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イエス様の内に留まることは

こんにちわ~

今日もみことばの分かち合いです☆

そして今回は前回の続き、「ぶどうの木とその枝」の箇所からの分かち合いです♪

今回は今までと違う訳の聖書での分かち合いにします。

実はね、新共同訳聖書が数年後(本当は先月発売って聞いてたんですけどね。。。)に販売する標準訳聖書(仮)のパイロット版を入手したので、それで分かち合いますね。



ヨハネ15:4
わたしの内にとどまりなさい。わたしもあなたがたの内にとどまる。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしの内にとどまっていなければ、実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
わたしの内にとどまっていない人がいれば、枝のように投げ捨てられて枯れる。そして集められ、火に投げ入れられて焼かれる。


わたしの内にとどまりなさい。わたしもあなたがたの内にとどまる。

イエス様は「わたしの内にとどまりなさい」っておっしゃいました。

ヨハネはこの「とどまる」っていう言葉を何度も何度も使っています。

なんとね、この福音書だけで40回も使っているんです。

で、その内、この15章だけでは11回使ってます。

で、ヨハネは手紙も書いているんですが、その手紙では27回使っています。


だから、ヨハネにとって、この「とどまる」っていう言葉はものすごく重要なワードで、彼の信仰そのものなんです。


イエス様は「わたしの内にとどまりなさい」っておっしゃいました。

そこにいた弟子たちは、神様から離れ、世俗化しているユダヤ人たちの中にあって、真の信仰者です。これを「イスラエルの残れる者」とか「レムナント」と言います。

その彼らは本当のぶどうの木であるイエス様の内にとどまることによって、豊かな実を結ぶんです。


ぼくたちもそうなんですよね。

イエス様の内にとどまること、これ以上大事なこと、いえ、これがクリスチャンライフのすべてなんだなぁって思います。



イエス様は繰り返し言われています。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ。

再度、イエス様は「人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ」っておっしゃいました。

このみことば、人によっては、「そうだ、イエス様の内にとどまらなきゃ!」って思っちゃうかもしれませんね。

でもね、イエス様の内にとどまることって、なんか祈り倒してっていう表現は語弊があるかもしれませんが、祈って祈って、がんばってつながるもんじゃないですよね。

そうじゃなくて、イエス様の内につながるっていうことは、その逆、つまり、自分は何も出来ない、自分の内には何も無いっていうこと、自分が無力だということを認め、受け入れることです。

だってね、「イエス様のために~~~~」ってがんばってるのって、それってイエス様の内にとどまっているんじゃなくて、自分の内にとどまっている姿です。


イエス様の内にとどまるって、お手上げ状態、降参状態で、イエス様に身を任せるっていうことで、その時初めてイエス様の内にとどまることが出来るんです。

だからね、がんばる必要はないんです。周りを気にする必要もないんです。

ただ「私の内には何もありません。イエス様、あなたの内にとどまります。私はあなたの命によって生かされている存在です」って、イエス様にお任せすればいいんです。


イエス様の内にとどまること、それは力を抜いて、イエス様に身を任せること。

その時、私たちを通して豊かに実を結ぶんです。

そして、イエス様の内にとどまることは、日々の歩みの中で、祈りを通して神様と交流すること、そしてみことばを味わい、みことばに聴き従うこと、賛美すること、クリスチャン同士の交わりを通してなどです。

そうやってお互いに祈り合い、励まし合いながら、イエス様の内にとどまるんです。

お互いにイエス様の内に留まる歩み、していきましょうね。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~



































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