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キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

Top Page › Archive - 2016年10月
2016-10-30 (Sun)

神様を待ち望む信仰

神様を待ち望む信仰

こんにちわ~今日は旧約聖書の哀歌3章を味わいました。みことばを味わいながら、とっても考えさせられました。☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○哀歌3:17~18わたしの魂は平和を失い、幸福を忘れた。わたしは言う、「わたしの生きる力は絶えた、ただ主を待ち望もう」と。☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○この「わたし」って、エレミヤのことです。エレミヤはもはや平和を失い、幸福を忘れました。もはや平安も喜びもなく、悲しみと苦しみしかありません。とい...

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こんにちわ~

今日は旧約聖書の哀歌3章を味わいました。

みことばを味わいながら、とっても考えさせられました。



☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

哀歌3:17~18
わたしの魂は平和を失い、幸福を忘れた。
わたしは言う、「わたしの生きる力は絶えた、ただ主を待ち望もう」と。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○


この「わたし」って、エレミヤのことです。

エレミヤはもはや平和を失い、幸福を忘れました。

もはや平安も喜びもなく、悲しみと苦しみしかありません。

というのは、イスラエルが崩壊したからです。


罪の結果とはいえ、エルサレムが崩壊し、偶像の支配下にある罪に満ちたバビロンによってイスラエルの民がバビロンに連れて行かれました。

神様の民であるイスラエルがです。


でもね、そんなエレミヤですが、この絶望の中、もう駄目だ!で終わってないんです。

18節を見てください。

「わたしは言う、『わたしの生きる力は絶えた、ただ主を待ち望もう』と」


エレミヤは絶望に満ち、「わたしの生きる力は絶えた」と告白しています。

これ、当然です。だって、エレミヤの心はズタズタですもん。。

普通なら、絶望の中、ただ泣くしかないですよね。


でもね、エレミヤは違うんです。

「だから、ただ主を待ち望もう」って、視線を目の前に繰り広げられている絶望的な状況から、神様に移しているんです。

この信仰、本当に大切ですよね。

このみことばを味わいながら、ぼくたちも常に心の目を神様に向け続けることが大切であり、神様を待ち望む信仰って本当に重要だなって思わされています。



エレミヤは告白しています。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

哀歌3:19~21
苦汁と欠乏の中で貧しくさすらったときのことを決して忘れず、覚えているからこそ、わたしの魂は沈み込んでいても、再び心を励まし、なお待ち望む。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○


いつも思うんですが、目に見える現実と天的な現実って違うんですよね。

エレミヤは天的な現実をじーっと見つめていたんです。

最悪な状態の中、エレミヤの魂は沈み込んでいても、そのただ中で神様を待ち望んでいるんです。



エレミヤの試練の中での賛美です。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

哀歌3:22~24
主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い。主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い、わたしは主を待ち望む。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○


神様の真実にエレミヤは信頼を置いています。

たしかにイスラエルは罪を犯しました。神様が何度も警告しているのに、それを無視し、罪に罪を重ねたイスラエル、ある意味、当然の結果です。

でも、神様はそれでもイスラエルを見捨てることはありません。

神様はイスラエルと契約を結んでいます。その契約はこれくらいのことで破棄されるようなことは決してないのです。

確かにエルサレムは崩壊しました。でも必ず再びユダヤ人がエルサレムに帰り、神殿が再建されるということを信じていました。

それはエレミヤの希望的観測だったり、願望だったりということじゃなくて、神様の約束なんです。

神様の愛は契約に基づく愛。だから、イスラエルがどんなに罪を犯しても、決して神様のイスラエルに対する愛は絶えることはないんです。


それがわかったとき、エレミヤは神様を賛美するようになったんです。

それがわかっているから、エレミヤは神様を待ち望んでいるんです。


私たちもそうです。神様の愛は決して変わることはないです。

私たちの側がどうであるか、それは関係ありません。

私たちの状態がどうであっても、神様は私たちを愛し続けてくださっています。

だから、エレミヤのように、神様を待ち望む信仰が与えられるんです。


今、ぼく自身も目の前の現状を見ると、不安と恐れでいっぱいになります。

押しつぶされそうにもなります。

でも、神様に目を移すとき、神様の真実、神様の愛に心の目を向けるとき、神様に信頼し、神様を待ち望むようになります。

だって、神様は絶対にぼくを見捨てるようなことはなさらないですもんね。


今朝、このみことばを味わいながら、神様を待ち望む信仰を持ち続けていきたいって思わされました。

そんなことをこの一日、思い巡らしていました。


明日は日曜日、10月最後の日曜日、主を心から賛美し、礼拝する一日となれますように

でわでわ~

 
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2016-10-28 (Fri)

主を畏れる歩み

主を畏れる歩み

こんにちわ~今日も無事一日が終わりました。今朝、旧約聖書の伝道者の書を味わいました。で、最後の最後の箇所、12章13~14節、この箇所がずっと心に残り、そのことを思い巡らしてました。☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ」これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこともすべて、裁きの座に引き出されるであろう。☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆ほんと、コヘレト(新改...

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こんにちわ~

今日も無事一日が終わりました。

今朝、旧約聖書の伝道者の書を味わいました。

で、最後の最後の箇所、12章13~14節、この箇所がずっと心に残り、そのことを思い巡らしてました。


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ」
これこそ、人間のすべて。
神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこともすべて、裁きの座に引き出されるであろう。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆


ほんと、コヘレト(新改訳聖書で言う伝道者)の出した結論、これがすべてですよね。

「神を畏れ、その戒めを守れ」


日々の歩みの中で、神を畏れること、神様を畏れ、神様との関係をしっかり持つこと。

これ、ほんと、大切ですよね。

でもね、忘れちゃだめなのは、「畏れ」であって「恐れ」じゃないっていうこと。


神様を畏れることって、まさに礼拝です。

それは決して恐怖心から出ることじゃなくて、神様との愛の関係から出て来ること。

そして、神様との関係が深くなればなるほど、神様を悲しませたくないという思いが出て来ます。


だから、大切なのは、神様との関係性なんです。


でも、それも、朝5時に起きて、聖書を5章以上読んで、1時間以上祈ってって、そういうことじゃ決してないです。

そうじゃなくて、日々の歩みの中で、神様を第一とし、みことばを味わい、みことばに信頼すること。

そこから出て来る神様との関係性です。



「神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこTもすべて裁きの座に引き出されるであろう」

ヘブル9章27節を思い出しました。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」


私たちは死後、必ず神様の前に出ます。

クリスチャンは全員、キリストの御座の裁きといって、携挙された後、イエス様の前に出て、裁きを受けます。

これは報償の裁きであって、罪をジャッジする裁きではありません。

でもね、その時、私たちのすべて、隠していたことも何もかも、イエス様の前にあらわにされます。

その時、「よくやった、忠実な良いしもべ」って言われたいですよね。


日々の歩み、神様を畏れ、神様を愛し、みことばを学び、忠実にみことばに従う。

今日、私たちに与えられている律法は「キリストの律法」という律法で、それはイエス様が、また使徒たちが語られた命令、つまり、新約聖書で語られている命令、これがキリストの律法です。

だから、私たちにとっての戒めは、キリストの律法です。


私たちが日々、みことばを学び、みことばに忠実に生きようとすると、自ずとキリストの律法を守ることとなりますよね。

だって、聖書に従うということは、その戒めに従うことですからね。


日々、みことばを学び、みことばに対して忠実に生きる者、みことばに従う者でありたいですね。

そんなことをこの一日、思い巡らしました。


主よ、あなたのみことばに忠実に従う者として、明日も歩ませてください。。。


お互いに主のみことばに忠実でありましょうね


でわでわ~


 
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2016-10-26 (Wed)

ヨハネの涙の意味

ヨハネの涙の意味

こんにちわ~今日も無事、終わりました。ふぅ~今日はみことばの分かち合いをします。最近、ヨハネの黙示録5章に書かれている「ヨハネの涙」について思い巡らしています。☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆ヨハネの黙示録5:1~4また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて...

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こんにちわ~

今日も無事、終わりました。

ふぅ~


今日はみことばの分かち合いをします。

最近、ヨハネの黙示録5章に書かれている「ヨハネの涙」について思い巡らしています。


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

ヨハネの黙示録5:1~4
また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。
また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と言っているのを見た。
しかし、天にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことができる者はなく、見ることのできる者もいなかった。
巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆


パトモス島にいたヨハネの霊が天に引き上げられました。

そこで見た光景がこれです。


御座に座っておられる方、つまり父なる神様の右の手に巻き物がありました。

その巻き物には両面に文字が書かれていました。

その巻き物は、終わりの時代に起こる神様の裁きについてが書かれています。

でも、その巻き物には封印がされていて、解くにふさわしい人じゃなくちゃ決して開くことが出来ません。


私たちが通常もらう手紙は、その宛先の人じゃなくちゃその手紙の封を開けることは出来ないですよね。
また、宅急便で届いた荷物は、受取人である人じゃなきゃ開けることは許されないですよね。

それと同じで、巻き物の封は、その資格のある人じゃなきゃ、開けちゃ絶対に駄目なんです。

ところが、開ける資格のある人がそこにはいなかったんです。

なんと、父なる神様も、天使も、その封を開けられなかったんです。


だからね、ヨハネは号泣しちゃいました。

ヨハネはどうして号泣したのかというと、神様のことばが開かれないからなんです。

ヨハネはね、神様のことばを知りたくてしょうがなかったんです。

そこにあるのは終わりの時代になされる神様の裁きです。

開かれないということは、悪に対する神様の裁きが行われないんじゃないかって、ヨハネは恐れたんです。



ヨハネの涙、ここ数日、そのことを思い巡らしていました。

ヨハネは、神様のみことばに対して渇望していました。

なんとか神様のみことばを知りたいという飢え乾き、ところが封を開くことが出来ないので、みことばを聴けないということで、号泣しちゃったんです。



そこまでの飢え乾き、聖書のみことばに対する渇望、自分はどうなんだろうって凄く思わされました。

神様のご計画の全貌、それは聖書に書かれています。

創世記から黙示録に至るまで、一貫した神様の御心、人類救済計画が記されています。

そしてその御心は、ご自身の栄光です。

それが聖書なんです。



この聖書をヨハネが号泣したように、味わい、学びたいなって凄く思わされています。

そして、みことばを学ぶことにより、私たちの将来がどうなるのか、神様の御心は何なのかがわかります。

明日からも、みことばに飢え乾き、みことばを学んでいきたいです。


また、ブログでもみことばをシェアしますね。

みことばを学ぶことは至福の時ですもんね


明日も主の恵みの中で。。。

でわでわ~


 
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2016-10-23 (Sun)

聖霊のバプテスマの時期

聖霊のバプテスマの時期

こんにちわ〜今日も、そして今週も無事終わりました。主よ、感謝します今日は午後からバイブルスタディーに行って来ました聖書箇所は、ローマ人への手紙8章です。ローマ8:9けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。これ、案外ネガティブなというか、裁きの意味で理解している方がいる...

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こんにちわ〜

今日も、そして今週も無事終わりました。

主よ、感謝します



今日は午後からバイブルスタディーに行って来ました

聖書箇所は、ローマ人への手紙8章です。


ローマ8:9
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。
キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。


これ、案外ネガティブなというか、裁きの意味で理解している方がいると思います。

「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」

これ、もしも聖霊があなたがたのうちに住んでいるなら、肉の中にいるんじゃなくて、聖霊の中にいるんだよっていうことですよね。

でもね、そうは言っても、「肉の中にではなく」、うーーーーーん、自分の内面を見ると、ぜんぜん肉の中にいるなぁ。。。

っていうことは、ぼくの内には聖霊が住んでおられないんだ。。


こういう教えや聖書理解をしている人、いると思います。

だからね、そういうひとたちは、「聖霊で満たしてください、私の内に住んでください」って、まだ聖霊が自分の内には住んでいないから、住んでくださるようにって祈り求めるんです。



でも、本当にこれ、そういう意味なんでしょうか?

実はね、そうじゃないんです。

原文であるギリシャ語では、後半の「あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」っていう言葉が先頭にくるんです。

つまり、こうなります。

「あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。なぜなら、神の御霊があなたがたのうちに住んでいるからなのです」


どうですか?全然違いますよね。

ぼくたちクリスチャンは、イエス様の十字架と復活の信仰を信じたその瞬間に、聖霊が内住します。

信じた瞬間にです。

だからね、聖霊のバプテスマってありますが、これは信じた後、聖霊を求めて与えられるものじゃなく、信じた瞬間に与えられるものです。

もしあなたが、福音の三要素を信じ受け入れ、そこに身をゆだねているなら、聖霊のバプテスマは既に与えられているんです。

だから、聖霊のバプテスマは、救われた後、再度求めるものじゃなく、信じた瞬間に与えられるんです。



「なぜなら、神の御霊があなたがたのうちに住んでいるからである」

この9節の前提は、あなたがたは既に神様の御霊が住んでいてくださっているんだよっていうことなんです。

だから安心して内住の御霊に信頼することなんです。


でもね、もし福音を信じ受け入れて救われた時点では、まだ聖霊のバプテスマを受けていなくて、その後、第二の転機とか、第二の恵みとか言いますが、信じた後、聖霊によってバプテスマされるのであるなら、福音を信じた時はまだ聖霊は住んでいなかったっていう意味に理解されます。

それってすごくおかしいです。


聖霊がぼくたちの内に住んでくださるためには、ぼくたちの努力とか頑張りは一切必要ありません。

ぼくたちがイエス様の福音を信じた瞬間に聖霊はぼくたちの内に住んでくださっているから、そのことを信じればいいんです。

そして、クリスチャンは内住の御霊に信頼し、導いていただくことです。

そして聖霊は、罪を示し、何をしたら神様は悲しまれるのか、そのことを教えてくださいます。

そして私たちの内側をきよめてくださるんです。



来週も内住の御霊に信頼し、導いていただきましょう。

でわでわ〜

 
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2016-10-19 (Wed)

アーメンである神様

アーメンである神様

こんにちわ~今日も無事に終わりました。主よ、感謝します☆さてさて、今、新約聖書のヨハネの黙示録を味わっていますが、黙示録を通して多くのことを教えられています。そして、携挙がもう間近なのだということがわかり、そしてその備えへと導かれます。その黙示録から、教えられたことを分かち合いますね。ヨハネの黙示録3:14また、ラオデキヤにある協会の御使いに書き送れ。「アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られ...

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こんにちわ~

今日も無事に終わりました。

主よ、感謝します☆


さてさて、今、新約聖書のヨハネの黙示録を味わっていますが、黙示録を通して多くのことを教えられています。

そして、携挙がもう間近なのだということがわかり、そしてその備えへと導かれます。

その黙示録から、教えられたことを分かち合いますね。




ヨハネの黙示録3:14
また、ラオデキヤにある協会の御使いに書き送れ。「アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる」


これ、ラオデキヤにある教会への手紙の冒頭のみことばです。

誰の、つまりこの手紙の差出人って誰だかわかりますか?
そう、イエス様です。

そして、このイエス様からの手紙は、ラオデキヤにある教会だけじゃなくって、その他に6つあります。


で、このラオデキヤにある教会への手紙なんですが、とても厳しく、なんと称賛の言葉が無いんです。

この教会、如何に酷い状態であったかがわかりますね。


で、その教会へのイエス様の自己紹介が、上の14節なんです。



「アーメンである方」ってありますね。

これ、イザヤ書65章16節に出て来ます。

この世にあって祝福される者は、まことの神によって祝福され、この世にあって誓う者は、まことの神によって誓う。
先の苦難は忘れられ、わたしの目から隠されるからだ。

「まことの神」ってありますね。それがそうです。

これ、英語では「The God of Amen」です。

実はこの言葉、旧約聖書では神様のタイトルなんです。

この方が「しかり!」「アーメン!」と言われたらその通りになるという、神様のタイトルなんです。


だから、この黙示録3章14節で「アーメンである方」って、イエス様が旧約聖書での神様のタイトルを用いて自己紹介しているということは、この手紙の主は神様ご自身なんだって言っているんです。

そして、この「アーメンである方」と言われているその背後にあるのは、人間世界の出来事の背後には、神様の主権があるんだっていうことなんです。

つまり、神様の約束はすべて成就するっていう約束がここに込められているんです。


そして第二コリント1章20節にはこうあります。
神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。

この方の支配の中にこの世界は置かれ、そして、私たちもその中に入れられているんです。


更に、イエス様はご自分の自己紹介で「忠実で、真実な証人、神に造られた方の根源である方」であるってご自分について言われました。


このお方がすべてを支配しておられる。

そして、この方がなると言えば、絶対になるんです。

そしてこのお方はぼくたちの心の奥底まで見抜いています。

だから、人には絶対に言えない恥ずかしいことも、弱さも、何もかも知り尽くしておられるお方がイエス様です。


このお方の支配の中で、私たちは生かされているんです。

すごくこのことが心に響き、ずーっとそのことを思い巡らしていました。


主はぼくの全生活を知り尽くし、神様の支配の中で、今、生かされている。

そしてもう間もなくしたら、ぼくたちは携挙され、いよいよ患難時代に突入していく。

そういう時代の中に生かされ、その中で主は、ぼくの内面をすべて見られ、ご支配してくださっているんですね。


そのことを思うと、神様が悲しまれることから離れさせられます。

そして、主の御心を求めるようになります。

だってね、イエス様は「アーメンである神」なんですもんね。


明日からの歩みも、このお方の支配の中で、全幅の信頼を置いて、一歩一歩歩めますように


神様の祝福が豊かにありますように。。。


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2016-10-16 (Sun)

10月ですが。。。

10月ですが。。。

こんにちわ~今日も一日守られたこと、とっても感謝です。今日はなんと花火大会がありました。もう10月だというのにね。今日は日中も天気がよかったので、夜空も綺麗、ぜんぜん寒くなかったです。花火はこんな感じでした。満月も綺麗でした。遠くに見えるのは江ノ島です。そんなこんなな、充実した一日でした。そして今週も今日でおしまい。更に10月のターニングポイント、明日から後半のスタート。後半からはもう少し頻繁にブログ...

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こんにちわ~

今日も一日守られたこと、とっても感謝です。

今日はなんと花火大会がありました。

もう10月だというのにね。


今日は日中も天気がよかったので、夜空も綺麗、ぜんぜん寒くなかったです。



花火はこんな感じでした。




















満月も綺麗でした。




遠くに見えるのは江ノ島です。





そんなこんなな、充実した一日でした。

そして今週も今日でおしまい。

更に10月のターニングポイント、明日から後半のスタート。

後半からはもう少し頻繁にブログ、更新していきたいなぁ。。。


そんなこんなですが、これからもよろしくお願いします✝


来週も、10月後半も主の栄光が豊かに現される歩みとなりますように

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2016-10-09 (Sun)

みことばに留まる信仰

みことばに留まる信仰

こんにちわ~10月に入って早いものでもう8日目、秋ですねぇ~。。。って言いたいとこですが、今年はちょっと違い、まだ夏ですねぇ~~今日も暑い一日でした。なんかまだ7月で、これから夏~みたいな、なんかそんな陽気です。この分でいくと、秋をスキップして、そのまま冬になっちゃいそうですね。さてさて、今、ヨハネの黙示録を学んでいます。ヨハネの黙示録を学ぶことは幸いであり、祝福であるって、神様は語られています。☆★○☆...

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こんにちわ~

10月に入って早いものでもう8日目、秋ですねぇ~。。。
って言いたいとこですが、今年はちょっと違い、まだ夏ですねぇ~~

今日も暑い一日でした。

なんかまだ7月で、これから夏~みたいな、なんかそんな陽気です。

この分でいくと、秋をスキップして、そのまま冬になっちゃいそうですね。



さてさて、今、ヨハネの黙示録を学んでいます。

ヨハネの黙示録を学ぶことは幸いであり、祝福であるって、神様は語られています。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いてそこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。
ヨハネの黙示録1:3
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆


これ、すごーくわかります。

ヨハネの黙示録を学ぶと、今の時代がどういう時代なのかということがすごくよくわかります。

そして、携挙が、その後の大患難時代が間近なんだって、肌感覚で伝わってきます。

すごーく近いなってね。


で、携挙、イエス様がぼくたちを迎えに来てくださる日が刻々と近づいてきていることを実感し、その日のための備えということを思わされ、神様が悲しまれることから離れたいという思いが起こされます。

だってね、携挙が起こるための条件は今、ぜーーんぶ揃ってますし、実は今日、今この瞬間に携挙があっても全くおかしくないというのが今の時代なんです。

携挙される人は、真の教会、つまり純粋な信仰者。

これ、罪が全く無いきよーーーーい人っていう意味じゃないです。

そうだったら、誰も携挙されません。

そうじゃなくって、純粋な福音、つまりイエス様が私たちのために十字架にかかり死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目によみがえり、今も生きておられることを信じ受け入れ、そこに信頼を置いている人が携挙されます。

つまり、公式にするとこうなります。

信仰+恵み+0


ところが、この”0”のところに「バプテスマ」とかを入れると、それは福音ではありません。

だって、バプテスマを受けるっていう行いが入ってしまうからです。

人はバプテスマを受けることで救いが完成するとか、そういう教え、これは聖書の福音ではありません。

つまり、「信仰+恵み+水のバプテスマ」では救いを受けられないんです。

この人は、どんなに携挙を待ち望んでも、携挙されずに大患難時代の中に入ってしまうという悲劇となります。


救いは「信仰+恵み+0」のみです。

これは厳粛です。

救いには人の努力とか、行いとか、そういうものは一切入りませんし、入り込む余地もありません。




でね、最近、このヨハネの黙示録を学んでいる中で教えられたことがあります。

それは、3章に書かれているフィラデルフィアの教会についてです。

このフィラデルフィアって「兄弟愛」っていう意味です。

豊かな町で、偶像に満ちた町であるフィラデルフィア、そこにあった教会なんですが、神様はこの教会について一切叱責をされなかったんです。

その理由、わかりますか?

実はその理由がこの3章に書かれているんです。

ここは新改訳聖書の訳だと問題があり、間違った意味で伝わってしまう可能性があるので、最新の訳、再来年、2018年の秋に日本聖書協会から出版予定の「標準訳聖書」から紹介します。



フィラデルフィアにある教会の天使に、こう書き送れ。
聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、誰も閉じることがなく、閉じると、誰も開けることがない。
その方が言われる。
「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開けておいた。誰もこれを閉じることはできない。
あなたは力の弱い者であるが、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである」
黙示録3:7~8



「あなたは力の弱い者であるが、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである」

力は弱くてOKなんです。逆に力が弱いことこそ大切。

ぼくたちの内には力はとっても弱いです。だから主に信頼し、主が力を与えてくださいます。

そして彼らの信仰は一つで、しっかりとみことばを学び、そこに留まっていたことです。

混ぜ物のない純粋なピュアなみことばを理解し、そこに留まり、立ち続けている、それがフィラデルフィアの教会の信仰であり、状態でした。


ぼくらはどうでしょう?

常にみことばにしっかりと立ち続けていたいですね。

みことばに立ち、みことばに留まり続ける者でありたいです。


純粋なみことば、書かれているみことばに、それこそ洗礼を受けることで救いが完成するとか、付け加えることをせず、純粋なみことばのみ受け入れ、そこに留まりたいです。

みことばに信頼を置く信仰、これこそ、携挙を待ち望む信仰であり、キリストの弟子の姿です。


お互いにみことばに、純粋なみことばに留まり続けましょうね。


祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~(@^^)/~~~
 
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イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。