス様はエルサレムに戻られ、その後、千年間、イエス様はこの地を王の王として統治されます。

そして、なんとその時、私たちとイエス様との披露宴が催されるのです。

それはものすごい規模で、想像を絶する至福の時なんでしょうね。

これが聖書の約束で、私たちクリスチャンは、イエス様が迎えに来てくださることを心待ちしています。



さて、実は結婚、そして夫婦生活って、このイエス様と私たちとの結婚の型であり、前味わいなんです。

私たちの結婚、そして夫婦生活を通して、神様と私たちの関係を味わうことが出来る、これは大きな恵みだと思います。


だから、結婚って、よく言われる紙切れ一枚で束縛されたくないとか、結婚なんてどうでもいい、二人が愛し合えばそれでいいじゃんって、そういう問題じゃないんです。

結婚を通して、神様は私たちを整え、祝福しようとされています。

だから、結婚は大切だし、独身の賜物が無いのなら、結婚について祈るべきだと思います。



で、長々と結婚について書きましたが、この結婚という枠組みの中で、性行為を神様は与えてくださっているんです。

セックスはネガティブに考えるべきではないし、私たちを喜ばせるためのプレゼントです。

そして単に子作りのためだけじゃないです。

セックスを通して、夫婦がお互いをいたわるようになり、まさに心も体も一つにされるんです。

でも、無秩序に「お互いが愛し合っていればべつにいいじゃん」ってセックスすること、これは神様を悲しませる行為であり、そこには真の祝福はありません。


これ、今に始まったことじゃないんですが、クリスチャンの中にも、残念ながらセックスに対して軽く考える人も意外と多くいます。

でも、クリスチャンは心の中で、婚前交渉はいけないっていうことはわかっています。

でも好きになったらしょうがないって、割り切って、セックスをする、これが実態だと思います。


ある人から聞いたんですが、未信者の人に相談し、まだ関係を持っていないっていうことを話したところ、その人にびっくりされ、「あなた、そんな、もし相性が悪かったらどうするの!!!結婚してからじゃ遅いんだからね!」って言われ、「たしかに。。。そうだなぁ~」って心揺らいだっていうことを教えてくれました。


この世の価値観からしたら、いちいち結婚するまでセックスをしちゃいけないなんてあり得ないことで、愛し合ったら当然する自然な行為ですよね。

聖書の価値観とは真逆なんです。

そして、動画の冒頭でも言っていましたが、この世の価値基準は神様じゃなく、「私」です。

自分が、自分が、自分が喜べば、自分がいいと思えば、これがこの世の中の価値基準です。

でも私たちクリスチャンの価値基準は神様です。

神様が悲しまれること、神様が忌み嫌われることをしてはいけません。

だから、未信者の人たちの意見に左右されるべきじゃないんです。



じゃぁ、問題は、クリスチャンで、過去、お付き合いをしている中で性行為をしてしまった場合、どうなんでしょう?

神様は怒って、離れちゃうんでしょうか?

そうじゃないですよね。それでもその人を愛しておられます。

だから、神様を悲しませたことを悔い改め、そこから離れることです。


そして、「私は大丈夫!」、そう過信しちゃだめです。

イエス様が十字架にかかる前、ペテロも同じようなこと言ってましたよね。。

私たちは男であっても、女であっても、弱さを持っています。

性別は関係ありません。

だから、注意深く、そして結婚するまで、そしてパートナーとだけするんだっていうことを意識すること、そういう雰囲気にならないよう注意すること、これが大事なんですよね。



で、性行為を持ってしまった場合、悔い改め、罪を赦して頂いたら、もう自分を責めないことです。

だってね、イエス様を通して父なる神様に悔い改めたなら、その罪は赦され、もはやその人の内にありません。

だから、向きを変え、そこから離れ、神様との関係性を深めることです。



そうそう、性行為を軽く見てしまう大きな原因の一つは、神様との関係性だと思います。

また、イエス様の愛が強調されすぎて、「イエス様はわかってくれるから」とか「優しいお方だから」って、きっと理解してくださるだろうって軽く思ってしまう傾向もあるのかなって思います。

でもね、イエス様は愛に満ちたお方で優しいお方ですが、同時に神様であり、義なるお方です。

罪を悲しまれますが、報っておいたり、見逃したりはしません。

私たちはイエス様に対して愛と義、両方お持ちのお方として交わるべきです。


みことばを通してイエス様との交わりが深くなればなるほど、どれほど婚前交渉を悲しまれておられるかがわかります。


そんなことを思い、思いのまま、導かれるままに書きました。

といいつつ、ぼく自身、まだ結婚してないんですけどね。。。

あぁ結婚、したいなぁ。。。

真剣に祈っています。


ということで、この辺で。。。


じゃぁね~

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イエス様の祝福が豊かにありますように。

キリストの愛を込めて。。。


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