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死期の時の告白って?

こんにちわ~

今日も一日の終わり、今日一日も守られ、主に感謝です。

天候も守れましたしね 



昨日、聖書を味わいながら、自分が死ぬ時について、ふと思わされました。

というのも、第二テモテ4章を味わっていて、その中でパウロが自分の死期が迫っていることを感じ、まるで遺言のようにテモテに託していたからです。


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
私はすでに注ぎのささげ物となっています。
私が世を去る時が来ました。
私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。
私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

パウロは「注ぎのささげ物」、つまり自分は殉教の死を遂げて血を流すであろうと感じ取っていたようです。

でも、それは悲観的なものではなく、まるで客観的に受け入れているように感じ取れます。

これはおそらく自分の直感とかじゃなく、神様との交わりの中で受け取ったことなんでしょうね。


パウロは自分の死を前にして、「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」って語り、今自分が抱いている望みは、正しいさばき主であり、審判者である主から直接、自分のために用意されている義の栄冠を頂くことだって言ってるんです。


このパウロの告白を通して、ぼくの死期、どんな感じなんだろうなぁって思ったんです。

どんな発言をして死んでいくのかなぁってね。


神様はぼくに対してご計画を持たれ、お造りになられました。

そして、ぼくはそのご計画のために生かされているんですよね。

だから、まっ、まだ死期になってないから、予想なんですけど、パウロと同じ告白をし、賛美を捧げながら死にたいなって思うんです。


以前ね、実はね、恐れがあったんです。

それは死ぬのが怖いとか、死にたくないとか、そういうことじゃないです。

だって、死後、ぼくの行き先はわかってるし、そっちの方がこの地上生活よりうん億倍いいことがわかっているんですから。

でもね、もしかしたらぼくの晩年、誰にも看取られることもなく、ぼくのために泣いてくれる人もいないで、孤独死という形で死んでいき、それで半ば白骨化して発見されて無縁墓地に埋葬されるか、遠い親戚の人かだれかが義務的に埋葬をするか、、、なのかなってね。

この思いが心に囁いてくるんです。

リアルでしょ。。。

この思いが心の中にすーーーっと囁いてくるんです。

すると何とも言えない重ーーーーい思いになるんです。


ぶっちゃけちゃうと、その瞬間、サタンの囁きに心開いてしまってるんですね。

危ない、危ない


でも、本当に感謝です。

だって、それは偽りの声であり、完全に間違っているんですからね。

神様は、ご自身のしもべをそのように扱うことは絶対無いし、神様のご計画を遂行するとき、その必要はすべて満たされるし、悲しい思いをさせるようなことは絶対にありません。

だいたい、今の状態で死を迎えるとは考えられません。

神様は求める者には惜しみなく与えるお方だし、必要なパートナーも、ご自身のご計画を遂行するために必要なものも、すべて主の御手の中にあり、与えてくださるお方。

ぼくの祈りはすべて天において届いています、ハレルヤ


でも、たとえ、そうであったとしても、ぼくはイエス様と直接お会いし、イエス様から義の栄冠を頂くんです。

だから、そんな心配は無用なんです。

ぼくは主だけを見上げ、主に信頼し、クリスチャンとして、イエス様の弟子としてどう歩んでいくのか、それが問われるんだと思うんです。


あぁ、自分が死ぬとき、このみことばを心からの感謝を込めて告白し、賛美しながら息を引き取れたらなぁって思います。

そしてそのまま天の御国に霊が行き、心から天上でイエス様をあがめ、イエス様を賛美するんです。

あぁ、ハレルヤだなぁって思います。


そんなことを、このみことばを味わいながら思い巡らしました。

今週も後半、今月もあと一週間半ですが、主に感謝を捧げ、主の御手に身をゆだねつつ、歩んでいきます。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

じゃぁね 



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