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イエス様の平和に満たされている恵みを。。。

こんにちわ~

今日は雨のスタート、今もシトシトと振ってます。

でも外は大雨警報って言ってます。

なんか不思議~~~

あぁ、今日一日、外の雨のように、絶え間なく主の恵みの雨がしとしとと降り続け、主の平和で満ちた一日となりますように☆



さてさて、実は昨夜書く予定でいたんですが、睡魔に負けてダウン~

で、今日、書くこととします。


今日もみことばの分かち合い、します☆

今、新約聖書のヨハネの福音書14章を味わっています。



わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

心を騒がせるな。おびえるな。

「わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る」と言ったのをあなたがたは聞いた。
わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。
父はわたしよりも偉大な方だからである。

事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。
もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。
だが、彼はわたしをどうすることもできない。
わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。

さあ、立て。ここから出かけよう。




いよいよ過越の祭りの食事を行った二階部屋での弟子たちへのメッセージの最後です。

この後、ゲッセマネに向かい、ゲッセマネで捕らえられます。

だから、この時はものすごい緊迫状態なんです。


わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(28)

イエス様の平和。

これ、新改訳聖書では「平安」と訳されています。


イエス様の平和、イエス様の平安。これは安堵感とか、なにかホッとしたとか、そういうものとは全く違います。

イエス様ご自身、「世が与えるように与えるのではない」って言われていますよね。



平和とか平安って、なんかぼんやりして、これだって掴みどころがないイメージありませんか?

病気もなく、トラブルもない。そんなイメージ。

そして、家族団らん、学校生活や仕事なども順調。

なんかそんなとき、心が安らぐというか、ホッとするひと時、それが平安であり、平和なのかなみたいな。。。

だから、たとえば家族にガンだとか、深刻な病気にかかった人がいるとか、自分自身が患ってしまったとか、そういう時には心に平安、うーん、難しいですよね。

もし、たとえば、今話題になっている乳がん、自分が煩い、これから手術だ、抗がん剤治療だ、副作用で一生懸命に伸ばして、お気に入りの髪の毛が全部抜け落ちちゃって丸坊主になっちゃう。。。
それだけじゃなく、吐き気や痛みやいろんな副作用が待ってる。。。
大事な大事な乳房が切除されなくなっちゃう。。。。

癌という病は、肉体だけじゃなく、心も蝕み、家族全体にもそれがおよぶ恐ろしい病です。

それだけでも叫びたいくらいな悲しみなんだけど、ましてや余命まで言われた時には。。。

とてもじゃないけど、平安とは、平和とは言えないですよね。



でもね、ここでイエス様の言われている「わたしの平和」、「わたしの平安」って、世の中でいう平和とは違うんです。

ぼくたちが経験する平和は条件付き。問題が無かったり、順調に事が運んでいるときに来るもの。

でも、イエス様が与えてくださる「わたしの平和」、「わたしの平安」は、順調な時はもちろん、そうじゃないとき、苦しみ、恐れの只中で与えてくださる平和、平安なんです。


実際、このイエス様のお話を聴いていた弟子たちは、この後、イエス様が十字架上で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえり、天に昇られた後、命懸けの生活をすることとなります。

常に祭司長たちに狙われ、いつ殺されてもおかしくない状態。

実際、ヨハネを除く使徒たちは全員殉教の死を経ています。


イエス様は弟子たちに「わたしの平和」「わたしの平安」を与えてくださいました。

だから、そういう緊迫感、とてもじゃないけど平和だ、平安だなんて言えないような、いつ殺されてもおかしくない、捕まってもおかしくない状況でも、心は平安で、主を賛美し、福音を大胆に伝えることができたんです。

また、この「わたしの平和」「わたしの平安」が主によって与えられたおかげで、彼らは福音を伝え、そうやって伝達され、今ぼくたちが救われているんです。



イエス様ご自身もまた、そうです。

もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。
わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。

イエス様はもう弟子たちとゆっくり話すような時間は無いです。

だって、世の支配者、つまりサタンがイエス様に近づき、十字架というものすごい攻撃をしかけてきますからね。

でもね、そういう中でもイエス様の心は支えられています。なぜかというと、イエス様の心は常に天のお父様と一つに結ばれていますし、イエス様は天のお父様のことを深く愛され、お父様のおっしゃったこと、お命じになったことを忠実に行っているからです。

十字架だってそうです。サタンはイエス様を倒すために十字架刑へと持っていきますが、でもそれも天のお父様の許しの中でのこと。

そして、神様の人類救済計画のため、イエス様は自分から十字架で死なれました。

それは、イエス様の父なる神様への愛の従順の故にです。

サタンはイエス様には何一つ攻撃することは出来ないんです。



イエス様は今日、ぼくたちにも「わたしの平和」「わたしの平安」を与えるっておっしゃってくださっています。

イエス様に心開き、イエス様に信頼するとき、主の平和が、たとえ最悪な状況の中であっても、私たちを満たしてくださいます。

あぁ、イエス様の愛、本当に素晴らしいですね。。。

愛されているんですね、私たちは。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ( ´∀`)/~~

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