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ひとりぼっちじゃない喜び

こんにちわ~
 


ふぅ、今日も無事終わりました~

主よ、感謝します。

今夜は熱帯夜で、ものすごく蒸し暑い。

明日も一日暑いとのこと、お互いに水分いっぱいとって、体調管理はしっかりやって、この暑さ、乗り切りましょうね。




さてさて、今日、二つ目の投稿です

今回は、みことばの分かち合いです。


今、ヨハネの福音書14章、イエス様が十字架にかかる直前、過越の食事をされた後、その二階の部屋で弟子たちに語られたメッセージです。

読みながら、すごく緊迫感が伝わってくる箇所です。




ヨハネ14:18~21

わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。

しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。

わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。

わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。

わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。




わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。

イエス様の弟子たちへの愛、ヒシヒシと伝わってきますね。

新改訳聖書は、ここを「みなしご」ではなく、「孤児」と訳しています。


どちらにしても、イエス様はご自身が去って行った後、弟子たちをひとりぼっち、孤独の中に放り込むようなことは絶対にしないよってここで約束されているんです。

イエス様が十字架にかかるって言われ、不安や恐れでいっぱいになっている弟子たちにとって、この時のこのことば、本当に大きな慰め、慰めていう言葉では言い足りないくらいの慰めだったことと思います。


実際、イエス様は「あなたがたのところに戻って来る」って言われましたが、実際、復活の時にイエス様は戻って来られましたよね。

そして復活後、天に挙げられてから、聖霊が弟子たちに下り、聖霊のバプテスマが起こり、弟子たちは聖霊によってイエス様を信仰によって見ることが出来るようになりました。




イエス様の言われた「あなたがたをみなしごには、孤児にはしない」っていうことば、ほんと、慰めですよね。

だって、ぼくたちもまた、今、イエス様は聖霊を通してイエス様を味わい、見ることが、もちろん肉眼じゃ無くて霊の目ですけどね、そう見ることが出来るようにさせて頂いています。


ぼくたちはひとりぼっちじゃないんです。

孤児でもなければ、みなしごでもないんです。



かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたにわかる(20)

「かの日」って何時かというと、聖霊降臨、ペンテコステの時です。

ペンテコステの時、「わたしが父の内におり」、イエス様が天のお父様のところに戻ります。

そして、「あなたがたがわたしの内におり」、つまり弟子たちはイエス様の内にいるようになります。

そして、「わたしもあなたがたの内にいる」、そう、イエス様も同時に弟子たちの内にいるようになるんです。




これをイエス様は弟子たちに約束されましたが、その後に続く、私たちもそうですよね。

今、イエス様は天のお父様の内、つまりイエス様と天のお父様が一つになったような深い愛の関係で結ばれています。

これ、間違えると異端になっちゃうので、きちんと言いますが、「わたしが父の内におり」って、イエス様と天のお父様が同一人物になるっていうことじゃないですよ。

それぞれ別人格をお持ちなっており、別々のお方です。

しかし、誰も離すことの出来ない、入り込む余地もない愛の関係で結ばれているっていうことです。


そして、今、ぼくたちの内にはイエス様がお住まいになられているんです。

同時にぼくたちはイエス様の内にいるんです。


本当に本当に神秘的なことですが、これがぼくたちクリスチャンの姿です。

まるで胎児がお母さんのお腹の中ですくすくと育っているように、ぼくたちはイエス様に守られ、イエス様の内にいます。

でも同時に、イエス様はぼくたちの内に住んでくださっているんです。



ヨハネ1章14節にこうあります。

言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

これ、原語であるギリシャ語では「わたしたちの間に幕屋を張った」となっています。


イエス様は今、ぼくたちの内に幕屋を張られ、そこにお住まいになられています。


でも同時に、天において私たちのために、大祭司として執り成し祈り続けておられます。



えっ、なんでそれなのに私たちの内におられるの?????って思うかもしれません。

でも、答えは簡単です。

ぼくたち人間は制限があり、時空間を自由に移動出来ないし、一つの場所にしかいることが出来ません。

でも、イエス様は、時空間の制限が無く、いろいろなところに移動出来るし、遍在なるお方なんです。


実際、復活後、壁をすり抜けて、鍵が閉まって誰も入れない弟子たちのいる部屋に入られましたよね。

イエス様は神様です。ぼくたち人間と同じように考えるから、混乱してしまうのです。



イエス様は今、ぼくたちの内にお住まいになられている。

すごーく感謝だなぁって思わずにおれません


だからそうなんですよね、ぼくたちはひとりぼっちじゃないし、孤児じゃないんです。




わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。
わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。
わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。(21)




「わたしの掟」って、15節にも出て来ます。

あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

この「わたしの掟」って、福音書の中でイエス様が命じられたこと、そして使徒の働き、パウロやペテロやヨハネなどの書いた手紙の中で語られている命令、つまり、新約聖書の中に出て来る「○○をしなさい」っていう命令のことです。

これを「キリストの律法」といいます。



イエス様はここで弟子たちに「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である」って言われました。

そして、イエス様を愛しているなら、「わたしの掟」、つまりキリストの律法を守るんだって語られています。

えぇ~また掟~~~~

って思っちゃうかもしれませんね。


でもね、イエス様が「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」って言われたように、イエス様との関係が深くなればなるほど、守りたくなるんです。

これがイエス様と私たちとの関係なんです。



イエス様は今、ぼくたちの内におられます。

そして、ぼくたちもまたイエス様の内におられます。


そして聖霊が弁護者として、ぼくたちと一緒にいてくださいます(16)


なんか、すごいですよね~~

クリスチャンであることって、これだけ凄いことであり、恵みに満ちてるんですよね。


もっと深くイエス様を味わい、内に住んでおられるイエス様の愛の中に浸りたいです。


今日、ぼくたちには神様の100%完結した啓示の書である聖書が与えられています。

このみことばをもっと深く学び、イエス様との関係を更に更に深めていきたいですね



祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

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