FC2ブログ

キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

Top Page › Category - 過越の食事
2018-01-07 (Sun)

聖餐式の深い意味

聖餐式の深い意味

こんにちわ~ 今日もみことばの分かち合いをします。 前回の続きです。      今日の箇所は、マタイの福音書26章27~29節です。   ☆★○☆★○☆★○☆★○ また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。 「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。 わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国で...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日もみことばの分かち合いをします。

前回の続きです。

  

 

今日の箇所は、マタイの福音書26章27~29節です。

 

☆★○☆★○☆★○☆★○

また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。

「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。

わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」

☆★○☆★○☆★○☆★○

 

聖餐式の時のぶどう酒の意味

 

これまで、過越の食事の順序について、学んで来ました。

まず「感謝の杯」といわれる第一の杯が配られました。

そしてイエス様は弟子たちの足を洗われました。

次に「裁きの杯」といわれる第二の杯が配られました。

そしてカルパスと呼ばれるパセリを塩水に浸して食べました。

その次は「アフィコーメンの儀式」の前半部分で、内部が三つに分かれている布の袋に、それぞれ1枚ずつ種なしパンを入れるのですが、その内の真ん中の部分に入れてある種なしパンを二つに裂き、片側の半分のパンを亜麻布に包んで家のどこかに隠します。

そしてまず残った半分の種なしパンをこの時に食べます。

 

さあ、ここまでが前回まで学んだところです。

 

今回は6番目の儀式です。

過越の食事の順序(続き)

6、ハロセットと苦菜

「ハロセット」という食べ物と苦菜(にがな)が配られます。

ハロセットというのは、リンゴ、ナッツ、蜂蜜、シナモン、ワインなどを混ぜて作られたもので、見た目は決して美味しそうではありません。

粘土のように見えます。

でも、材料を見ればわかりますが、味は美味しいです。

これは、イスラエル人の先祖たちがエジプトでレンガを作らされていたことを思い出すためのものです。

 

そして苦葉ですが、これはマロールと言われ、西洋わさびのことです。

イスラエル人が奴隷時代に流した涙を思い起こすためにこれを食べるのです。

 

このハロセットの食べ方ですが、以下の通りです。

1、主人が客全員にハロセットを配る。

2,種なしパンの小片でハロセットを鉢から取り出す。

3、ハロセットの上にマロール(苦菜、西洋わさび)を少量乗せる。

4、別の種なしパンの小片をその上に乗せ、サンドイッチ状のものを作る。

5、それを、それぞれの客に配る。

 これがハロセットの食べ方です。

 

ヨハネ13章26節で、このハロセットをユダにお渡しになりました。

イエス様はユダへ友情のしるしとしてお渡しになりました。

しかし、次の27節を見ると、ユダがイエス様からハロセットを受け取ると、そのときサタンがユダに入ったとあります。

そして30節には、「ユダは、パン切れ(ハロセット)を受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった」とあります。

 

そう、ユダはハロセットの儀式のときまではいたのですが、この時、彼は過越の食事の席から出て行きました。

行き先は、祭司長、律法学者たちのところです。

そしてユダは購いの杯である第三の杯を味わうことは出来ませんでした。

 

 

ハロセットの後、メインコースが出されます。

その後、アフィコーメンの儀式の時に真ん中の種なしパンを半分に裂き、亜麻布に包んで家のどこかに隠したそのパンを食べます。

 

7、第三の杯

その後、第三の杯が配られます。

この第三の杯のことを「購いの杯」といいます。

この杯は、過越の子羊の流された血を象徴しています。

そう、神の子羊であるイエス様の血を象徴しているんです。

 

聖餐式の時のぶどう酒(グレープジュース)

聖餐式の時、教会によってですが、ぶどう酒を出すところとグレープジュースを出すところがあります。

どちらか一方ですね。

 

イエス様の血潮は、新しい契約のしるしです。

赤いぶどう酒は、イエス様の血潮の象徴です。

そして、イエス様の血潮は、罪の赦しのために流されるものです。

 

イエス様は言われました。「この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です」

イエス様が過越の食事の中の第三の杯を配るとき、このことを言われたということ、本当に深いですよね。

 

ただ誤解しないで欲しいんですが、この時のぶどう酒は聖なるものとか、そのぶどう酒に罪を贖う力があるとか、癒やしの力があるとか、決してそういうことではありません。

ぶどう酒はぶどう酒です。

多くの教会では、ぶどう酒ではなく、グレープジュースを出されていると思いますが、このグレープジュースは特別な効果のある、聖別された聖いグレープジュースではありません。

グレープジュースはグレープジュースなんです。

別に変化しません。

問題は、これは象徴であって、こののグレープジュースを飲むとき、自分の罪がイエス様の流された血潮によって赦されたのだという恵みを味わい、感謝するためのものなんです。

 

再臨の恵み

でもね、実は聖餐式の時にぶどう酒を飲むのには、もう一つ大切な意味があるんです。

 

イエス様は言われました。

わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」(29)

ここでイエス様が言われた「わたしの父の御国」というのは、イエス様の再臨後に設立されるメシア的王国、つまり千年王国のことです。

ということは、千年王国で再びイエス様による過越の食事が使徒たちとともに行われるということです!!!!

わくわくしませんか。

それだけでも再臨が待ち遠しいですよね。

 

パウロは第一コリントの中でこう言いました。

☆★○☆★○☆★○☆★○

感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。

「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい」。

夕食の後、杯をも同じようにして言われました。

「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい」。

☆★○☆★○☆★○☆★○

 

今までの聖餐式のイメージと大分違ってきているのではと思います。

ぜひ、このことを味わい、そして思い巡らしながら、パンを食べ、ぶどう酒、或いはグレープジュースを飲んでください。

単なる月に一度の儀式から、恵みに溢れた喜びの式に変わると思います。

 

祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。


じゃぁね~

 

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2018-01-06 (Sat)

聖餐式の恵み

聖餐式の恵み

こんにちわ~ 今日、2回目の投稿です。   今回は過越の食事の2回目の順序について、そしてみことばの分かち合いをします。 これまで、まず第一の杯が配られました。これを「感謝の杯」って呼びます。 次にイエス様は、弟子たちの足を洗われました。 そして「裁きの杯」である第二の杯が配られました。 次にカルパスっていうパセリを塩水に浸して食べました。 この時点で、イエス様はユダの裏切りを予告されました。 ...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日、2回目の投稿です。

 

今回は過越の食事の2回目の順序について、そしてみことばの分かち合いをします。

これまで、まず第一の杯が配られました。これを「感謝の杯」って呼びます。

次にイエス様は、弟子たちの足を洗われました。

そして「裁きの杯」である第二の杯が配られました。

次にカルパスっていうパセリを塩水に浸して食べました。

この時点で、イエス様はユダの裏切りを予告されました。

ここまでが前回学んだところです。

 

 

今回はその続き、「アフィコーメンの儀式」と呼ばれるものについて、ご一緒に学ぶこととします。


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに言われた。

「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

マタイ26:26

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

 

イエス様による過越の食事その2

5、アフィコーメンの儀式

この「アフィコーメンの儀式」とは、以下のようなものです。

カルパスというパセリを塩水に浸して食べた後、食卓には布の袋が用意されています。

この袋、内側が3つの部分に分かれていて、それぞれの部分に平べったい形をした種なしパンが入れられています。

 

f:id:gracelife:20130329145025j:plain

 

この3枚の種なしパンは、父、子、聖霊の三位一体の神を象徴しています。

そしてこの3枚の種なしパンの中から、真ん中のパンだけが取り出され、二つに裂かれ、その半分だけをその時に食べました。

実はこの真ん中のパン、それがイエス様の象徴なのです。

 

さて、二つに裂かれた種なしパンですが、片方は食べましたが、もう片方、残りの半分は残されています。

この残りの種なしパンは、亜麻布に包まれて、家のどこかに隠されます。

 

そして、メインコースが出され、それを食べます。

そして食べ終わったら、隠された残りの半分の種なしパンを探します。

隠された種なしパンが見つかると、それを亜麻布の袋から出し、それを食べました。

 

この行為を「アフィコーメンの儀式」っていうんですが、これはメインコースを挟んで、前半と後半とに分かれて行われる儀式なんです。

また、「アフィコーメン」とは、デザートという意味で、最後まで隠されていた半分の種なしパンのことを指します。

 

 

種なしパン

さて、このパンですが、これは種なしパン、つまりイースト菌が一切入っていないパン、見た目はインド料理のナンみたいな形をしています。

 

実はこの種なしパン、とても重要な意味があるんです。

 

パン種が入っていない

この名前のごとく、パン種、つまりイースト菌が入っていません。

パン種は罪の象徴で、イエス様には罪がなかったことを象徴しています。

 

焦げ目がついていること

このパンには焦げ目がついています。

茶色い焦げ目は、イエス様のからだに残された鞭の後を象徴しています。

 

イザヤ書53章5節にこうあります。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、わたしたちはいやされた。

これは私たちの霊的な傷が癒やされたということです。

 

小さな穴が無数に開いている

このパンには小さな穴が無数に開いています。

この穴は、イエス様が刺し通されたことを象徴しています。

そして、その結果、イエス様のからだに残された釘と槍(やり)の後を象徴しています。

 

詩篇22篇16節にこうあります。

犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。

 

また、ゼカリヤ書12章10節にこうあります。

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。

 

種なしパンは亜麻布に隠されている

 さて、袋の真ん中に入っている種なしパンを二つに裂いて、片方を亜麻布に包んで隠すんですが、それはこういう意味があるんです。

イエス様は十字架上で砕かれ、その後、降ろされ、亜麻布に包まれて、墓の中に葬られました。

メインコースの後、隠された種なしパンの片側を見つけ、それを割って、全員がその小片を食べるんですが、そのことを通して、イエス様の購いの死を受け入れ、それを体験するのです。

 

 

これはわたしのからだです

このパン、つまりアフィコーメンは十字架で裂かれたイエス様のみからだを象徴しています。

そしてこのパンの一つ一つの意味を理解した上で、26節でイエス様が言われたことばを味わってください。

 

取って食べなさい。これはわたしのからだです

深いですよね。

十字架で裂かれたイエス様のみからだの象徴である種なしパンをイエス様がそのパンを取り、「これはわたしのからだです」って言われたんです。

 

そして、イエス様が十字架上でご自身のいのちを裂かれたとき、新しい契約は成就しました。

今、イエス様は言われています、「取って食べなさい。これはわたしのからだです」と。

 

このパン、つまりアフィコーメンを食べる者、つまりイエス様の十字架の御業を信じ受け入れる人は、罪の赦しと永遠のいのちを受けます。

私たちはまさに、イエス様というアフィコーメンのパンを頂きました。

その結果、罪は赦され、永遠のいのちを得たのです。ハレルヤ!

 

この恵みを感謝するのが、聖餐式なんです。

だからね、本来、聖餐式のパンはサイコロ状に刻まれた食パンじゃダメなんです。

マッツァという種なしパンで聖餐式をするとき、種なしパンを見ただけで、イエス様の十字架の愛がじわっと心に染みてきます。

 

ぜひ、次回の聖餐式、その恵みを意識して受けてみませんか。

これまでの聖餐式とは全く意味が異なる、恵みに満ちた時となります。

 

祝福を祈ります、キリストの愛を込めて。。。

 

じゃぁね

 

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2018-01-06 (Sat)

イエス様のユダへの愛と悲しみ

イエス様のユダへの愛と悲しみ

こんにちわ~ 今日は穏やかな晴れ、とっても気持ちのいい一日でした。     富士山は薄らですが、波は穏やかだし、浜辺では親子連れやカップルなどがいて、凧揚げをしてたり、裸足になって楽しんでいる人がいっぱいいました。   ☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆   さてさて、今回もみことばの分かち合いをしますね。 今日はマタイの福音書26章、前回の続きです。 そしてイスカリオテ・ユダについてです。  ...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日は穏やかな晴れ、とっても気持ちのいい一日でした。

 

f:id:gracelife:20180106152701j:plain

 

富士山は薄らですが、波は穏やかだし、浜辺では親子連れやカップルなどがいて、凧揚げをしてたり、裸足になって楽しんでいる人がいっぱいいました。

 

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

 

さてさて、今回もみことばの分かち合いをしますね。

今日はマタイの福音書26章、前回の続きです。

そしてイスカリオテ・ユダについてです。

 

 

今回はマタイの福音書26章17~25節です。 

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

さて、種なしパンの祭りの最初の日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。

「過越の食事をなさるのに、どこに用意をしましょうか。

イエスは言われた。「都に入り、これこれの人のところに行って言いなさい。

『わたしの時が近づいた。あなたのところで弟子たちと一緒に過越を祝いたい、と先生が言っております。』」

弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。

 

夕方になって、イエスは十二人と一緒に食卓に着かれた。

皆が食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。

あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」

弟子たちはたいへん悲しんで、一人ひとりイエスに「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた。

イエスは答えられた。「わたしと一緒に手を鉢に浸した者がわたしを裏切ります。

人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」

すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。イエスは彼に「いや、そうだ」と言われた。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

 

イエス様による過越の食事 その1

この箇所、よく「最後の晩餐」と言われている箇所です。

でも、実際には最後の晩餐では無く、ユダヤ人が食べる過越の食事をイエス様は弟子たちとやっていたんです。

 

過越の食事の順序その1

このイエス様による過越の食事の箇所、この読者であるユダヤ人の人たちにはわかるんですが、異文化であり、時代も違う異邦人である私たちには、この過越の食事について、全然わかんないというのが実際です。

そこで、このみことばを味わう前に、過越の食事の順序について分かち合いますね。

 

1、第一の杯

過越の食事が始まると、まず第一の杯が配られます。

この杯は「感謝の杯」と呼ばれます。

 

2、水の入った鉢とタオルを持って回り、食卓に着いている人たちの指を洗い、タオルで拭く

次に、過越の食事を主催する家の母親か娘が水の入った鉢とタオルを持って、そこにいる人たちの回りを回ります。

食事に着いた人たちは、その鉢に入った水で指を洗い、タオルでその濡れた指を拭きます。

この時は、イエス様がこの母親か娘のする行為を自らなさいました。

しかも、弟子たちの指ではなく、足を洗われたんです。

 

3、第二の杯

指を洗い終わると、次に第二の杯が配れます。

これを「裁きの杯」と呼びます。

でも、聖書はこの「裁きの杯」については書かれていません。

福音書の読者である当時のユダヤ人の人たちは、そのことをよく知っていたので、書く必要も感じられず、省かれたのでしょう。

 

4、カルパスを食べる

この「裁きの杯」を飲み終えると、次にカルパスと呼ばれるパセリを塩水に浸して食べます。

パセリの緑色は、若さの象徴です。

つまり、この行為は、「イスラエルがまだ若い国であったとき、神は彼らに紅海を渡らせ、彼らをエジプトから救われた」ということを象徴的に現しているのです。

 

今回はここまで、また次回に過越の食事の順序の続き、5番目以降の内容を分かち合いますね。

 

 

裏切りの予告

さてさて、聖書の箇所の内容に入りますね。

イエス様と弟子たちが食事をしているときに、イエス様は突然「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切る」って言われました。

イエス様はユダが裏切ること、もうお見通しで、こう言われたんですね。

 

イエスと一緒に手を鉢に浸した者

イエス様はここで「わたしと一緒に手を鉢に浸した者がわたしを裏切ります」って言われました。

これ、ずーっと不思議だったんです。

だって、イエス様と一緒に手を鉢に浸した人って、周りの弟子たちにバレバレじゃんってね。

でもね、この鉢って何のことなのかも、全然わかってなかったし、まるでイエス様とユダだけが同じ鉢に手を入れたのかなって、それくらいしかわかんなかったんです。

 

でも、実際は全然違ったんですね。

この行為って、上の過越の食事の順序の4番目の行為だったんです。

過越の食事の知識が無いとわかんないし、誤解して間違った理解になっちゃいますね。

 

この時、カルパスっていうパセリを塩水に浸して食べるんだけど、この塩水を入れた鉢は、数人に一つの割合で置かれていたんです。

イエス様の隣はユダでした。だから隣同士に座っていたので、しかも他にもカルパスを浸した人もいたのでしょうし、自然な流れだったので、他の弟子たちにはわかんなかったんです。

 

 

イエスとユダとの密談

イエス様とユダは隣同士です。

だからユダはおそらく小声でイエス様に「まさか私ではないでしょう」と話しました。

この時の過越の食事の席順がわかんないと、これまた正しい理解が出来ませんね。

ぼくはこれも、そんなイエス様とユダとの会話、これじゃバレバレだぁって思ってました。

 

イエス様は最後の最後までユダを信じ、愛し続けました。

だいたい隣同士っていうのも、他の弟子たちにわからないようにイエス様に悔い改めることが出来るようにっていう配慮を感じられます。

イエス様はなんと優しい愛に溢れたお方なんでしょうね。

 

でもね、そんなユダの言葉は「まさか私ではないでしょう」です。

イエス様はどれだけそれを聞いて悲しまれたことでしょう。。。

 

イエス様は言われました、「いや、そうだ」

このことば、ほんと、重いですね。

 

 

適用:悔い改めを待ち続けるイエス様

イエス様はユダの悔い改めを最後の最後まで待たれました。

もちろん、ユダが悔い改めてイエス様を売り渡すことを止めても、イエス様は過越の祭りの日に十字架で死なれます。

イエス様は「人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます」って言われています。

神様のご計画は絶対に変わることはないし、失敗など論外、絶対にないのです。

 

でもね、ユダへのイエス様の愛と悲しみの深さを思うと、本当に心が痛みます。

そして、同じようにぼくたちに対しても、イエス様は愛の視線で見つめ続けておられるんです。

ぼくたちがイエス様の愛に応答することを、そしてイエス様に信頼し、悔い改め、キリストの弟子としてイエス様に服従することを。

そして、それが一番の幸せであり、喜びなんです。

 

お互いに主の愛と恵みに依りすがり、心開いてイエス様にお任せし、従っていく歩みをしていきましょうね。

 

じゃぁね

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。