FC2ブログ

キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

Top Page › Archive - 2016年06月
2016-06-30 (Thu)

イエス様を通して祈れる恵み♪

イエス様を通して祈れる恵み♪

こんにちわ~今日もみことばの分かち合いをしますね。そして、今日もヨブ記、ヨブ記ももうちょいなんで、もうちょっとお付き合いください。主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。しかし今、雄牛と雌羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のために...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日もみことばの分かち合いをしますね。

そして、今日もヨブ記、ヨブ記ももうちょいなんで、もうちょっとお付き合いください。




主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。

「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。
お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。
しかし今、雄牛と雌羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。
わたしはそれを受け入れる。
お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」

テマン人エリファズ、シュア人ビルダト、ナアマ人ツォファルは行って、主が言われたことを実行した。

そして、主はヨブの祈りを受け入れられた。



今日の箇所は、ヨブの3人の友だちへの裁きというか、言及です。

神様は、3人の友だちの中から代表者としてテマン人エリファズを選びました。

おそらくエリファズが一番の年長者だったんでしょうね。



で、神様はエリファズに、エリファズも含めて3人に怒っているんだっていうことを告げました。

神様が怒っている。。。ひぇ~~どころじゃなく、顔面蒼白、体中身震いし、恐ろしくて言葉も出ないし、やっと立っているような状態だったことと思います。




でね、神様はそのエリファズに怒ってるんですが、どうして怒っているのかというと、「わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ」っていうことです。

どういうことかというと、彼ら3人の信仰は因果応報、苦難は罪の結果だという前提でヨブを責め、悔い改めに導こうとしていますよね。

そして、実際には見てもないのに、推測で「こういう罪を犯したんだろう」的な発言をし、ヨブを責め立てました。

そのことを神様は彼らに言っているんです。




これね、実は今日でもおんなじことをやってるクリスチャン、いっぱいいます。

試練は罪の結果みたいな。。。

イエス様は何と言いましたか、


本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現されるためである。
~ヨハネ9:3~


イエス様ははっきり言われてますよね、「神の業がこの人に現されるため」だってね。



もちろん、罪の結果というケースもあります。

たとえばギャンブルにのめり込んだ結果、借金で大変なことになるとか、ね。

でもね、全部が全部罪の結果じゃないんです。



ある人は先祖の罪の結果だって、先祖の罪の悔い改めまで求めてきます。

でもこれも違います。

先祖の罪はその人が負うのであって、子孫とは関係ありません。

そして、十字架上で、アダム以来代々受け継いだ罪の代価はイエス様が全部支払われ、「借金は完済した」(完了した)って十字架上でおっしゃられ、そして自ら息を引き取られました。

だから先祖の罪に恐れる必要は全くありません。



私たちの罪はイエス様の十字架上で全部処理され、福音の三要素、イエス様が十字架で死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目によみがえられたこと、その事実を受け入れ、それが自分のためだと認め、そこに信頼を置いた時、イエス様の十字架の御業が私たちのものとなり、完全に自由とされます。

だから、試練は罪の結果だと相手を責めることは、神様の御心を否定する重罪なんです。




さてさて、このエリファズへの神様の発言、気づいていますか、なんと4回も「わたしの僕ヨブ」って言ってるんです。

っていうことは、ヨブと神様の関係は回復し、あのサタンとの会話以前の関係に戻ったっていうことです。

すごいですよね。




わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるだろう(8b

ヨブは祭司としての働きを再開することとなります。

ヨブは、苦しみの中で神様と対話したいから、その仲介者を求めていました。

なんと、その仲介者が自分となったんです。

神様のなさることは本当に素晴らしいですね~




ヨブは神様の前に悔い改めたとき、罪赦され、「わたしの僕」って呼ばれるようになりました。

3人の友人たちも、神様が言われたとおり、大量の犠牲の捧げ物をヨブの前に持って行き、ヨブに仲介に入ってもらい、祈ってもらったとき、罪赦されました。

私たちはどうでしょう?

私たちもそうなんですよね、ヨブが3人の友人の仲介者となったように、今日、イエス様が私たちの仲介者となってくださっています。

だってね、お祈りの最後に何と言いますか?「イエス様の御名を通してお祈りします」って言いますよね。

これ、祈りの最後の決まり文句じゃないですよ。

ものすごく重要な言葉で、イエス様の信じる前の私たちは罪のために天のお父様に祈るなんてとんでもないこと、近づくことも出来ませんでした。

だって、神様は義そのものですからね。

でも、イエス様の十字架と復活の福音を信じ受け入れ、救われたとき、イエス様が天のお父様との仲介者となってくださり、今日、イエス様を通して天のお父様と大胆にお祈りし、神様の愛を受け取り、甘えることが出来るようになったんです。

そう、愛に溢れた親子関係です。



そういう意味では、この箇所のヨブはイエス様と私たちとの型ですね。

だから、罪を犯しても、イエス様を通して悔い改めることができ、すべての罪は赦されるのです。




これ、すごい恵みですよね。

主の恵みを味わいつつ、大胆にイエス様を通して私たちのお父様の御前に出ましょうね。

ハレルヤ


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。。


でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-29 (Wed)

自分の本当の姿を知った今。。。

自分の本当の姿を知った今。。。

こんにちわ~ 今日もみことばの分かち合いをしますね。今日もヨブ記です。ヨブ記、好きな人、苦手な人、いろんな人がいると思います。でもね、ヨブ記を味わっていて、すごく感じるのは、信仰の根本が探られるというか、取り扱われるなっていうこと。そして自分と神様との関係性が変えられていきます。そういう意味でも避けてはいけない大切な書なんだなって思います。でね、今日は42章、ヨブの悔い改めの箇所を味わいました。ヨブ...

… 続きを読む

こんにちわ~ 

今日もみことばの分かち合いをしますね。

今日もヨブ記です。




ヨブ記、好きな人、苦手な人、いろんな人がいると思います。

でもね、ヨブ記を味わっていて、すごく感じるのは、信仰の根本が探られるというか、取り扱われるなっていうこと。

そして自分と神様との関係性が変えられていきます。

そういう意味でも避けてはいけない大切な書なんだなって思います。




でね、今日は42章、ヨブの悔い改めの箇所を味わいました。


ヨブ記42:1~6
ヨブは【主】に答えて言った。

あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。

「これは何者か。知識もないのに神の経綸(けいりん)を隠そうとするとは。」

そのとおりです。
わたしには理解できず、わたしの知識を越えた驚くべき御業をあげつらっておりました。

「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」

あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。



これがヨブの悔い改めのことばです。

ヨブは、自分は何も知らないし、何もすることが出来ない小さな小さな存在だということを、神様が問われた質問を通して痛感し、今、心からの悔い改めに導かれています。



神様は「これは何者か。知識もないのに神の経綸を隠そうとするとは」とおっしゃいましたが、まさにこれ、ヨブのことです。

神様の偉大さ、その権威に満ちたお方、愛深さ、何一つ、ヨブの理解を遙かに超えています。

とてもじゃないけど、理解することなんて不可能です。

でも、ヨブは神様に対して、神様の御心も知らずに、神様に文句を言い続けてきました。

今、神様を前にして、ヨブはもはやなんと愚かな行為をしてしまったのだろうという思いでいっぱいで、神様の赦しを頂くしか他にありません。




ヨブは5~6節でこう締めくくっています。


あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。



ヨブは「今、この目であなたを仰ぎ見ます」って言ってますが、これ、比喩、ビジュアル的にわかるよう、こういう表現をしているんであって、実際バーンと神様がヨブに現れ、神様を見たー!っていうことじゃないですよ。

人間が神様を見て、生きていることなど出来ません。それほど神様は聖いんです。



でも、ヨブは神様と直接話し、神様を体験しました。

そして、もはや自分の無知さ、そして偉そうに知ったかぶりを語り、神様を責めるような言葉を発した愚かさ、その傲慢さを深く悔い改めているんです。




ヨブはこの時を境に変えられました。

彼の信仰はがらっと変わったんでしょうね。



あぁ、自分はどうなんだろうって思わされます。

自分の無知さを痛感するし、なんかヨブとおんなじだなぁって思わされます。



でもね、だからこそ、イエス様の十字架と復活の恵みの大きさを実感するんです。

神様の愛の前に圧倒されるし、こんな自分を愛してくださり、受け入れてくださっているその恵み深さの前にただただ感謝としか言いようがありません。




サタンの攻撃は相変わらず、でもぼくらクリスチャンはイエス様がおられます。

イエス様は今、天で大祭司として執り成し祈り続けてくださっています。

そして、天のお父様にぼくたちのことを訴えているサタンに対して、最高の弁護者であられるイエス様が弁護してくださっています。



だから、大胆に天のお父様の御前に出ることが出来るし、「お父様」って心を込めてお祈りも出来ます。

これが今のぼくたちのスタンスなんですよね。



自分は何者でもないことを認めること、そしてヨブと同じで、何も知らないということを受け入れること、これが傲慢な態度から解放される鍵なんですよね。

そして、へりくだって、神様のご計画の深さ、その確かさに心注ぎ、信頼する、つまり主の御手の中に留まり、安息すること、これが真のクリスチャンライフなんだなぁって、このヨブ記を味わいながら思わされています。




試練は辛いです。苦しいです。「なんで?!」って思っちゃうこともあります。

でも、それは目で見えるところだけで、舞台裏を知らないから苦しいんです。

でも、その舞台裏で、神様はそのことに対する御心を持たれておられ、クリスチャンがそのことを理解し、主を見上げ、「なんで」信仰から、「信頼」信仰へ心の目をシフトすることを願っておられます。




ヨブ記を味わいながら、ずっと詩篇23篇、有名な箇所なんですが、この中の5節がずっと心にありました。


わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。



神様はわたしたちに豊かな食卓を整えてくださり、頭に香油を注いでくださるお方。

でもそれは、豊かな時、満足している時、成功している時、問題がなく平穏な暮らしをしている時だけじゃないんです。

ダビデは歌ってますね、「わたしを苦しめる者を前にしても」って。

そう、試練の中、苦しみの中、最悪の状況のそのただ中で食卓を整え、香油を注いでくださるお方、これが神様のなさる方法なんです。



これ、問題だけを見ている時には気づかないですよね。

結果、「なんで」の祈りになっちゃいます。



でもね、神様は状況に支配されないお方、どんな最悪な状況であっても、死を前にしたとしても、そのど真ん中で食事を整え、香油で満たしてくださっているお方なんです。

だから、その苦しみのただ中で主を見上げるなら、たとえ状況は変化しなくても、心は平安になり、結果、「わたしの杯は溢れています」っていう告白へとつながります。



自分自身もこうやって書きながら、ほんと、そうだなぁって思わされています。

ご一緒に「なんで」の祈りを止めにして、いつもイエス様を見上げ、イエス様の優しい御手の中に留まる安息生活を送りましょうね。



祝福を祈ります。。。

キリストの愛を込めて。。。。


 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-26 (Sun)

みことばの光に照らされよう♪

みことばの光に照らされよう♪

こんにちわ~今日も、そして今週も無事終わりましたそれにしても蒸し暑いし、梅雨らしいって言えばそれまでなんですが、ジメジメしてスッキリしない天気が続いていますね。最近、ちょっとお疲れ気味。。。最近、すごく思わされていますが、やっぱみことばだなぁって感じています。っていうか、みことばにこだわりたいなぁってね。詩篇119:130(口語訳聖書)み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。このみことば、...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日も、そして今週も無事終わりました

それにしても蒸し暑いし、梅雨らしいって言えばそれまでなんですが、ジメジメしてスッキリしない天気が続いていますね。

最近、ちょっとお疲れ気味。。。


最近、すごく思わされていますが、やっぱみことばだなぁって感じています。

っていうか、みことばにこだわりたいなぁってね。



詩篇119:130(口語訳聖書)
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。


このみことば、大好きですし、ほんと、そうだなぁって思わされます。

みことばの光って、無学な者に知恵を与えるんです。

聖霊によって、私たちの心にみことばの光が照らされると、真理がわかり、真理は私たちを自由にします。


そうなんですよね、みことばには力があるんです。

ぼくたちが一喜一憂するのは、みことば以外のものに頼るからなんだと思います。



聖書のみことばに常に留まり、みことばを味わい、みことばによって養われる歩み、していきたいですね。

これからもこのブログはみことばを大事にし、みことばを分かち合っていきますね。

これからもよろしくお願いします。


祝福を祈ります。。。
キリストの愛を込めて。。。。

でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-25 (Sat)

神様への全幅の信頼

神様への全幅の信頼

こんにちわ~今日も無事終わりました。そして、今週もあと1日です。主よ、感謝します今日もみことばの分かち合いをしますね。このところ、ずーっとヨブ記からの分かち合いをしていて、ヘビーだなぁって感じてる人もいるでしょうね。だって、ぼく自身もけっこうヘビーだなぁって感じるもん(笑)でもね、このヨブ記を味わう中で、すごく自分自身が取り扱われ、神様の前において、自分は何者か、何様かっていうことがわかり、悔い改...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日も無事終わりました。

そして、今週もあと1日です。主よ、感謝します



今日もみことばの分かち合いをしますね。

このところ、ずーっとヨブ記からの分かち合いをしていて、ヘビーだなぁって感じてる人もいるでしょうね。

だって、ぼく自身もけっこうヘビーだなぁって感じるもん(笑)




でもね、このヨブ記を味わう中で、すごく自分自身が取り扱われ、神様の前において、自分は何者か、何様かっていうことがわかり、悔い改めに導かれています。

ヨブ記って取り扱いの書なんだなぁってしみじみ思わされています。




でね、今日は40章6節からの、神様のヨブへの質問、第二ラウンドです。


ヨブ記40:6~8
主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
男らしく、腰に帯をせよ。
お前に尋ねる。わたしに答えてみよ。
お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪にするために、わたしを有罪とさえするのか。


ヨブは神様を責めました。

悪者を見逃しているってね。

それに罪を犯していない自分がどうしてこんな苦しみに遭わなきゃならないんだってね。



でもね、神様はそのヨブに対して何と言ってるかというと、「お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪にするために、わたしを有罪とさえするのか」ってヨブにおっしゃっています。

これ、強烈な言葉なんだけど、でも真理なんですよね。

だってね、ヨブが語ってきたことって、結果的に神様と同レベルに、いや、それどころか神様よりも上に自分を置いて、神様を罪に定めていることなんですからね。



神様はそれに対して、「お前が神にも劣らぬ腕をもち、神のような声をもって雷鳴をとどろかせたら、すべての驕り高ぶる者、神に逆らう者を打ち倒し、一人残らず塵に葬り去り、墓穴に放り込んだら、わたしはお前をたたえよう」っておっしゃいました。

「お前が自分の右の手で勝利を得たことになるのだから」(14)ってね。



これ、神様にとっては朝飯前のこと、神様は全知全能のなるお方、すべてを創造され、すべてをご自分の御手で治めておられるお方、どんな地上の悪人であっても、神様の権威の前には何一つ刃向かうことは出来ません。

雷鳴、自然界もまた神様が創造され、治めておられます。

だから、ご自分の権威で、その権威に満ちた声で雷鳴をとどろかすことなど、いとも簡単であり、それだけの権威に満ちたお方です。



もしヨブが神様と同レベルで、神様を裁く権威があるのであるなら、これらのことをヨブも出来なければなりません。

でも、ヨブには、こんなことは出来ません。

神様は、こうやってヨブに自分の内面を見せて、悔い改めへと導いておられるんですね。




これ、すごく思わされるんですが、ヨブと同じ事、私たちもやってるなぁって感じます。

自分の思い通りにならないとき、道がふさがれてどうしようもないとき、病が癒やされず、苦しみと悲しみの中に入れられているとき、ヨブみたいに「神様、どうしてですか!あなたが愛なるお方なら、どうしてこういう苦しみにいられているんですか」って、神様に祈ってないかなって、すごく探られます。


でも、これ、実は自分を神様と同レベル、いやヘタしたら神様よりも上に置いて、神様は愛のお方だから道を開かなければならない、病を癒さなければならないって、神様を罪定めしたり、自分の理想へとコントロールしてるんですよね。

今回、この箇所を味わいながら、すごく自分が怖いなっていうことと、神様の権威に全幅することの大切さを実感しました。



神様はご自身の権威をもって、私たちを導かれ、私たちに対するご計画を持って、その意図に即して導いておられます。

その神様の主権に服し、試練の中で主に信頼し、安息すること、これが信仰者の姿なんですよね。

そして、これがキリストの弟子のスタイルなんですね。



今回、そのことをみことばを通して教えられました。

主に身をゆだね、主の優しい御手の中で、主になしていただきましょうね。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-24 (Fri)

しもべとしてのライフスタイル

しもべとしてのライフスタイル

こんにちわ~今日、二つ目の投稿です。今回は、旧約聖書のヨブ記からの分かち合いです。ヨブ記40:1~5ヨブに答えて、主は仰せになった。全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責め立てる者よ、答えるがよい。ヨブは主に答えて言った。わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます。ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、もう繰り...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日、二つ目の投稿です。


今回は、旧約聖書のヨブ記からの分かち合いです。

ヨブ記40:1~5
ヨブに答えて、主は仰せになった。

全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。
神を責め立てる者よ、答えるがよい。

ヨブは主に答えて言った。

わたしは軽々しくものを申しました。
どうしてあなたに反論などできましょう。
わたしはこの口に手を置きます。
ひと言語りましたが、もう主張いたしません。
ふた言申しましたが、もう繰り返しません。

38章から始まった、神様のヨブへの質問の締めくくりです。

「全能者と言い争う者」って、これ、ヨブのことですよ。

「神を責め立てる者」もそう。

ヨブはこれまで、神様が自分と争っているって、二回も言っています(10:2、23:6)。

だから、そのヨブに対して逆に、神様は「全能者である神と言い争い、責め立てているヨブよ、なぜ黙っているのか、このまま引き下がるつもりか!」って、おっしゃっているんです。



でもね、「どうなんだ!」って言われても、もうヨブには何も答えられません。

だって、神様の御業なんて何一つ出来ないし、神様は被造世界をお造りになり、支配し、コントロールされている全能なるお方、このお方に被造物に過ぎないヨブは何も答えられません。


このときのヨブの心は、自分が如何に小さくて、何も出来ない存在で、取るに足らない者なんだって痛感していました。

だからね、「ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、もう繰り返しません」って、口に手を置き、「どうしてあなたに反論などできましょう」と語った後、このように語ったんです。

ヨブは、これまで、三人の友人との会話の中で、如何に自分が軽々しく語って来たのかを痛感しています。

自分のちっぽけさ、弱さ、愚かさを嫌というほど教えられ、なんと愚かな、軽々しいことを言ってきたのだろうって後悔しています。



でもね、ヨブに足りないことがひとつだけあります。

それはね、悔い改め。

彼は後悔して口は塞いだんだけど、神様の前に悔い改めはしていません。


悔い改めと後悔って違いますよね。

ヨブは確かに、神様の前に自分の愚かさや小ささを教えられ、後悔しています。

だから、もう口を塞ぎますって語っています。

でもね、これ、悔い改めじゃないです。



ここで、ひと言言うと、この時点ではイエス様は十字架にかかられていないし、ヨブはイエス様のイの字も知りません。

だから、イエス様の十字架の赦しを求めることも、十字架にかかられるのを待ち望むことも出来ません。

でもね、このヨブに与えられている範囲で悔い改めるとき、ヨブの罪は赦されます。

そして、ヨブは義人で、今、天国にいます。



で、悔い改めって、罪を悔いたり、神様の赦しを乞うことだけじゃなくて、その罪から離れ、方向転換すること、つまり、神様以外の何かでやってきたことを放棄し、手放し、神様に向きを変えることです。

この40章1~5節には悔い改めは一切記されていません。

だから、そんなヨブに神様は更に厳しい質問を投げかけます。



ぼくたちも注意しないと、ヨブみたいなこと、しちゃうと思います。

神様の前に罪の告白をし、赦しを求め、十字架の赦しを受け取ります。

でも、同じ罪を犯してしまう。。。

そこには、イエス様の十字架で赦されているっていうことで、大丈夫っていう思いがどこかにあるんじゃないのかなって思うんです。

ごめんなさい、厳しいこと言って。。。



私たちがすることって、そうじゃなくて、聖霊の助けを求め、その罪の世界から向きを変えることなんです。

自分も含めてだから、厳しいこと言ってるんですが、どっかで甘えっていうか、十字架の赦しを簡単に捉えているんじゃないのかなぁって感じます。

そして、イエス様は私たちの友だっていうみことばが一人歩きし、親友だもんって、畏れが無くなっているんじゃないのかなって感じます。



ぼくらはもう一度、神様を畏れるということを考える必要があると思います。

もちろん、あれやったら裁かれる、これやったら裁かれるってオドオドする必要はないし、逆にイエス様ご自身を味わい、楽しむべきです。

でもね、親友であると同時に、全能者であり、ぼくらは被造物なんだっていうこと、そして神様の権威がわかるとき、私たちの立つべきスタンスも自ずと変わってくると思います。



神様が求めておられること、それは罪から解放され、罪のしもべとして縛られていたその縛りから解放され、自由とされた私たちが、今度は自発的にイエス様のしもべとさせていただくことです。

イエス様に従うしもべとしてのライフスタイル、イエス様の弟子としてのライフスタイルです。

これはイエス様の前に恐れおののくことではありません。

しもべとしてのライフスタイル、求めていきましょうね。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。。

でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-23 (Thu)

裸になろうよ♪

裸になろうよ♪

こんにちわ~今日も無事終わりました。そして今週も半分が過ぎました。そして、6月も後1週間と1日なんです、はやっ与えられている時間って限りがあるし、あっという間に過ぎちゃうから、大切に、そして神様から任されている働きを忠実にしていきたいですね。このところ、ヨブ記のことをブログで書いてます。今朝もヨブ記、味わったんですが、ヨブ記を味わう中で感じること、それは自分の内面にメスが入れられているなぁっていうこ...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日も無事終わりました。そして今週も半分が過ぎました。

そして、6月も後1週間と1日なんです、はやっ

与えられている時間って限りがあるし、あっという間に過ぎちゃうから、大切に、そして神様から任されている働きを忠実にしていきたいですね。



このところ、ヨブ記のことをブログで書いてます。

今朝もヨブ記、味わったんですが、ヨブ記を味わう中で感じること、それは自分の内面にメスが入れられているなぁっていうこと。

神様の前では、何も知らないし、無能だし。。。。

ただただ神様の一方的な愛で、生かされ、支えられているんだなぁっていうこと。



以前、「神様の愛の深さ」っていうタイトルで書きました。

この日の朝というか、夜中というか、夢を見ていたんです。

でね、その夢、内容は忘れちゃったんですが、一つ、未だ記憶していることがあるんです。

っていうか、ブログで書いてるから覚えてるんでしょうね。


それはね、誰だかは忘れちゃったというか、わかんないんですが、ぼくがその人と話してて、話の流れで「裸になればいいじゃん」って言ったんです。

温泉とか、スパとかに行くと、当たり前だけど、みんな全裸ですよね。

でね、まっ、温泉に行く度に思うんですが、服を脱いで全裸になったら、その人の地位とか、立場とか、どれだけスキルがあるかとか、お金があるか、無いかとか、そんなの全く関係ないんだなってね。

普段は立派な服を着て、それなりに地位があったとしても、服を脱いで全裸、真っ裸になったら、生まれたままの姿になったら、他の人と何一つ変わらないんです。

温泉に入って、周りの人をぼんやり見ながら、そんなことを思ってて、おそらく夢の中の会話でそれが反映されたんでしょうね。


でもね、実は神様の前に出る時って、まさにこれなんじゃないのかなぁって、最近、しみじみ思わされてるんです。

神様の前に出るとき、そしてクリスチャンライフを送る中で、立派な服、まっ、霊的な立派な服を着飾っていているんだなぁってすごく思わされているんです。

そして、霊的な意味ですよ~(笑)、裸になればいいじゃんって思うようになったんです。


それはどういう意味かというと、いろんなプライドとか、見栄とか、人に悪く思われたくないとか、本当の自分を知られたくないとか、そういう服を脱いで、全裸になったとき、はじめて神様に依り頼むということが出来るようになるんだなってね。

素っ裸な、弱々しくて、ボロボロに傷ついて、不安と恐れがいっぱいな、そんな自分、それを認め、神様の前に出るんです。

背伸びして立派なクリスチャンを演ずる必要なんてこれっぽっちもないです。

ただ、弱さのままで主の御前に出るんです。


ヘブル書にはこうあります。

ヘブル人への手紙4章15~16
この大祭司(これはイエス様のことです)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではないか。


今、イエス様は大祭司となられ、天の御座に着座され、父なる神様に大祭司として執り成し祈り続けてくださっています。

この箇所では「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」ってありますが、でもね、イエス様の試練って、ぼくたちの試練なんかより、遙かに大きな試練でした。

ユダヤ人の王として来られたのに、彼らには受け入れられず、十字架にかかられました。

そして、十字架上で、父なる神様からも見捨てられ、これ以上の孤独は無いというだけの苦しみ、試練に遭われたのがイエス様、それはみんな私たちの罪のためです。


あぁ、このイエス様の前で弱い、へなちょこなまんなで、カッコつけずに出られること、イエス様ご自身が愛に満ちた手を広げてくださっていること、これ以上の恵みはないですよね。



そういうことで、霊的に裸になること、これはとっても大切なことだと思います。

自分が良く思われたいとか、笑われたらどうしようとか、信用なくしちゃうんじゃないだろうか、プライドが許さないとか、嫌われたくないとか、友だち無くしたくないとか、そういう服をぜ~~~んぶ脱ぎ去って、裸になってイエス様の御前に出て、イエス様の愛に満ちた御手の中に飛び込んでいきましょうね。

もちろん、簡単じゃ無いかもしれません。だってね、それが週感づいてるし、自分の堅い殻ってなかなか割れないですもんね。

でも、冒頭でも書いたけど、ヨブ記を味わう中で、改めてこの裸になることの大切さを実感するんです。

お互いに弱さを認め、受け入れ合い、そのまんま、まさに裸で神様の優しい御手の中で安息しましょう


祝福を祈ります。。。

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-22 (Wed)

雌獅子や烏を養う神様の愛深さ。。。

雌獅子や烏を養う神様の愛深さ。。。

こんにちわ~ 今日もみことばの分かち合い、しますね。今、旧約聖書のヨブ記を味わっています。ヨブ記38章から、神様が登場され、ヨブに語っています。でも、ヨブの疑問に答えるのではなく、ヨブには不可能なことが出来るかという質問です。それはみんな、ヨブのためで、神様の前ではヨブは何も出来ないし、そんなヨブが全能者である神様を、まるで法廷で告訴するような行為は愚か極まりないことだっていうことをわからせるためで...

… 続きを読む

こんにちわ~ 

今日もみことばの分かち合い、しますね。


今、旧約聖書のヨブ記を味わっています。

ヨブ記38章から、神様が登場され、ヨブに語っています。

でも、ヨブの疑問に答えるのではなく、ヨブには不可能なことが出来るかという質問です。


それはみんな、ヨブのためで、神様の前ではヨブは何も出来ないし、そんなヨブが全能者である神様を、まるで法廷で告訴するような行為は愚か極まりないことだっていうことをわからせるためです。



で、38章38節まで、自然界の現象について、ヨブに質問をされていましたが、39節から39章の終わりまで、いろんな動物についての質問に切り替わります。

合計12種類の動物が出て来ますが、これはその動物に対する神様の愛であり、創造の御業の素晴らしさが綴られています。

そんな動物に対しても、ヨブは無知であり、何一つ出来ていないということが、この質問から突きつけられます。


ヨブ記38:39~41

お前は雌獅子のために獲物を備え、その子の食欲を満たしてやることができるか。

雌獅子は茂みに待ち伏せ、その子は隠れ家にうずくまっている。

誰が烏のために餌を置いてやるのか。

その雛が神に向かって鳴き、食べ物を求めて迷い出るとき。
 

お前は雌獅子のために獲物を備え、その子の食欲を満たしてやることができるか(38節)


お前ってヨブのことですよ。

「ヨブよ、お前には出来るのか?」って、ここで神様は質問を突きつけています。


ヨブにこれ、出来ると思いますか?出来ないですよね。

だって、雌獅子に対して獲物を与えるどころか、襲われる危険性がめっちゃあるので、雌獅子から避けているのが実際ですよね。

そんな獲物を与えようものなら、逆に襲われてしまう可能性がありますもん。


でも、神様は違います。

神様は雌獅子のために獲物を与え、若い獅子の食欲を満たしてくださるお方です。



誰が烏のために餌を置いてやるのか(41節)


これもヨブには不可能ですよね。

そんな、烏ために餌を与えることもないし、烏の子を養うなんていうこともありません。


烏の子って、親鳥から忘れられてしまうこともあるそうです。

でも、烏の子はちゃんと生きます。

それは、神様が烏の子を養ったからです。


雌獅子も烏も、私たち人間よりも劣っています。

でも、神様はそんな雌獅子や烏をも愛され、養い、育ててくださっています。


じゃぁ、ましてや私たち人間を愛さないなんて、養わないなんてありえないことです。

神様はヨブに決して無視していたのではないし、愛さなくなったのでもないというメッセージを語っておられます。


ヨブはこれまで、神様にどうしてこうなったのかと、自分の運命を呪い、神様に問いただそうとしていました。

でも、ヨブは何も出来ないし、神様の働きなどまったく理解していないです。

神様のなさったことも、何一つ出来ないです。

そんな神様の前ではヨブは沈黙するしかありません。



これね、ぼくたちもおんなじなんですよね。

だって、この質問、ぼくたちに置き換えて問うてみたらわかりますよ。

このようなことは出来ないです。


神様の愛の深さの前に何も言う資格もないし、沈黙するしかありません。


そんな愛でぼくたちを養ってくださっているんです。



ルカ12:24

烏のことを考えてみなさい。

種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。

だが、神は烏を養ってくださる。

あなたがたは、烏よりもどれほど価値があることか。




神様はご自分の子どものことを絶対に見捨てるようなお方じゃないです。

神様の愛は常に同じ。


心を開いて、神様に信頼し、優しい神様の御手の中で養われましょうね

試練のただ中にあっても、神様は決して忘れていないし、愛の御手を伸ばし続けています。


ぼくたちに必要なのって、「どうして」の祈りを止めて、「主の御手に信頼します」っていう祈りに切り替えることだと思うんです。

って、自分に言い聞かせている部分もあるんですけどね


さぁ、ご一緒に主の優しい御手の中で安息しましょう



祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~


 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-19 (Sun)

マリアの信仰を通して

マリアの信仰を通して

こんにちわ~今日、二つ目の投降です。ベタニアのマリアってわかりますか?聖書にはマリアさんがいっぱい出て来て、どのマリア????って思っちゃうかもしれませんね。ベタニアのマリアって、姉妹にはマルタがいて、兄弟には蘇生したラザロがいたあのラザロ。マルタとマリアのマリアって言った方がわかりやすいですね。ベタニアのマリアってベタニアに住んでるマリアっていう意味で、そういう表現にしています。でね、このマリア...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日、二つ目の投降です。


ベタニアのマリアってわかりますか?

聖書にはマリアさんがいっぱい出て来て、どのマリア????って思っちゃうかもしれませんね。

ベタニアのマリアって、姉妹にはマルタがいて、兄弟には蘇生したラザロがいたあのラザロ。

マルタとマリアのマリアって言った方がわかりやすいですね。


ベタニアのマリアってベタニアに住んでるマリアっていう意味で、そういう表現にしています。



でね、このマリア、マルタは一生懸命に給仕してる人で、マリアはイエス様の足下でイエス様のお話を聞いている人っていう印象だと思います。

イエス様を愛し、イエス様がメシアだということをマリアは受け入れ、イエス様のおっしゃられたことばを一字一句聞き逃さないよう、真剣に聞いていたことでしょうね。



で、ヨハネ12章をみると、イエス様は過越の祭りの六日前に、そのベタニアに行かれました。

そのとき、このマリア、高価で、大切にしていたナルドの香油をイエス様の足に塗り、彼女の髪の毛でその足をぬぐったんです。

それに対して、イエス様はこうおっしゃったんです。


ヨハネ12:7~8

イエスは言われた。
「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだ
貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」


マリアはなんと、イエス様が十字架で死なれることをちゃんと理解していたんです。

それで、彼女はイエス様の埋葬のために、高価なナルドの香油をイエス様の足に惜しげも無く注いだんです。


でね、今日、一つのことがわかり、はっとしたんです。

それはね、イエス様の十字架と埋葬のシーンに、他のマリアや女性は登場しますが、このベタニアのマリアは一切登場していないということです。

彼女の登場シーンは、この箇所が最後です。


何がハッとしたのかというと、彼女はイエス様が十字架にかかり、埋葬すること、それだけじゃなくて、イエス様が復活することをちゃんと理解していたのだろうっていうことです。

だから、安息日の翌日の明け方、つまり日曜日の明け方、他のマリアはイエス様が埋葬されたお墓に行きましたが、ベタニアのマリアはそこにいなかったんでしょう。

ベタニアのマリア以外の女、それだけじゃなくて、ペテロを筆頭とした弟子たちもみーーんなイエス様が復活することを理解せず、信じもしていませんでした。

イエス様はちゃんと弟子たちに話したのにねぇ。。。


でも、ベタニアのマリアだけは違います。

彼女は他の女たちが出来なかった、イエス様の埋葬をちゃんとやったんです。

そして、復活まで理解していたんです。


ベタニアのマリアがどうして、イエス様の埋葬の準備をすることが出来たのかというと、彼女は常にイエス様のそばでイエス様のお話を聞いていたからです。



私たちもそうなんですよね、あの奉仕、この奉仕以上に、みことばを聞くこと、これ以上に大切なことはないし、みことばを学ぶことこそ、健全なクリスチャンライフ、免疫力に強いクリスチャンライフを送る鍵なんです。


ベタニアのマリアの信仰、本当に見習いたいですね。

そして、みことばを愛し、みことばを慕い求めるクリスチャンライフ、送りましょうね。


祝福を祈ります。

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~


 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-19 (Sun)

梅雨の一コマ その2

梅雨の一コマ その2

こんにちわ~今日は暑かったですねぇ~一ヶ月くらい先に行って、もう梅雨明け?って思っちゃうような陽気でした。とはいうものの、まだ暫くは梅雨は続くんですよね。。。で、梅雨と言えば紫陽花、そこで紫陽花を紹介します。っていうか、実は先週、紫陽花を見に行って、その時なんですけどね。先週、紫陽花が開花しだしたってテレビで見て、たぶん今行かないとピークは終わっちゃうなって思って、それで行ったんです。これ、紫陽花...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日は暑かったですねぇ~

一ヶ月くらい先に行って、もう梅雨明け?って思っちゃうような陽気でした。

とはいうものの、まだ暫くは梅雨は続くんですよね。。。



で、梅雨と言えば紫陽花、そこで紫陽花を紹介します。

っていうか、実は先週、紫陽花を見に行って、その時なんですけどね。

先週、紫陽花が開花しだしたってテレビで見て、たぶん今行かないとピークは終わっちゃうなって思って、それで行ったんです。






これ、紫陽花ですよ~~~

すごくないですか~

ハート型の紫陽花です。珍しいでしょ~~~



で、その他の紫陽花です。


























こんな感じです。

とっても癒やされました。

そう、それと一番下の紫陽花、わかります?ハートがありますよ~


神様の創造の御業です。

こうやってじめじめした季節に、こんなに素敵な花をお造りになられ、主の愛と慰めを実感します。

主よ、心から感謝します。


梅雨明けまで、まだ一ヶ月くらいあると思います。

暑さやジメジメに負けず、水分と栄養あるものを補給して、乗り切りましょうね


祝福を祈ります。

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~



 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-18 (Sat)

本当の自分の姿

本当の自分の姿

こんにちわ~今日もみことばの分かち合いをしますね。今日もヨブ記です。38章1節から、ついに神様が現れ、ヨブに語っています。でも、それはヨブの質問に答えるという形じゃなくて、逆に神様がヨブに質問、というか、詰問と言った方がいいかもしれませんね、それだけご自身の権威を持って、ヨブに問いただしています。そして、神様のヨブへの質問が4節から始まります。今日はその4節から15節を味わいました。神様はヨブに「わたし...

… 続きを読む

こんにちわ~


今日もみことばの分かち合いをしますね。

今日もヨブ記です。


38章1節から、ついに神様が現れ、ヨブに語っています。

でも、それはヨブの質問に答えるという形じゃなくて、逆に神様がヨブに質問、というか、詰問と言った方がいいかもしれませんね、それだけご自身の権威を持って、ヨブに問いただしています。


そして、神様のヨブへの質問が4節から始まります。

今日はその4節から15節を味わいました。


神様はヨブに「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。知っていたというなら、理解していることを言ってみよ」っておっしゃっています。

そうなんですよね、これにはヨブは答えられませんよね。

だって、神様が大地を据えた、つまり神様がこの地を創造されたとき、ヨブはまだ生まれていないし、この世にいませんでしたからね。

神様はね、ヨブに、神様の創造の御業を理解できないような者が神様と論争なんかできないっていうことをここでおっしゃっています。



で、7節では「そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らは皆、喜びの声をあげた」ってあります。

この地が完成したとき、天の星々は喜び賛美し、神の子、つまり天使たちは歓声を上げたんです。

ヨブはそのことを知りません。



ヨブ記38:8~11

海は二つの扉を押し開いてほとばしり、母の対から溢れ出た。

わたしは密雲をその着物とし、の有無をその産着としてまとわせた。

しかし、わたしはそれに限界を定め、二つの扉にかんぬきを付け、「ここまでは来てもよいが超えてはいならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。


これ、海が出来、陸地と海とをわけられた時の描写で、海を赤ちゃんに例えておられます。

かつて、地の表面は水で覆われていましたが、神様は陸と海とに境界を設けられ、乾いた地を出現されました。

そのときの描写で、海の上を密雲で覆われました。

その密雲がまるで赤ちゃんが着る産着のようだって、神様はおっしゃられました。

きっと「あの時そうだったなぁ」っていう、神様の回想シーンですね。


でも、これもヨブは知りません。


結局、神様のなさったことは、ヨブは何も知らないんです。




で、ここで神様はヨブに質問しています。


ヨブ記38:12~15

お前は一生に一度でも朝に命令し、曙に役割を指示したことがあるか、

大地の縁をつかんで、神に逆らう者どもを地上から追い落とせと。

大地は粘土に型を押していくように姿を変え、すべては装われて現れる。

しかし、悪者どもにはその光も拒まれ、振り上げた腕は折られる。


夜の闇は悪者が動き回る時間、そうですよね、今は必ずしもそうじゃないかもしれないけど、一昔前までは泥棒というと夜、寝静まったころにっていうイメージ、ありますよね。

そのように、悪者の活動する時間帯をここで闇だって言ってるんです。

悪者は真っ暗な闇の時間である夜に活動するので、朝、つまり明るい光の時間帯は活動出来ません。

だから、神様はヨブに「お前は一生に一度でも朝に命令し、曙に指示したことあるか?」って質問されたんです。


神様は闇も光も、朝も夜もご自身が管理されています。だから、朝に命令し、曙に役割を示すようなことは朝飯前、日常のことです。

それをヨブに出来るかって問いただしているんです。



神様、そんな意地悪な~、ヨブができっこないようなことばっかり聞いて~~~って思う人もいるかもしれませんね。

でもね、神様は決して意地悪でヨブに質問してるんじゃないんです。

ヨブに自分がどれだけの者かということをわからせようと、そうされているんです。


これまでのヨブの発言をみると、まるで神様と対等な関係で、神様がどうして自分をこんな目に遭わせるのか答えて欲しいって、まるで裁判にかけているように言ってましたよね。


でもね、神様と対等なんて、そんなことあり得ないですよね。

神様はヨブに現実を突きつけたんです。



ぼく自身どうなんだろうって思わされます。

無意識のうちに、神様と対等なんて思ってないのかなってね。。。


神様の前では、ぼくなど何者でもないし、何にも出来ません。

小さな小さな存在。


思うんですが、そこから始めて、前に書いた「畏れ敬うライフスタイル」が始まるんですよね。

そして、神様に全幅の信頼を置いて、神様の優しい御手の中に留まるとき、神様がすべてを治め、してくださる。

ぼくはじーっと見てるだけでOK



もちろん、動揺することや恐れ動いちゃうこともあります。

でもね、そうやって一歩一歩変えられ、まさに畏れ敬うライフスタイルへと変えてくださる。

神様は、試練のただ中で食卓を整えてくださるお方です。


そんなことを今日一日思い巡らしました。

あぁ、主よ、感謝します


祝福を祈ります。

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~






 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-06-17 (Fri)

クレーム人生を終わらせよう

クレーム人生を終わらせよう

こんにちわ~今日もみことばの分かち合い、しますね。今、ヨブ記を味わっています。ヨブ記を味わうと、ヨブの痛み、苦しみが伝わってきます。すべてを失い、友だちに誹謗中傷をされ、傷ついたヨブ。そのヨブの葛藤を見ると、とっても辛いですね。でも、ヨブみたいな壮絶な体験じゃ無くても、多かれ少なかれ、誰も試練を通らされることはありますよね。そういう意味では、ヨブと同じ体験をみんなしてるんでしょうね。思うんですが、...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日もみことばの分かち合い、しますね。


今、ヨブ記を味わっています。

ヨブ記を味わうと、ヨブの痛み、苦しみが伝わってきます。

すべてを失い、友だちに誹謗中傷をされ、傷ついたヨブ。

そのヨブの葛藤を見ると、とっても辛いですね。



でも、ヨブみたいな壮絶な体験じゃ無くても、多かれ少なかれ、誰も試練を通らされることはありますよね。

そういう意味では、ヨブと同じ体験をみんなしてるんでしょうね。


思うんですが、試練に遭うとき、ヨブのように「どうしてですか!」って嘆き、呻きたくなります。

でも、ヨブ記を味わう中で、それって実は違うんだなぁって感じてます。


今日は、ヨブ記38章、いよいよ神様の登場です。

神様、ヨブに語りかけますが、冒頭の数節を読むだけで、神様の権威がビンビンと伝わって来ます。

 
 
ヨブ記38:1~3

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。

これは何者か。

知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。

男らしく、腰に帯をせよ。

わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。

 
 
ね、凄いでしょ。

ぼくたちは全員、何れ、というか、死んだら神様の前に立ちます。

その時、もはや神様に文句、クレームなんか言えるわけがありません。

おそらく立つことすら出来ないでしょう。

この数節を見るだけで、その権威、偉大さが伝わってきますね。

 

でね、神様はヨブに対して「知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは」って言ってますね。

ヨブは神様にクレームを付けているけど、実は何にもわかってないんです。


これね、ぼくたちもおんなじなんです。

今日の箇所を味わいながら、あぁ、自分もそうだなぁって、しみじみ思わされました。

それなのに、神様にクレームを入れて、あまりにも愚かだって痛感したんです。


ぼくたちは神様にクレームを入れるんじゃなくて、自分は何も知らないことを認め、その状況の中で主に信頼し、主を見上げることなんですよね。

文句を言っている間は何も変わらないし、もはや神様よりも上に自分を置いていることになります。

神様は決して意地悪なんじゃなくて、その口を閉じ、神様を見上げることを待っておられるんだと思うんです。


ぼく自身、いろんな不安や問題があります。どうしよう。。。っていうこともあるし、「主よ、扉を開き、道を示してください!」って祈ります。

でもね、その中で神様を見上げ、主に依り頼む、これなんですよね。

そう、主の御手の中に留まり、そこで、苦しいただ中で主の御手の中で安息するんです。

そして、主にしていただく信仰、これなんですよね。


そんなことをみことばを味わいながら、思わされました。


祝福を祈ります。

キリストの愛を込めて。。。。


でわでわ~

 
 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。