FC2ブログ

キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

Top Page › Archive - 2016年07月
2016-07-15 (Fri)

イエス様の愛にとどまろう

イエス様の愛にとどまろう

こんにちわ~今回もみことばの分かち合い、前回の続きです。ヨハネ15章を今学んでいますが、イエス様の愛ということについて、今日ご一緒にみことばを味わいたいと思います。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛した。わたしの愛の内にとどまりなさい。わたしが父の戒めを守り、その愛の内にとどまっているように、あなたがたは、わたしの戒めを守るなら、わたしの愛の内にとどまるであろう。(9~10)「父がわた...

… 続きを読む

こんにちわ~

今回もみことばの分かち合い、前回の続きです。

ヨハネ15章を今学んでいますが、イエス様の愛ということについて、今日ご一緒にみことばを味わいたいと思います。



父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛した。わたしの愛の内にとどまりなさい。
わたしが父の戒めを守り、その愛の内にとどまっているように、あなたがたは、わたしの戒めを守るなら、わたしの愛の内にとどまるであろう。(9~10)



「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛した」って、イエス様は言われました。

そう、私たちは愛されているんです。

その愛は父なる神様がイエス様を愛されたその深い深い愛です。


父なる神様とイエス様の愛、それは誰も入り込む余地が無い深い愛です。

まさに父なる神様とイエス様は一つとされていて、常にイエス様は父なる神様の内にとどまっていました。

だから、イエス様の祈りは常にきかれ、かなえられていました。

イエス様は常に父なる神様の御心を知り、御心のままに行動されましたから。


その愛で私たちは愛されているんです。

そしてイエス様の私たちへの愛は、私たちが通常愛する愛とは大きく違います。


私たちが通常愛する愛って、何か条件付きの愛ですよね。

たとえば、相手が親だからとか、子どもだからとか、兄弟だからとか、身内だからとか、夫、妻だからとか、彼氏、彼女だからとか、友だちだからとか。。。

いや、違う!って言う人は、、、いるのかなぁ。。。。

だってね、もし赤の他人で、その人に関心も無く、何か酷いことをした、そういう人を愛せますか?

無差別殺人をしたとか、何か悪事を働いたとか、自分に被害が及んだとか、そういう場合。。。

これが私たちの愛の限界なんです。


でもね、イエス様の愛は違うんです。

だってね、罪に満ちた、愛も欠けだらけの私たちのために、十字架にまでかかれたその愛ですよ。

イエス様の愛は、その人がどうであっても関係無く愛してくださる無条件の愛で、無尽蔵の愛なんです。

その愛で愛しているよってイエス様はおっしゃっています。


イエス様は言われました、「わたしの愛の内にとどまりなさい」って。

私たちはそんなに愛されているんです。だから、そのイエス様の愛の内にとどまるんです。


じゃぁ、イエス様の愛の内にとどまるのってどういうこと?

それは、イエス様の戒め、つまり新約聖書で命じられている「キリストの律法」と言われる愛の戒めに応答し、守ることです。

その時、イエス様の愛の内にとどまっているんです。


クリスチャンライフの究極的なゴール、それは天のお父様の栄光が現れることです。

そして、私たちがイエス様の戒めを守り、みことばを心に留め、イエス様の内にとどまるとき、そのことによって父なる神様は栄光を受けられるんです。


私たちは礼拝者です。

礼拝者のライフスタイル、それはイエス様の内にとどまること、みことばを真剣に学び、応答すること。

そのことによって主をあがめ、御父の栄光を現しているんです。


さあ、ご一緒にイエス様の内にとどまる歩み、してきましょう。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~(´ー`)/~~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-14 (Thu)

祈りの秘訣

祈りの秘訣

こんにちわ~今日もみことばの分かち合い、しますね。今日も前回の続き、ヨハネ15章からです☆ヨハネ15:7~10あなたがたがわたしの内にとどまり、わたしの言葉があなたがたの内にとどまるならば、望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛した。わたしの愛の...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日もみことばの分かち合い、しますね。

今日も前回の続き、ヨハネ15章からです☆



ヨハネ15:7~10
あなたがたがわたしの内にとどまり、わたしの言葉があなたがたの内にとどまるならば、望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛した。わたしの愛の中にとどまりなさい。

わたしが父の戒めを守り、その愛の内にとどまっているように、あなたがたは、わたしの戒めを守るなら、わたしの愛の内にとどまるであろう。



あなたがたがわたしの内にとどまり、わたしの言葉があなたがたの内にとどまるならば、望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

イエス様は言われました、「望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる」って。

だから、そのまま何でも祈って願っていいとなると、ちょっと待ってってなります。

だって、その前提条件があるんですもんね。


この前に「あなたがたがわたしの内にとどまり、わたしの言葉があなたがたの内にとどまるなら」がそれです。

そう、「私たちがイエス様の内にとどまっているなら、そしてイエス様のみことばも私たちの内にとどまっているなら、そうしたら何でも求めたらいいんだよ、かなえられるからね」っていうことなんです。


こういう人って、どういう人でしょうか?

それはイエス様の御心を第一としている人、そしてイエス様のみことばが心の深いところにしっかりと入っている人、そういう人の願う祈りって、まるで子どもの「あれ買って、これ買って」みたいに、自分の願いや願望をお願いする人でしょうか?

違いますよね。まずイエス様の御心は何か、何が必要なのか、それを大切にし、その上で願う人です。

だから、自動的に神様の御心にかなっているから、そういう人の祈りはきかれるんです。


マタイ6章10節にこうあります。

御国が来ますように。
御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。

ここには、自分の喜びのためとか、自分の働きが成功しますようにとか、自分にベクトルが向いている部分がないですよね。

クリスチャンの祈りってこれだと思うんです。

「まず神様の御心を」です。


でも誤解しないでくださいね。

たとえば受験生で「志望校に合格しますように」って祈っちゃいけないとか、
病の中にある人に癒やしの祈りをしちゃいけないとか、
今やっている仕事が上手くいきますようにとか、
そういう祈りをしちゃいけないっていうことではないですよ。


問題は、そこに対する「神様の御心」はどうなのかということなんです。

イエス様の内にとどまっている人は、イエス様の御心を中心に考えます。

だから、そういう祈りにしてもそうです。

それこそ、この人とお付き合いしたいとか、結婚したいとか、そういう場合もそうなんです。


そして、イエス様の内にとどまっている人の特徴は、イエス様のみことば、つまり聖書のみことばがとどまっているということです。

だって、みことばを知らなかったら、どうやってイエス様の御心を知るんですか?

心に語られた、それ、本当にイエス様ですか?サタンも語りますよ~

ある人が祈りの内にそう言われた、ある集会で預言を受けた。

それ、本当にイエス様から来ていますか????

そういうものに頼るほど、危険なことはありません。

多くは偽りの言葉であり、場合によっては占いと同じことです。



私たちは聖書のみことばに真剣に向き合い、みことばを学ぶことにもっともっと飢え乾き、求めるべきです。

だって、イエス様ご自身がご自身のことばを内にとどめるようにっておっしゃったんですからね。



そして、そうやってイエス様の内にとどまり、聖書のみことばを真剣に学び、みことばに日々応答する人は、その祈りがきかれることによって豊かに実を結び、そのことによってイエス様の弟子であることが証明されるんです。

そして、そのことを通して、父なる神様が栄光を受けられるんです。


ご一緒にイエス様の内にとどまる歩み、みことばの真理を真剣に学び求める歩み、していきましょうね☆


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~(´ー`)/~~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-13 (Wed)

偽りのことばに耳をかさないで!

偽りのことばに耳をかさないで!

こんにちわ~今回は前回の続き、大事な箇所の分かち合いをすることが出来なかったので、それをします。ヨハネ15:5~6わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしの内にとどまっていない人がいれば、枝のように投げ捨てられて枯れる。そして集められ、火に...

… 続きを読む

こんにちわ~

今回は前回の続き、大事な箇所の分かち合いをすることが出来なかったので、それをします。



ヨハネ15:5~6
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
わたしの内にとどまっていない人がいれば、枝のように投げ捨てられて枯れる。そして集められ、火に投げ込まれて焼かれる。



人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

私たちがイエス様の内にとどまること、更にイエス様も私たちの内にとどまっている状態、これが豊かな実を結ぶことだって、ここでイエス様はおっしゃっています。



ヨハネ14章20節で、イエス様はこう言われました。


かの日には、わたしが父の内におおり、あなたがたがわたしの内におり、わたしがあなたがたの内にいることを、あなたがたは知るであろう。


この15章5節のみことば、「人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば」っていうみことば、まさにこの14章20節のみことばの状態ですよね。

私たちはイエス様の内にとどまる。そしてイエス様が私たちの内にお住まいにり、とどまっていてくださる、まさにこの状態です。



それって頑張ってすることじゃないですよね。

だってね、5節の終わりにこうあります。

わたしを離れては、何もできないからである。


そうなんです、イエス様を離れては何も出来ないんです。

だってね、冷静に考えてみてください。

ぶどうの枝って、より多く養分が回ってくるようにがんばってますか?

努力して、大きくて甘い実を成らせようと、枝は努力してますか?

ぶどうの木のために!ってがんばってますか?

何にもしてないですよね。


努力するのは枝じゃなくて、農夫です。

農夫は誰ですか?そう、父なる神様です。

父なる神様が丹精込めて育ててくださっているんです。

落ち込んだり、悲しい思いになり、土の中に埋まってしまっているような状態の時は、優しい御手で持ち上げて、愛の光を、優しい命の風が当たるようにしてくださる。

こうやって豊かな実を実らせることとなるんです。



ぼくたちはイエス様の内にとどまること、ただそれだけなんです。

ほんと、力を抜いて、イエス様の内にとどまり、父なる神様に育てていただきましょうね。

その姿って、小さな小さな子どもがパパに抱っこ~~~って甘えている姿そのものです。

大好きなパパに信頼しきって、抱っこしてもらって甘えているあの姿、まさにこれです。

子どもはパパに気に入られようと努力、してないですよね。

それはパパを信じてるし、信頼してるから。


ぼくたちも同じ。イエス様の内にとどまり、その優しい愛の御手の中で甘えればいいんです。

ぼくたちがイエス様の内にとどまるとき、イエス様もぼくたちの内に住んでいてくださっている。

これがぼくたちとイエス様との愛の関係です。




さぁ、6節です。

またまた恐怖の箇所に入りました。

わたしの内にとどまっていない人がいれば、枝のように投げ捨てられて枯れる。そして集められ、火に投げ入れられて焼かれる。

このみことばも恐ろしいですよね。

だって、イエス様の内にとどまっていなかったら、枝のように投げ捨てられて枯れちゃう。そしてなんと火に投げ入れられて焼かれちゃうんです!

どうしよう。。。ちゃんとイエス様の内に留まってなかったら。。。
「火に投げ入れられて焼かれる」っていうことは、地獄行きかぁ。
うーん、ちゃんとイエス様の内にとどまんなきゃ!!!

そうですよね、これを文字通りに解釈したら、そうなっちゃいますよね。

そして、残念ながら、この箇所を使って、イエス様の内にとどまらなきゃ,せっかく救われたのに、その救いが失っちゃいますよ!って言う人もいます。



じゃぁ、この箇所、どういうふうに理解すればいいんでしょう。

この箇所、鍵となることばがあります。それは「火に投げ入れられて焼かれる」ということばです。

「火に投げ入れられる」ということば、聖書の他の箇所ではどういうふうにして使っているのかです。

第一コリント3章11~15節にはこう書かれています。


イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。
かの日にそれは明らかにされるのです。
なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。
だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、焼きつきてしまえば、損害を受けます。
ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。


この箇所は、「キリストの御座の裁き」といって、信者の受ける裁きです。

でも、この裁きは地獄に行くかどうかの裁きではありません。なぜなら、一度救われたら、もう救いを失うことはないからです。

「ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」ってありますよね。

この裁きは、報償の裁きです。

イエス様以外の土台の上に何かを築き上げた人、自分の栄光だとか、まさにイエス様の内にとどまらず、自分の何かで達成したものです。

それらは火で焼かれるのです。

でも、その信者自身は、火の中をくぐり抜けて来た者のようにして、救いを受けるのです。

その姿は惨めでしょうね。だって、火の中をくぐり抜けて来た者のような姿ですからね。

そして、ある人は地上で生きていた時には「先生、先生」ともてはやされ、大教会を作り上げ、人々に影響を与えたような人でしょう。。。



イエス様がここで言われている「わたしの内にとどまっていない人がいれば、枝のように投げ捨てられて枯れ、集められ、火に投げ入れられて焼かれる」というのは、このキリストの御座の裁きの時のことを言われているんです。

だから、このみことばをもって救いが失われる可能性があるなどということは絶対にないんです。

それは、サタンの偽りです。

サタンは元天使長なので、ものすごく頭がいいです。そして実はサタンもみことばを知っているんです。

だから、サタンはみことばを使って誘惑してきます。

でも、これを読んでご理解頂けたことと思いますが、それは全部嘘、デマです。

そういう嘘に耳を貸してはいけません。


そして、私たちは安心してイエス様の中にとどまるんです。

そこにこそ自由があり、「わたしの平和」と言われたイエス様の平和で、平安で満ちているんです。

ハレルヤ!


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。。

でわでわ~(´ー`)/~~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-13 (Wed)

イエス様の内に留まることは

イエス様の内に留まることは

こんにちわ~今日もみことばの分かち合いです☆そして今回は前回の続き、「ぶどうの木とその枝」の箇所からの分かち合いです♪今回は今までと違う訳の聖書での分かち合いにします。実はね、新共同訳聖書が数年後(本当は先月発売って聞いてたんですけどね。。。)に販売する標準訳聖書(仮)のパイロット版を入手したので、それで分かち合いますね。ヨハネ15:4わたしの内にとどまりなさい。わたしもあなたがたの内にとどまる。ぶど...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日もみことばの分かち合いです☆

そして今回は前回の続き、「ぶどうの木とその枝」の箇所からの分かち合いです♪

今回は今までと違う訳の聖書での分かち合いにします。

実はね、新共同訳聖書が数年後(本当は先月発売って聞いてたんですけどね。。。)に販売する標準訳聖書(仮)のパイロット版を入手したので、それで分かち合いますね。



ヨハネ15:4
わたしの内にとどまりなさい。わたしもあなたがたの内にとどまる。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしの内にとどまっていなければ、実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
わたしの内にとどまっていない人がいれば、枝のように投げ捨てられて枯れる。そして集められ、火に投げ入れられて焼かれる。


わたしの内にとどまりなさい。わたしもあなたがたの内にとどまる。

イエス様は「わたしの内にとどまりなさい」っておっしゃいました。

ヨハネはこの「とどまる」っていう言葉を何度も何度も使っています。

なんとね、この福音書だけで40回も使っているんです。

で、その内、この15章だけでは11回使ってます。

で、ヨハネは手紙も書いているんですが、その手紙では27回使っています。


だから、ヨハネにとって、この「とどまる」っていう言葉はものすごく重要なワードで、彼の信仰そのものなんです。


イエス様は「わたしの内にとどまりなさい」っておっしゃいました。

そこにいた弟子たちは、神様から離れ、世俗化しているユダヤ人たちの中にあって、真の信仰者です。これを「イスラエルの残れる者」とか「レムナント」と言います。

その彼らは本当のぶどうの木であるイエス様の内にとどまることによって、豊かな実を結ぶんです。


ぼくたちもそうなんですよね。

イエス様の内にとどまること、これ以上大事なこと、いえ、これがクリスチャンライフのすべてなんだなぁって思います。



イエス様は繰り返し言われています。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ。

再度、イエス様は「人がわたしの内にとどまっており、わたしがその人の内にとどまっているならば、その人は豊かに実を結ぶ」っておっしゃいました。

このみことば、人によっては、「そうだ、イエス様の内にとどまらなきゃ!」って思っちゃうかもしれませんね。

でもね、イエス様の内にとどまることって、なんか祈り倒してっていう表現は語弊があるかもしれませんが、祈って祈って、がんばってつながるもんじゃないですよね。

そうじゃなくて、イエス様の内につながるっていうことは、その逆、つまり、自分は何も出来ない、自分の内には何も無いっていうこと、自分が無力だということを認め、受け入れることです。

だってね、「イエス様のために~~~~」ってがんばってるのって、それってイエス様の内にとどまっているんじゃなくて、自分の内にとどまっている姿です。


イエス様の内にとどまるって、お手上げ状態、降参状態で、イエス様に身を任せるっていうことで、その時初めてイエス様の内にとどまることが出来るんです。

だからね、がんばる必要はないんです。周りを気にする必要もないんです。

ただ「私の内には何もありません。イエス様、あなたの内にとどまります。私はあなたの命によって生かされている存在です」って、イエス様にお任せすればいいんです。


イエス様の内にとどまること、それは力を抜いて、イエス様に身を任せること。

その時、私たちを通して豊かに実を結ぶんです。

そして、イエス様の内にとどまることは、日々の歩みの中で、祈りを通して神様と交流すること、そしてみことばを味わい、みことばに聴き従うこと、賛美すること、クリスチャン同士の交わりを通してなどです。

そうやってお互いに祈り合い、励まし合いながら、イエス様の内にとどまるんです。

お互いにイエス様の内に留まる歩み、していきましょうね。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~



































 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-12 (Tue)

本当のぶどうの木 ~父なる神様の愛深さ~

本当のぶどうの木 ~父なる神様の愛深さ~

こんにちわ~今回もみことばの分かち合いをします。今日の箇所は、ヨハネの福音書15章、有名な「ぶどうの木とその枝」の話しからです。ヨハネ15:1~3わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは清くなっている。この「ぶどう...

… 続きを読む

こんにちわ~

今回もみことばの分かち合いをします。

今日の箇所は、ヨハネの福音書15章、有名な「ぶどうの木とその枝」の話しからです。



ヨハネ15:1~3
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

わたしの話した言葉によって、あなたがたは清くなっている。



この「ぶどうの木とその枝」の話、とっても素敵な内容なんですが、同時に多くの人が誤解をし、このみことばで苦しんだり、責められたりすることがあります。

でもね、実はそれは日本語の訳をそのまま受け取ってるからなんです。

当時の文化や聖書全体にはどう書かれているのかということを考えながら、この箇所を読むと、実はこれまでのイメージとは全く違った光が差し込んで来ます。

責めるどころか、恵みに満ちた甘い箇所なんです。



わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である

この箇所なんですが、イエス様はご自分が神だっていうことを「I AM」という形で表明されていますが、実はこの箇所もそうなんです。

「わたしはまことのぶどうの木だ」ってね。



さて、「わたしはまことのぶどうの木」ってあります。

「わたし」ってイエス様のこと、そうですよね。だって、イエス様のメッセージなんですからね。

イエス様は、ご自分がまことのぶどうの木だって言われてるんです。



「まことのぶどうの木」って何でしょう?

まず「ぶどうの木」なんですが、旧約聖書で「ぶどうの木」はイスラエルを指します。

詩篇80:8
あなたはぶどうの木をエジプトから移し、多くの民を追い出して、これを植えられました。

エレミヤ書2:21
わたしはあなたを、甘いぶどうを実らせる確かな根として植えたのに、どうして、わたしに背いて悪いぶどうに変わり果てたのか。

その他にもぶどうの木はイスラエルのことだって言っている箇所が幾つかあります。



上のエレミヤ書2章21節を見てください。

神様はもともとイスラエルを「甘いびどうを実らせる確かな根として」植えられました。

そして期待して、丹精込めて育てられました。

ところがイスラエルはというと、神様に背き、自分勝手な歩みをし、結果、甘いぶどうどころか、渋くて酸っぱいぶどう、食べることもワインにすることも出来ないようなぶどうとなってしまったんです。


イエス様は「わたしはまことのぶどうの木」だって言われました。

実はイエス様は、父なる神様がイスラエルに対してご計画されていたことを実現するため、イエス様ご自身が本当のぶどうの木となられたんです。

だから、イエス様につながるとき、甘くて美味しい実とされるんです。

神様のイスラエルへの深い愛の現れがこの箇所なんです。



で、さぁ、問題の箇所です。

わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

この箇所で多くの人が不安になります。

「実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる」
大丈夫かなぁ。。。私はまだまだ全然実を結んでないし。。。
最近、っていうか私の信仰って低空飛行だし、疲れてるしなぁ。。。
取り除かれないかなぁ。。。

またこの箇所から、イエス様の十字架と復活の福音を信じ受け入れたけど、その救いの恵みも、これからの信仰生活によっては取り除かれてしまうって言う人までいるほどです。



この混乱と恐怖の箇所、実際はどうなんでしょうか。

「取り除く」という言葉なんですが、原語であるギリシャ語では「アイロウ」というギリシャ語です。

実はこの動詞には「持ち上げる」「取り上げる」っていう意味があるんです。

たとえば、「ユダヤ人たちが石を取り上げて、イエスに投げようとした」っていう場合は、この「アイロウ」という動詞を使っています。

するとこの箇所はこうなります。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを持ち上げて、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

つまり、この訳にすると、「弱っている枝を持ち上げ、より多くの光と空気に触れさせることによって豊かな実をつけるようにしている」っていう意味になります。

なんか、これだと意味が全然違ってきますよね。



イエス様がおられた時代のパレスチナ、特にユダの産地でのぶどうの木の栽培って、日本も含めて、一般的に知っているぶどうの栽培法とは違うんです。

私たちの知っているぶどうの栽培法って、ぶどう棚を作って、そこに枝をからませて、ぶどうを栽培しますよね。

でもね、イエス様の時代のイスラエルのぶどうの栽培法は、地面に直接枝を地面に這わせているんです。

地面から直ぐに太い幹が出ていて、そして地面の上で枝分かれしていっているんです。

その枝に空気を与えるために、大きな石をその枝の下に敷き、その上に枝を寝かせながら、枝が這っていっているんです。

っていうのは、パレスチナの地形を考えればわかります。
水が少ないので、夜露、朝露が重要な水の供給源になっているんです。


だから、聖書の時代はぶどう棚を作って栽培するんじゃなくて、地を這わせてぶどうを栽培させているんです。

ただ、その枝もあまり地の中に潜っていると光が当たりません。
空気も当たりません。
もしその土に水分が十分あったら、せっかくの枝が腐っちゃうんです。

だから、そうならせないために枝を土の下から持ち上げて、枝の下に大きな石を置いて、そして風通しを良くし、空気に触れるようにするんです。



わかりますか。

もし私たちの信仰が停滞したり、落ち込んだり思いが沈んだら、傷ついたら、父なる神様は優しく、愛に満ちた御手で私たちを持ち上げ、風通しをよくしてくださいます。

そして、私たちを励まし、立たせてくださるんです。


そして、実を結んでいる人は、試練などを通して刈り込みをされ、更にもっと多くの実を結ばせるようにしてくださるんです。


この箇所、決して恐怖に陥れる箇所ではありません!!!

そうじゃなくて、如何に私たちを父なる神様が愛されているのか、私たちのために手塩に掛けて、愛を注ぎ、育ててくださっていることを教えてくださっているんです。

サタンの嘘に絶対に騙されてはいけません。



まことの、本当のぶどうの木、世の中にはいろんな偽りのぶどうの木があります。

クリスチャンであっても、必ずしもそれが本物とは限りません。

まことの、本当のぶどうの木であるイエス様につながっている私たちを父なる神様が優しく育ててくださるんです。



イエス様は言われました。
わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。

弟子たちはイエス様の言われた言葉によって、既に清くされています。

ぼくたちもイエス様がおっしゃったことばを信じるなら、永遠の救いを得られます。

そして神様から義と認められ、地上生涯を通して聖化、つまり日々聖くされ、徐々に徐々にイエス様の似姿に変えられ、将来、栄化、つまり栄光の体に変えられるんです。


イエス様がおっしゃったこのみことば、こんなに愛に満ちた、愛に溢れたことばなんです。

だからたとえ、自分は実を結んでない、まるで土の中に埋まってて、腐りかけている。。。
そんな風に思っているなら、安心してください。

父なる神様が優しく私たちを持ち上げ、もっと実を結ぶようにしてくださるんです。


神様はそれほどに、私たちを愛してくださっているんです。

まさに目に入れても痛くないほどにです。

そうやって私たちを手塩に掛けて育てて、愛を注ぎ続けてくださっている神様、その神様につながる歩み、していきたいですね。


そう、私たちは愛されてるんです、ハレルヤ☆



祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~(´ー`)/~~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-10 (Sun)

祈りの一日

祈りの一日

こんにちわぁ~今日は久しぶりの雨、昨日とは打って変わって涼しい日中。ところが夕方、雨が上がると、気温がグングン上がって、今夜は熱帯夜今、めっちゃ暑いです。変な一日でした。そんな一日でしたが、今日は東京の渋谷に映画を見に行きました。「祈りのちから」という映画です。 この映画、おっと、あぶないあぶない、思わず内容を言いそうになりますが、安心してください、言いませんから(笑)ネタバレになっちゃいますも...

… 続きを読む

こんにちわぁ~



今日は久しぶりの雨、昨日とは打って変わって涼しい日中。



ところが夕方、雨が上がると、気温がグングン上がって、今夜は熱帯夜



今、めっちゃ暑いです。



変な一日でした。






そんな一日でしたが、今日は東京の渋谷に映画を見に行きました。



祈りのちから」という映画です。


 



この映画、おっと、あぶないあぶない、思わず内容を言いそうになりますが、安心してください、言いませんから()



ネタバレになっちゃいますもんね。







で、この映画、めっちゃ良かったです。



観たらあーって思うと思いますが、この映画のオリジナルのタイトルは「War Room」と言いますが、この方が絶対にいいです。



この映画を観て、みことばに対する姿勢や祈りの生活とは何なのかがわかってきます。



そう、イエス様の御名には力があるんですよね。



観ながら、何度も涙が出ました。





エンディングで祈りがあったんですが、その祈りが凄く感動的、激アーメンでした笑い泣き



もう一回観たいなぁ~





何かね、観終わって暫く放心状態で、その映画館のビルの中のフロアでパーティをしてたんですが、みんな、キラキラしてる感じだったけど、なんか虚しく感じちゃいました。



そんなこんなですが、この映画「祈りのちから」、お勧めです。









で、滅多に来ない渋谷、少しぶらぶらしました。




観光客状態で、ぶらぶらしてたら、世界でトップ10のかき氷っていうのがあり、値段が高いからうーんと思ったんですが注文しました。









これ、マンゴーのかき氷ですが、凄いふわふわ、なんかわた飴食べてるみたいな、凄いかき氷。



マンゴーのシャーベットをシャリシャリと削ったみたいなんですが、それはもう美味しいんです。



食べごたえがあり、とっても美味しかったです。





そんなことで、充実した一日でした。





主よ、感謝します。


でわでわ~(´ー`)/~~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-09 (Sat)

イエス様の平和に満たされている恵みを。。。

イエス様の平和に満たされている恵みを。。。

こんにちわ~今日は雨のスタート、今もシトシトと振ってます。でも外は大雨警報って言ってます。なんか不思議~~~あぁ、今日一日、外の雨のように、絶え間なく主の恵みの雨がしとしとと降り続け、主の平和で満ちた一日となりますように☆さてさて、実は昨夜書く予定でいたんですが、睡魔に負けてダウン~で、今日、書くこととします。今日もみことばの分かち合い、します☆今、新約聖書のヨハネの福音書14章を味わっています。わた...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日は雨のスタート、今もシトシトと振ってます。

でも外は大雨警報って言ってます。

なんか不思議~~~

あぁ、今日一日、外の雨のように、絶え間なく主の恵みの雨がしとしとと降り続け、主の平和で満ちた一日となりますように☆



さてさて、実は昨夜書く予定でいたんですが、睡魔に負けてダウン~

で、今日、書くこととします。


今日もみことばの分かち合い、します☆

今、新約聖書のヨハネの福音書14章を味わっています。



わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

心を騒がせるな。おびえるな。

「わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る」と言ったのをあなたがたは聞いた。
わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。
父はわたしよりも偉大な方だからである。

事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。
もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。
だが、彼はわたしをどうすることもできない。
わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。

さあ、立て。ここから出かけよう。




いよいよ過越の祭りの食事を行った二階部屋での弟子たちへのメッセージの最後です。

この後、ゲッセマネに向かい、ゲッセマネで捕らえられます。

だから、この時はものすごい緊迫状態なんです。


わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(28)

イエス様の平和。

これ、新改訳聖書では「平安」と訳されています。


イエス様の平和、イエス様の平安。これは安堵感とか、なにかホッとしたとか、そういうものとは全く違います。

イエス様ご自身、「世が与えるように与えるのではない」って言われていますよね。



平和とか平安って、なんかぼんやりして、これだって掴みどころがないイメージありませんか?

病気もなく、トラブルもない。そんなイメージ。

そして、家族団らん、学校生活や仕事なども順調。

なんかそんなとき、心が安らぐというか、ホッとするひと時、それが平安であり、平和なのかなみたいな。。。

だから、たとえば家族にガンだとか、深刻な病気にかかった人がいるとか、自分自身が患ってしまったとか、そういう時には心に平安、うーん、難しいですよね。

もし、たとえば、今話題になっている乳がん、自分が煩い、これから手術だ、抗がん剤治療だ、副作用で一生懸命に伸ばして、お気に入りの髪の毛が全部抜け落ちちゃって丸坊主になっちゃう。。。
それだけじゃなく、吐き気や痛みやいろんな副作用が待ってる。。。
大事な大事な乳房が切除されなくなっちゃう。。。。

癌という病は、肉体だけじゃなく、心も蝕み、家族全体にもそれがおよぶ恐ろしい病です。

それだけでも叫びたいくらいな悲しみなんだけど、ましてや余命まで言われた時には。。。

とてもじゃないけど、平安とは、平和とは言えないですよね。



でもね、ここでイエス様の言われている「わたしの平和」、「わたしの平安」って、世の中でいう平和とは違うんです。

ぼくたちが経験する平和は条件付き。問題が無かったり、順調に事が運んでいるときに来るもの。

でも、イエス様が与えてくださる「わたしの平和」、「わたしの平安」は、順調な時はもちろん、そうじゃないとき、苦しみ、恐れの只中で与えてくださる平和、平安なんです。


実際、このイエス様のお話を聴いていた弟子たちは、この後、イエス様が十字架上で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえり、天に昇られた後、命懸けの生活をすることとなります。

常に祭司長たちに狙われ、いつ殺されてもおかしくない状態。

実際、ヨハネを除く使徒たちは全員殉教の死を経ています。


イエス様は弟子たちに「わたしの平和」「わたしの平安」を与えてくださいました。

だから、そういう緊迫感、とてもじゃないけど平和だ、平安だなんて言えないような、いつ殺されてもおかしくない、捕まってもおかしくない状況でも、心は平安で、主を賛美し、福音を大胆に伝えることができたんです。

また、この「わたしの平和」「わたしの平安」が主によって与えられたおかげで、彼らは福音を伝え、そうやって伝達され、今ぼくたちが救われているんです。



イエス様ご自身もまた、そうです。

もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。
わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。

イエス様はもう弟子たちとゆっくり話すような時間は無いです。

だって、世の支配者、つまりサタンがイエス様に近づき、十字架というものすごい攻撃をしかけてきますからね。

でもね、そういう中でもイエス様の心は支えられています。なぜかというと、イエス様の心は常に天のお父様と一つに結ばれていますし、イエス様は天のお父様のことを深く愛され、お父様のおっしゃったこと、お命じになったことを忠実に行っているからです。

十字架だってそうです。サタンはイエス様を倒すために十字架刑へと持っていきますが、でもそれも天のお父様の許しの中でのこと。

そして、神様の人類救済計画のため、イエス様は自分から十字架で死なれました。

それは、イエス様の父なる神様への愛の従順の故にです。

サタンはイエス様には何一つ攻撃することは出来ないんです。



イエス様は今日、ぼくたちにも「わたしの平和」「わたしの平安」を与えるっておっしゃってくださっています。

イエス様に心開き、イエス様に信頼するとき、主の平和が、たとえ最悪な状況の中であっても、私たちを満たしてくださいます。

あぁ、イエス様の愛、本当に素晴らしいですね。。。

愛されているんですね、私たちは。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ( ´∀`)/~~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-08 (Fri)

みことばを慕い求めよう♪

みことばを慕い求めよう♪

こんにちわ~ 今日も一日、無事終わりました~それにしても暑かったぁぁぁああハンパない暑さで、猛暑を通り越してますね、完全に~やっぱ今年は記録塗り替える暑さになるんでしょうね、この分だと。夏風邪、流行ってるみたいだし、体調管理はしっかりやんなくちゃって思います。さてさて、今回もみことばの分かち合いをしますね。今日もヨハネの福音書14章からです。ヨハネ14:22~26イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わた...

… 続きを読む

こんにちわ~ 


今日も一日、無事終わりました~

それにしても暑かったぁぁぁああ

ハンパない暑さで、猛暑を通り越してますね、完全に~

やっぱ今年は記録塗り替える暑さになるんでしょうね、この分だと。

夏風邪、流行ってるみたいだし、体調管理はしっかりやんなくちゃって思います。



さてさて、今回もみことばの分かち合いをしますね。

今日もヨハネの福音書14章からです。



ヨハネ14:22~26
イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。

イエスはこう答えられた。
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。

あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。



イスカリオテじゃない方のユダ、この人はタダイとも呼ばれていたんだけど、このユダ、イエス様はイスラエルのメシアとして、当時イスラエルを支配していたローマをたたきつぶして、滅ぼしてくださると真剣に信じていました。

実はこれ、ユダだけじゃなく、当時、メシアがこの地に来られ、王となられ、イスラエルを治めてくださるという政治的なメシア像を強く持ってました。

だから、一向に弟子たちだけに姿を現し、世には姿を現さないのか、いつになったらメシア宣言をしてくださるのかと、モヤモヤした思いの中で聞いたんです。



でね、それに対して、イエス様、こうお答えになりました。

わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

ここで世にご自身を現さない理由をイエス様はおっしゃっています。

つまりね、イエス様がご自身を現す相手は、イエス様が愛される人だけだということです。

っていうか、イエス様を愛さず、拒否する人は心も閉じて、彼ら自身もイエス様を受け入れませんよね。

実際、祭司長や律法学者はそうですよね。

今日も同じ、イエス様を信じない人は、どんなに話しても心を閉ざし、結果、拒否られるだけです。



で、イエス様を愛する人ってどんな人でしょう。

イエス様はこう言っています、「わたしを愛する人は、わたしのことばを守る」って。

そう、イエス様のことばを守る人がイエス様を愛する人なんです。

その人は父なる神様にも愛されます。


それだけじゃないですよ、すごいことが書かれています。

父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。


つまりね、イエス様がぼくたちの内にお住まいになられるのと同時に、父なる神様も一緒に住んでくださるんです。

っていうことは、ぼくたちの内には父なる神様、イエス様、聖霊と、三位一体の神様がおられるんです。

どうですか、クリスチャンって凄いですよねぇ~~


前回書きましたが、だからぼくたちは孤独じゃないんです。一人ぼっちでもないんです。

一緒にいてくださるというのは、そば近くに居続け、深い愛で愛し続けてくださるんです。



弟子たちは、イエス様が十字架にかかり、復活され、聖霊降臨があった後、聖霊に満たされ、聖霊は神様の御心をすべて彼らに教えられました。

そうやって聖霊によって教えられた言葉が聖書なんです。

26節でイエス様は「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」って言われたんです。



今日生かされている、私たちクリスチャンは実はすご~く恵まれてるんです。

だって、そうやって聖霊によって教えられた神様のみことばである聖書が完成し、完結し、今、手元に与えられているんですからね。



イエス様は言われました、

わたしを愛する人は、わたしのことばを守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

「わたしのことば」、つまり聖書のみことばは既に私たちに与えられています。

だからこそ、もっともっとみことばを慕い求め、みことばを学び、みことばに聴き従う者でありたいですね。

そう、聖書は神様のみことばなんですからね。

すべての必要はみことばの中にあります。このみことばを味わい、学んでいきたいです。

だって、みことばは甘いですもんね~


これが主を味わい、楽しむ秘訣、まさに脱力系クリスチャンの姿なんだって思います。

お互いに聖書のみことばを慕い求め、みことばを味わい、みことばに聴き従う者とさせていただきましょうね。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-07 (Thu)

ひとりぼっちじゃない喜び

ひとりぼっちじゃない喜び

こんにちわ~ ふぅ、今日も無事終わりました~主よ、感謝します。今夜は熱帯夜で、ものすごく蒸し暑い。明日も一日暑いとのこと、お互いに水分いっぱいとって、体調管理はしっかりやって、この暑さ、乗り切りましょうね。さてさて、今日、二つ目の投稿です今回は、みことばの分かち合いです。今、ヨハネの福音書14章、イエス様が十字架にかかる直前、過越の食事をされた後、その二階の部屋で弟子たちに語られたメッセージです。読...

… 続きを読む

こんにちわ~
 


ふぅ、今日も無事終わりました~

主よ、感謝します。

今夜は熱帯夜で、ものすごく蒸し暑い。

明日も一日暑いとのこと、お互いに水分いっぱいとって、体調管理はしっかりやって、この暑さ、乗り切りましょうね。




さてさて、今日、二つ目の投稿です

今回は、みことばの分かち合いです。


今、ヨハネの福音書14章、イエス様が十字架にかかる直前、過越の食事をされた後、その二階の部屋で弟子たちに語られたメッセージです。

読みながら、すごく緊迫感が伝わってくる箇所です。




ヨハネ14:18~21

わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。

しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。

わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。

わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。

わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。




わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。

イエス様の弟子たちへの愛、ヒシヒシと伝わってきますね。

新改訳聖書は、ここを「みなしご」ではなく、「孤児」と訳しています。


どちらにしても、イエス様はご自身が去って行った後、弟子たちをひとりぼっち、孤独の中に放り込むようなことは絶対にしないよってここで約束されているんです。

イエス様が十字架にかかるって言われ、不安や恐れでいっぱいになっている弟子たちにとって、この時のこのことば、本当に大きな慰め、慰めていう言葉では言い足りないくらいの慰めだったことと思います。


実際、イエス様は「あなたがたのところに戻って来る」って言われましたが、実際、復活の時にイエス様は戻って来られましたよね。

そして復活後、天に挙げられてから、聖霊が弟子たちに下り、聖霊のバプテスマが起こり、弟子たちは聖霊によってイエス様を信仰によって見ることが出来るようになりました。




イエス様の言われた「あなたがたをみなしごには、孤児にはしない」っていうことば、ほんと、慰めですよね。

だって、ぼくたちもまた、今、イエス様は聖霊を通してイエス様を味わい、見ることが、もちろん肉眼じゃ無くて霊の目ですけどね、そう見ることが出来るようにさせて頂いています。


ぼくたちはひとりぼっちじゃないんです。

孤児でもなければ、みなしごでもないんです。



かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたにわかる(20)

「かの日」って何時かというと、聖霊降臨、ペンテコステの時です。

ペンテコステの時、「わたしが父の内におり」、イエス様が天のお父様のところに戻ります。

そして、「あなたがたがわたしの内におり」、つまり弟子たちはイエス様の内にいるようになります。

そして、「わたしもあなたがたの内にいる」、そう、イエス様も同時に弟子たちの内にいるようになるんです。




これをイエス様は弟子たちに約束されましたが、その後に続く、私たちもそうですよね。

今、イエス様は天のお父様の内、つまりイエス様と天のお父様が一つになったような深い愛の関係で結ばれています。

これ、間違えると異端になっちゃうので、きちんと言いますが、「わたしが父の内におり」って、イエス様と天のお父様が同一人物になるっていうことじゃないですよ。

それぞれ別人格をお持ちなっており、別々のお方です。

しかし、誰も離すことの出来ない、入り込む余地もない愛の関係で結ばれているっていうことです。


そして、今、ぼくたちの内にはイエス様がお住まいになられているんです。

同時にぼくたちはイエス様の内にいるんです。


本当に本当に神秘的なことですが、これがぼくたちクリスチャンの姿です。

まるで胎児がお母さんのお腹の中ですくすくと育っているように、ぼくたちはイエス様に守られ、イエス様の内にいます。

でも同時に、イエス様はぼくたちの内に住んでくださっているんです。



ヨハネ1章14節にこうあります。

言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

これ、原語であるギリシャ語では「わたしたちの間に幕屋を張った」となっています。


イエス様は今、ぼくたちの内に幕屋を張られ、そこにお住まいになられています。


でも同時に、天において私たちのために、大祭司として執り成し祈り続けておられます。



えっ、なんでそれなのに私たちの内におられるの?????って思うかもしれません。

でも、答えは簡単です。

ぼくたち人間は制限があり、時空間を自由に移動出来ないし、一つの場所にしかいることが出来ません。

でも、イエス様は、時空間の制限が無く、いろいろなところに移動出来るし、遍在なるお方なんです。


実際、復活後、壁をすり抜けて、鍵が閉まって誰も入れない弟子たちのいる部屋に入られましたよね。

イエス様は神様です。ぼくたち人間と同じように考えるから、混乱してしまうのです。



イエス様は今、ぼくたちの内にお住まいになられている。

すごーく感謝だなぁって思わずにおれません


だからそうなんですよね、ぼくたちはひとりぼっちじゃないし、孤児じゃないんです。




わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。
わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。
わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。(21)




「わたしの掟」って、15節にも出て来ます。

あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

この「わたしの掟」って、福音書の中でイエス様が命じられたこと、そして使徒の働き、パウロやペテロやヨハネなどの書いた手紙の中で語られている命令、つまり、新約聖書の中に出て来る「○○をしなさい」っていう命令のことです。

これを「キリストの律法」といいます。



イエス様はここで弟子たちに「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である」って言われました。

そして、イエス様を愛しているなら、「わたしの掟」、つまりキリストの律法を守るんだって語られています。

えぇ~また掟~~~~

って思っちゃうかもしれませんね。


でもね、イエス様が「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」って言われたように、イエス様との関係が深くなればなるほど、守りたくなるんです。

これがイエス様と私たちとの関係なんです。



イエス様は今、ぼくたちの内におられます。

そして、ぼくたちもまたイエス様の内におられます。


そして聖霊が弁護者として、ぼくたちと一緒にいてくださいます(16)


なんか、すごいですよね~~

クリスチャンであることって、これだけ凄いことであり、恵みに満ちてるんですよね。


もっと深くイエス様を味わい、内に住んでおられるイエス様の愛の中に浸りたいです。


今日、ぼくたちには神様の100%完結した啓示の書である聖書が与えられています。

このみことばをもっと深く学び、イエス様との関係を更に更に深めていきたいですね



祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-06 (Wed)

目指せ、脱力系クリスチャン♪

目指せ、脱力系クリスチャン♪

こんにちわ~いろいろ考えたんですが、今回、ブログのタイトルを変更します。タイトルは「キリストの優しい風」です。これは、ヨハネ3章8節の箇所から、決めました。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。なんかね、心に不安とか、恐れとか、そんなのがいっぱいあり、今の自分の状態をいつの間にか責めちゃって、うーん。。。みた...

… 続きを読む

こんにちわ~

いろいろ考えたんですが、今回、ブログのタイトルを変更します。

タイトルは「キリストの優しい風」です。


これは、ヨハネ3章8節の箇所から、決めました。



風は思いのままに吹く。
あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである。


なんかね、心に不安とか、恐れとか、そんなのがいっぱいあり、今の自分の状態をいつの間にか責めちゃって、うーん。。。みたいな、そんな感じでした、ここ数日。。。

で、そういう中で一つのことが示されたんです。

それはね、そうなんだ、聖霊の風に身を任せるだけでいいんだ~ってね。



あるキリスト教の会報にこんなことが書かれていました。


神を信じ、神にお仕えする人生は、冒険と祝福に満ちています。

自分で頑張らなくても、時が来れば「聖霊の風」が吹き、私たちを正しい方向へと運んでくれます。

大切なことは、その風をしっかると読み、それに乗ることです。



ほんと、そうだと思います。

そう、クリスチャンライフって、おどおどビクビクするんじゃなくて、まさに冒険と祝福に満ちてるんですよね。

聖霊の風が吹いてきたとき、その風に単純に乗ればいいだけ。

そこには気負いとか努力とか、そんなもん、何もないですもんね。


最近、忘れていたことがあるんです。

それは、キリストを楽しむっていうこと。

なんて不謹慎な~!!!って思ったらごめんなさいね。

でもね、主を味わい、主を楽しむ、これが聖霊の風に身を任せたクリスチャンライフなんだと思うんです。


肩の力を抜いて、気合いとか、根性とか、主に喜ばれるために~~~~とか、そんなもん、すべて捨てて、あのベタニアのマリアのように、イエス様のみそばでみことばを味わい、イエス様ご自身を味わうクリスチャンライフ、これなんだなぁってしみじみ思うんです。

そう、脱力系クリスチャンが一番です



ぼくが大学生の時からある曲で、「聖霊の風」っていう賛美、これ、とっても好きなんです。

これを聴く度に、すごく癒やされるんです。





聖霊の風

聖霊の風の 流れの中に
私は身をゆだねます

神様の命の流れの中に
私の命もあずけます


聖霊の風よ 愛のそよ風よ
私を取り囲み

思いのままに 溢れ出て
思いのままに 溢れ出て



そうなんですよね~

主の導かれるままに、その流れに身を任せること。

頑張り、努力系クリスチャンから脱力系クリスチャンへ

こうありたいですね。


主の用意してくださる恵みは計り知れません。

主のぼくたちへの地上のご計画もです。

だから、主の与えようと計画されている恵みを期待します。

どんな道が開かれるか、どんな出会いが用意されているのか。。。


主よ、あなたに信頼し、あなたの流れに身を任せます。。。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

2016-07-03 (Sun)

救いに至る唯一の道

救いに至る唯一の道

こんにちわ~今日も無事終わりました。ほっそして今週もこれでおしまい、主よ、感謝します。前回に続いて、今回もみことばの分かち合いをします。ヨハネの福音書14章からです。ヨハネ14:5~7トマスが言った。。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行く...

… 続きを読む

こんにちわ~

今日も無事終わりました。ほっ

そして今週もこれでおしまい、主よ、感謝します。



前回に続いて、今回もみことばの分かち合いをします。

ヨハネの福音書14章からです。



ヨハネ14:5~7
トマスが言った。。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか。」

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。

あなたがたがわたしをしっているなら、わたしの父をも知ることになる。
今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」



トマスの発言ですが、これはその前の節でイエス様が言われたことを受けて、トマスが語ったことばです。

わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている(4)


トマスは全然わからず、イエス様がどっか別の地方に行かれるのかなって思って、それで質問したんでしょうね。

これ、トマスだけじゃなくて、弟子たち全員そうでした。

イエス様はこれから十字架にかかり、3日後に復活するということを語られています。

だけど、弟子たちはそのことを理解するどころか、記憶から完全に抜けちゃっているんです。


これは、イエス様が復活され、彼らに会うまで続きます。

だって、イエス様は復活してガリラヤに行くと弟子たちに語っているんですが、イエス様が言われた3日後にガリラヤに行った人は一人もいません。

女たちがイエス様が復活されたって伝えても、「ふん、女の言うことなんて。。。」ってそっぽを向いて、聞く耳持たずです。

ごめんなさい、これはこの当時の一般的なユダヤ人の考え方であって、女性蔑視でもなんでもありません。


弟子たちは本当に情けないなぁって、他人事で思っちゃいますが、でもこれ、ぼくたちも気をつけなくちゃ、似たようなこと、やっちゃうと思います。

弟子たちはイエス様の語られたみことばをそのまま受け取れませんでした。

私たちは聖書のみことばに真剣に取り組んでいるんだろうか、みことばにどれだけ信頼し、みことばに立っているんだろうか。。。

うーん、考えさせられますね。



イエス様はそんなトマスを叱りつけるんじゃなくて、すごく大切なことをおっしゃいました。

わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(6)


これ、イエス様の神性宣言です。

イエス様こそは真理そのものです。命です。

私たちの進むべき道はイエス様です。

イエス様は真理であり命なるお方、このお方が肉体を持たれ、そして十字架にかかりました。


そして、イエス様が十字架上で「完了した」(30)って言われ、息を引き取られました。

「完了した」(新改訳)、「成し遂げられた」(新共同訳)は、原語では「テテレスタイ」っていう言葉が使われていて、これは商売用語で、借金はすべて完済したっていう宣言をするとき「テテレスタイ!」って使う用語なんです。

イエス様は一般庶民が使う言葉を使い、私たちの罪という大きな借金は完済し、もう借金は一切無いって宣言されたんです。


だから今、私たちはイエス様を通して、天のお父様のもとに行くことが、大胆に行くことが出来るようになりました。

だから、お祈りするとき、「イエス様のお名前によってお祈りします」って祈りの最後に言うんです。

これは、とりあえずお祈りの最後に言う言葉じゃないです。

これ、とっても大事なこと、神学的には、お祈りは、天のお父様にします。

だから、祈りの冒頭に「天のお父様」って言いますよね。

これも祈りの最初の決まり文句じゃないですよ。

そうじゃなくて、ぼくたちはイエス様を通して、天のお父様にお祈りしているんです。


イエス様が十字架上で私たちの罪がすべて処理され、無くしてくださるまでは、天のお父様のもとに行くことは、つまりお祈りすら出来ませんでした。

それが今や、「お父様」って、イエス様を通して天のお父様とお祈りすることが出来るようになったんです。



ぼくたちの救いはイエス様のみです。

イエス様以外には真理はありません。

世の中、いろんな宗教がある、だから宗教間で仲良くし、世界平和のために共に愛し合い、受け入れ合いましょうって、言う人たちがいます。

でも、キリスト教はそういうふうに他宗教を受け入れたり、他の真理も認めるということはしません。

排他的と言われてもです、妥協は絶対に出来ないんです。


それはどうしてかというと、イエス様のみが道であり、真理であり、命だからです。

イエス様以外の道を通って救いに至るということ、罪が完全に赦され、処理され、天のお父様のもとに行くことが出来るって無理です。

イエス様以外に父なる神様のもとに行く道はありません。


イエス様だけが唯一の救いの道です。

この道を歩み、みことばを愛し、慕い求める歩みを来週一週間もすることが出来ますように。。。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。

No title * by ピーちゃん
年を重ねると、学ぶことも多いし、反省させられることも多々あったりします。
信仰生活も、聖書がどれだけ大切か、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めるようになります。
形ではなく、中身でしょうか。
守るのでなく、なければならないのではなく、本質が大切だと理解できます。
年を重ねて主の恵みの深さに感謝しつつ。
聖書は素晴らしいですね。

Re: No title * by みのん
ピーちゃんさん、こんにちは。ご無沙汰しています。
コメント、ありがとうございます。とっても嬉しいし、心から感謝します。

>年を重ねると、学ぶことも多いし、反省させられることも多々あったりします。
信仰生活も、聖書がどれだけ大切か、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めるようになります。

⇒アーメン、本当にそうだと思いますし、すごくよくわかります。
年齢を重ねる度に、みことばの重要性を痛感しますし、みことば以外のものを第一にしたらと思うと、すごく怖いです。

形では無く中身、本質が大切、本当にそのとおりです。
聖書を学ぶ中でいろいろなものがそぎ落とされ、本質以外のものが如何に多かったか、痛感します。
それと共に自由にされています。

聖書は本当に素晴らしいし、みことばに養われることの重要性、本当に感謝ですね。

2016-07-03 (Sun)

まもなく来られる花婿イエス様

まもなく来られる花婿イエス様

こんにちわ~前回の続きです。ほんとはひとまとめに書くつもりだったんですが、前回、「心を佐川せるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」っていう14章1節のみことばについて分かち合ったら、火が付いちゃって長々と書いちゃったんですということで、前回の続き、分かち合いますね。ヨハネ14:1~4「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。も...

… 続きを読む

こんにちわ~

前回の続きです。

ほんとはひとまとめに書くつもりだったんですが、前回、「心を佐川せるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」っていう14章1節のみことばについて分かち合ったら、火が付いちゃって長々と書いちゃったんです


ということで、前回の続き、分かち合いますね。



ヨハネ14:1~4

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。

わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。

こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」



イエス様は2節で、「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」って言われた理由について語っておられます。

わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる


イエス様、言われました。

「わたしの父の家には住む所がたくさんある。。。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」

「わたしの父の家」ってどこだかわかりますか~?

ナザレのイエス様のお母さんがいる家のことじゃないですよ~(笑)

そうじゃなくて、「わたしの父」、つまり天のお父様のところ、天国です。

そこに行って、弟子たちのために場所を用意しに行くんだっておっしゃったんです。



イエス様はこの後、十字架上で死なれ、墓に葬られ、3日後によみがえり、復活します。

でね、その後、天に上られるんですが、その目的がこれなんです。

そして、今も天におられます。



これ、ユダヤ人の結婚式がわかると、この意味がわかります。



☆★○☆★○ユダヤ式結婚式☆★○☆★○☆

婚約

まず婚約ですが、それは双方の親によって相手が決められるケースが多いです。
そして、ある人は幼くして婚約しますし、ある程度大きくなってからの人もいます。
いわゆる「いいなずけ」です。

婚姻

そして、結婚式直前に、支度が整った花婿が花嫁の家に出向きます。そして、同じように支度の整った花嫁を自分の家に連れ帰ります。
そして普通、婚約と婚姻との間には数年から数十年の間があり、それだけの長いスパン、待たなければなりません。

ユダヤ式婚姻は、花婿が花嫁に「さて、お迎えに上がりますので、テントを建てます。準備してお待ちください」と宣言し、自宅の庭に花婿となる息子がひとりでテント、つまり「仮庵」を建てます。

これは、仮庵で結婚式の7日間を過ごすためなんです。

その間、父親の厳しいチェックが入り、作り始めてから完成するまで一年はかかるそうです。

そして、ようやく花婿の父親のOKが出たら、花婿は支度を整え、花嫁を迎えに行くんです。
まっ、厳密には、花嫁を誰にも見せたくないから、真夜中のお迎えになるそうです。

そして、花婿が受託を出発する時、花婿の父親がラッパを吹いて、「いってらっしゃーーーい」の合図をします。

その音は大抵花嫁の家にまで響き渡り、その音を聞くと「いよいよお迎えが来る」と知ることとなるんです。

結婚式

いよいよ結婚式です。これは家族や親族だけの少人数で行われます。

実際には、花婿が用意した仮庵の中で、花婿と花嫁の二人だけで一週間を過ごします。

披露宴

二人だけで一週間、仮庵で過ごした後、いよいよ披露宴です。

この時は結婚式と違い、友だちを招いて、大規模な祝宴が開かれるのです。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆



これがユダヤ式の結婚式です。

実はね、聖書はイエス様と私たちクリスチャンは婚約関係にあるって言ってるんです。

イエス様が花婿、そして私たちは花嫁。

私たちがイエス様を信じ、救われた時、イエス様と私たちとの婚約式が成立しました。

そして、その後、花嫁である私たちクリスチャンと花婿イエス様との結婚式のための準備が行われ、父なる神様のもとに行き、一緒に住むための住まいを用意しに、天に上られたんです。


実はね、このヨハネ14章2~3節で語られていることって、このことだったんです。

イエス様は今、私たちクリスチャンとの結婚式のために天にお迎えするために、先に天に上られたんです。

そして、イエス様は約束されています、
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。(3


イエス様が私たちをお迎えに来てくださる日、それを「携挙(けいきょ)」って言います。

別名「空中再臨」と言われ、空中まで私たちを迎えに来てくださり、私たちを空高く引き上げ、天に連れて行ってくださるんです。



えっ、その時生きていればいいけど、死んじゃったら。。。

大丈夫、第一テサロニケ4章13~18節を見ると、ユダヤ式結婚式と同じで、イエス様が迎えに来てくださるとき、まずラッパの音が響き渡ります。

そしてその時、死んでしまったクリスチャンは肉体をもって復活します。

そして、その時に生きているクリスチャンと一緒に天に挙げられ、イエス様と共に仮庵に住み、結婚式が行われます。

その後、この地は7年間の大患難時代と言われる壮絶な天変地異が起こったり、戦争が起こったりする最悪の7年間を迎えることとなります。

そして、この大患難時代の最後にその時生きているユダヤ人が全員悔い改め、救われます。全員です。

そして、イエス様が王としてこの地に来られ、千年の間、この地を治めるのです。


そしてなんと、その時、罪も無く、病もない、最高の状態である私たち、この時はアンチエイジングなんて死語です。染みもしわもないし、美味しいものを食べても太ることはありません。
そして罪を犯すこともありません。
その私たちもイエス様と共にこの地で千年王国、その地にいる異邦人たちを治めるのです。

そして、この千年王国の時、イエス様と私たちとの婚約式が行われます。


これが神様のご計画なんです。

だから今、ぼくたちは、イエス様がぼくたちをお迎えに来てくださる時を、つまり携挙を今か、今かと待ち焦がれている状態なんです。


イエス様は必ず迎えに来るって約束されています。

イエス様に二言はありません(こういう使い方していいのかわかんないけど。。。(笑))

イエス様は約束を破るようなことは決してないです。だから、必ず携挙はあるんです。



それを信じるか、信じないかで、信仰生活は大きく変わります。

もし、携挙を信じないならば、この世の出来事に一喜一憂してしまいます。

でも、ぼくたちは知っています、この世は過ぎ去る一時的な場だっていうことを。

そして、まもなくイエス様がお迎えに来てくださるんだって。




イエス様は「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」(4)っておっしゃいました。

弟子たちに何度となくこれまで語られています。

だから、イエス様の言われたことを心に治めているのなら、知っている筈です。



私たちもまた、今日、神様の啓示の書である聖書を持っています。

聖書の中に神様の啓示は書かれていて、それは100%完結しています。

だから、聖書を読めば、携挙についてわかります。

つまり、イエス様が今どこにおられ、まもなく私たちを迎えに来てくださるんだっていうことを。



パウロは携挙のことをテサロニケの信徒宛の手紙に書き、最後にこう書いています。


第一テサロニケ4:18
ですから、今宣べた言葉によって励まし合いなさい(慰め合いなさい)。



まもなくイエス様は再び来られます。

それは私たちを天国にお迎えしてくださるためです。

そう、私たちは男であっても、女であっても、霊的にはイエス様の花嫁で、もう婚姻関係に入っています。

そしてまもなく花婿であるイエス様が私たちを迎えに来てくださるんです。


そのことを日々の歩みの中で意識し、何時イエス様がお迎えに来てくださってもいいように、心の準備をしていきましょうね。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

 
ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。
心から感謝します。
気軽に「拍手」
励ましのコメントも
くださいね

そして、Twitterをやってます。
こちらからお越しください。




それと、応援の意味を込めて、
ポチお願いします♪

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ

イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。