avatar image

本当のぶどうの木 ~父なる神様の愛深さ~

こんにちわ~

今回もみことばの分かち合いをします。

今日の箇所は、ヨハネの福音書15章、有名な「ぶどうの木とその枝」の話しからです。



ヨハネ15:1~3
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

わたしの話した言葉によって、あなたがたは清くなっている。



この「ぶどうの木とその枝」の話、とっても素敵な内容なんですが、同時に多くの人が誤解をし、このみことばで苦しんだり、責められたりすることがあります。

でもね、実はそれは日本語の訳をそのまま受け取ってるからなんです。

当時の文化や聖書全体にはどう書かれているのかということを考えながら、この箇所を読むと、実はこれまでのイメージとは全く違った光が差し込んで来ます。

責めるどころか、恵みに満ちた甘い箇所なんです。



わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である

この箇所なんですが、イエス様はご自分が神だっていうことを「I AM」という形で表明されていますが、実はこの箇所もそうなんです。

「わたしはまことのぶどうの木だ」ってね。



さて、「わたしはまことのぶどうの木」ってあります。

「わたし」ってイエス様のこと、そうですよね。だって、イエス様のメッセージなんですからね。

イエス様は、ご自分がまことのぶどうの木だって言われてるんです。



「まことのぶどうの木」って何でしょう?

まず「ぶどうの木」なんですが、旧約聖書で「ぶどうの木」はイスラエルを指します。

詩篇80:8
あなたはぶどうの木をエジプトから移し、多くの民を追い出して、これを植えられました。

エレミヤ書2:21
わたしはあなたを、甘いぶどうを実らせる確かな根として植えたのに、どうして、わたしに背いて悪いぶどうに変わり果てたのか。

その他にもぶどうの木はイスラエルのことだって言っている箇所が幾つかあります。



上のエレミヤ書2章21節を見てください。

神様はもともとイスラエルを「甘いびどうを実らせる確かな根として」植えられました。

そして期待して、丹精込めて育てられました。

ところがイスラエルはというと、神様に背き、自分勝手な歩みをし、結果、甘いぶどうどころか、渋くて酸っぱいぶどう、食べることもワインにすることも出来ないようなぶどうとなってしまったんです。


イエス様は「わたしはまことのぶどうの木」だって言われました。

実はイエス様は、父なる神様がイスラエルに対してご計画されていたことを実現するため、イエス様ご自身が本当のぶどうの木となられたんです。

だから、イエス様につながるとき、甘くて美味しい実とされるんです。

神様のイスラエルへの深い愛の現れがこの箇所なんです。



で、さぁ、問題の箇所です。

わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

この箇所で多くの人が不安になります。

「実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる」
大丈夫かなぁ。。。私はまだまだ全然実を結んでないし。。。
最近、っていうか私の信仰って低空飛行だし、疲れてるしなぁ。。。
取り除かれないかなぁ。。。

またこの箇所から、イエス様の十字架と復活の福音を信じ受け入れたけど、その救いの恵みも、これからの信仰生活によっては取り除かれてしまうって言う人までいるほどです。



この混乱と恐怖の箇所、実際はどうなんでしょうか。

「取り除く」という言葉なんですが、原語であるギリシャ語では「アイロウ」というギリシャ語です。

実はこの動詞には「持ち上げる」「取り上げる」っていう意味があるんです。

たとえば、「ユダヤ人たちが石を取り上げて、イエスに投げようとした」っていう場合は、この「アイロウ」という動詞を使っています。

するとこの箇所はこうなります。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを持ち上げて、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

つまり、この訳にすると、「弱っている枝を持ち上げ、より多くの光と空気に触れさせることによって豊かな実をつけるようにしている」っていう意味になります。

なんか、これだと意味が全然違ってきますよね。



イエス様がおられた時代のパレスチナ、特にユダの産地でのぶどうの木の栽培って、日本も含めて、一般的に知っているぶどうの栽培法とは違うんです。

私たちの知っているぶどうの栽培法って、ぶどう棚を作って、そこに枝をからませて、ぶどうを栽培しますよね。

でもね、イエス様の時代のイスラエルのぶどうの栽培法は、地面に直接枝を地面に這わせているんです。

地面から直ぐに太い幹が出ていて、そして地面の上で枝分かれしていっているんです。

その枝に空気を与えるために、大きな石をその枝の下に敷き、その上に枝を寝かせながら、枝が這っていっているんです。

っていうのは、パレスチナの地形を考えればわかります。
水が少ないので、夜露、朝露が重要な水の供給源になっているんです。


だから、聖書の時代はぶどう棚を作って栽培するんじゃなくて、地を這わせてぶどうを栽培させているんです。

ただ、その枝もあまり地の中に潜っていると光が当たりません。
空気も当たりません。
もしその土に水分が十分あったら、せっかくの枝が腐っちゃうんです。

だから、そうならせないために枝を土の下から持ち上げて、枝の下に大きな石を置いて、そして風通しを良くし、空気に触れるようにするんです。



わかりますか。

もし私たちの信仰が停滞したり、落ち込んだり思いが沈んだら、傷ついたら、父なる神様は優しく、愛に満ちた御手で私たちを持ち上げ、風通しをよくしてくださいます。

そして、私たちを励まし、立たせてくださるんです。


そして、実を結んでいる人は、試練などを通して刈り込みをされ、更にもっと多くの実を結ばせるようにしてくださるんです。


この箇所、決して恐怖に陥れる箇所ではありません!!!

そうじゃなくて、如何に私たちを父なる神様が愛されているのか、私たちのために手塩に掛けて、愛を注ぎ、育ててくださっていることを教えてくださっているんです。

サタンの嘘に絶対に騙されてはいけません。



まことの、本当のぶどうの木、世の中にはいろんな偽りのぶどうの木があります。

クリスチャンであっても、必ずしもそれが本物とは限りません。

まことの、本当のぶどうの木であるイエス様につながっている私たちを父なる神様が優しく育ててくださるんです。



イエス様は言われました。
わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。

弟子たちはイエス様の言われた言葉によって、既に清くされています。

ぼくたちもイエス様がおっしゃったことばを信じるなら、永遠の救いを得られます。

そして神様から義と認められ、地上生涯を通して聖化、つまり日々聖くされ、徐々に徐々にイエス様の似姿に変えられ、将来、栄化、つまり栄光の体に変えられるんです。


イエス様がおっしゃったこのみことば、こんなに愛に満ちた、愛に溢れたことばなんです。

だからたとえ、自分は実を結んでない、まるで土の中に埋まってて、腐りかけている。。。
そんな風に思っているなら、安心してください。

父なる神様が優しく私たちを持ち上げ、もっと実を結ぶようにしてくださるんです。


神様はそれほどに、私たちを愛してくださっているんです。

まさに目に入れても痛くないほどにです。

そうやって私たちを手塩に掛けて育てて、愛を注ぎ続けてくださっている神様、その神様につながる歩み、していきたいですね。


そう、私たちは愛されてるんです、ハレルヤ☆



祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~(´ー`)/~~

関連記事

Comment

Leave a Reply





管理者にだけ表示を許可する

Trackback