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キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

Top Page › Archive - 2018年03月
2018-03-21 (Wed)

イエス様はどういうお方?

イエス様はどういうお方?

こんにちわ~5日ぶりですね~一週間以内にアップ出来て、ほっです。今日は気温が下がり、寒い一日でした。最近暖かくて、桜も開花したのに、また寒くなり、明日は真冬~でもこうやって春本番になっていくんでしょうね。さてさて、前回、婚前交渉の話を書きました。で、その時にクリスチャンの場合、神様との関係性がどうなのかが問題の一つだということを書きました。で、今日は、イエス様はどういうお方かということについて、ご...

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こんにちわ~

5日ぶりですね~

一週間以内にアップ出来て、ほっです。


今日は気温が下がり、寒い一日でした。

最近暖かくて、桜も開花したのに、また寒くなり、明日は真冬~

でもこうやって春本番になっていくんでしょうね。



さてさて、前回、婚前交渉の話を書きました。

で、その時にクリスチャンの場合、神様との関係性がどうなのかが問題の一つだということを書きました。

で、今日は、イエス様はどういうお方かということについて、ご一緒にみことばを通して学ぼうと思います。


ヨハネの黙示録1章12~18節にこうあります。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。
その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。
その足は、炉で精錬された、光輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。
また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、頭は強く照り輝く太陽のようであった。
この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。
「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。また、子とよみの鍵を持っている。」

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

これ、ヨハネの黙示録の著者であるヨハネの体験です。

この時、ヨハネはパトモス島という島にいました。

パトモス島にいたって聞くと、バカンスかなんかでパトモス島にいて、美味しいもの食べて、海で泳いで~っていうイメージを持つ方もいるかもしれませんね。

ぼくもたぶん、何の情報もなく、ヨハネのパトモス島での体験って聞くと、あぁ、ヨハネ、パトモス島で優雅な休日を取っていたんだなぁって思っちゃうと思います。

だって、パトモス島ってエーゲ海みたいな響きだし、めちゃくちゃおしゃれで波の音が似合いそうな響きですもんね。


でもね、実はそんな甘いというか、おふざけの状態じゃなかったんです、ヨハネは。

このとき、ヨハネはおじいちゃんになっていました。

だってね、イエス様が十字架にかかられ、三日目によみがえられて、天に上げられてから、約65年も経ってるんですからね。

しかも、ローマ帝国によるクリスチャンへの迫害はもの凄くて、多くのクリスチャンは殺されてしまいました。

そして、ヨハネはイエス様の12弟子でしたよね。

なんと、ヨハネ以外の弟子は全員亡くなり、ヨハネだけが助かったんです。

でも、ヨハネはエーゲ海にあるパトモス島に島流しにされたんです。


そんな中で、神様から啓示があり、このヨハネの黙示録を書きました。

そのヨハネなんですが、ある日、聖霊がヨハネに臨み、彼の後ろからラッパの音のような大きな声が聞こえたんです。

ラッパっていっても、心地よい音楽とかじゃなく、おそらく戦いのラッパの音だったんだと思います。

そして、ラッパの音と共に声が聞こえて、「あなたの見ることを巻き物に記して、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい」(黙示録1:11)って言われたんです。



で、何だろうと思い、ヨハネは後ろを振り向いたんですが、その時の情景が上に書いた12節以降のみことばなんです。

で、ヨハネが後ろを振り向くと、7つの金の燭台(しょくだい)が見えました。

その燭台は、メノラーって言って、七枝の燭台じゃなく、一つ一つ独立した7つの燭台です。

そして、その燭台の真ん中には「人の子のような方」、つまりイエス様がおられたんです。


ところが、ヨハネが見たイエス様、優しくて穏やかで笑顔のイエス様じゃなかったんです。

イエス様の頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白いです。

これは白髪じゃなく、言葉では言い表せない真っ白で神々しい白さです。


そして、イエス様の目は燃える炎のようです。

前にも書きましたが、燃える炎って、すべてを見抜いておられる目です。

完璧な知識、誤りなき洞察力、罪に対する容赦なき裁きを示している目、それが燃える炎です。

イエス様のこの時の目はそういう目でした。


そしてイエス様の足は炉で洗練された、光り輝く真鍮(しんちゅう)のようでした。

これはイエス様が裁き主だということを真鍮という言葉で表現しているんです。


で、イエス様の声なんですが、大水のとどろきのような声でした。

力強く、威厳に満ちていて、声を聞いただけで震え上がるほどに畏怖の念で満ちた声だったんです。


そしてイエス様の右手には七つの星を持っていて、口から鋭い両刃の剣が出ていて、イエス様の顔は強く照り輝く太陽のようだったんです。

七つの星は1章20節に「七つの教会の御使いたち」だって書いてあります。

教会を守る天使です。

そして、右手は権威ある所有を現しています。

で、問題はイエス様の口です。口から両刃の剣が出ていたんですが、両刃の剣は「神のことば」で、みことばは両刃の剣のように鋭く、人々の罪を裁くんです。

イエス様が裁き主として、表現されています。


で、顔は照り輝く太陽のようでした。

これはシャカイナ・グローリーっていうんですが、神様の栄光の輝きで、その輝きでイエス様は満ちていました。

もうこの世の光では表現できないくらいに眩しく、太陽のような栄光の輝きで満ちておられるイエス様です。


そのイエス様を見たヨハネ、あまりの恐ろしさと神々しさに、イエス様の足もとに倒れてしまい、もはや死人のようになってしまいました。

イエス様はそのヨハネに「恐れるな」と語りかけられ、優しく手を置いてくださいました。



長々とヨハネの見たイエス様の姿について書いたんですが、このイエス様、ぼくたちが思う優しくて愛に溢れているイエス様と違いますよね。

だって、口からは剣が生えているし、声は大水のとどろきのよう。

髪の毛はまばゆいばかりの白で輝き、イエス様は太陽のような栄光の輝きで見ていたいたんですからね。


ぼくたちは、イエス様っていうと優しいって思います。

もちろん、これは正しいです。

優しくて愛に溢れたお方、それがイエス様。

でもね、同時に罪を見逃さず、憎まれるお方でもあるんです。

つまりね、イエス様は裁き主なんです。


ぼくたちは、イエス様は神であられ、裁き主でもあるお方であることを知る必要があります。

この側面がわかると、イエス様が憎まれること、悲しまれることが出来なくなります。

イエス様は優しいし、どうせ悔い改めれば赦されるし、そういうイエス様を軽く見ることの出来なくなります。


でもね、そのイエス様があまりの恐ろしさに死んだようになったヨハネに優しく手を置いて、「恐れるな」って言ってくださったんです。


日々の歩みの中で、イエス様は確かに友なんだけど、同時に神でもあるお方です。

ぼくたちはまるで「イエスくん」とか「イエスちゃん」って、神様だっていうことを忘れ、ただの友だちみたいに思い、しかもその優しさに甘え、罪に対してもゆるくなっちゃう傾向にあると思います。

そして自分たちの欲を優先してしまうんです。


義に満ちたイエス様と友なる優しいイエス様、両面をお持ちのお方、それがイエス様です。

それをどっちかに比重を置くと危険です。

優しいお方っていうことばかりに比重を置くと罪に対してゆるくなっちゃうけど、逆に義に満ちたお方のほうに比重を置くと、それに縛られ、恐怖心で行動したり、律法主義になってしまいます。

バランスが大切なんです。


ぼくたちは、イエス様が憎まれること、悲しまれることをしないようにしましょうね。

そして、イエス様が悲しまれることを、ぼくたちもまた悲しむ、これが大切です。

愛し合えば愛し合うほど、誘惑も大きいです。

性交渉だけじゃなく、日常生活の中でも誘惑はいっぱいあります。

サタンはぼくたちにささやき、「これくらいいいじゃん。これやったら幸せになるよ」って甘く優しく囁いてきます。

それはぼくたちをイエス様から離すため、堕落させるためです。


だから、みことばを学ぶ必要があります。

そしてみことばの土台の上にしっかりと立ち続け、悪魔の誘惑のささやきに耳をかさず、拒否るのです。


なんか偉そうに言ってるけど、ぼく自身もおんなじです。

本当に目を覚まして、イエス様の心で行動していきたいなって心から思ってます。


お互いにイエス様の心、大切にして歩みましょうね。

イエス様の愛の御手に支えられながら。。。


じゃぁね
 
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2018-03-16 (Fri)

結婚を通しての関係

結婚を通しての関係

こんにちわ~今日も無事終わりました今日は何を書こうかなって思ってたんですが、YouTubeを見ていて、これについて書こうと思ったので、それについて、というか、感じたことを補足的に書こうと思います。これ、「聖書入門.com」というハーベストタイムから発信している動画サイトからのもので、「3分間でわかる!聖書」というシリーズで、キュー○ー3分クッキングみたい(笑)なんですが、短い時間でよくまとめられて、とてもわかり...

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こんにちわ~

今日も無事終わりました

今日は何を書こうかなって思ってたんですが、YouTubeを見ていて、これについて書こうと思ったので、それについて、というか、感じたことを補足的に書こうと思います。





これ、「聖書入門.com」というハーベストタイムから発信している動画サイトからのもので、「3分間でわかる!聖書」というシリーズで、キュー○ー3分クッキングみたい(笑)なんですが、短い時間でよくまとめられて、とてもわかりやすいです。


で、今回のテーマは、「婚前交渉はなぜいけないのですか?」という質問に対する回答です。

ぜひ動画を観てくださいね。とってもわかりやすく、聖書から語られていますからね。


創世記2章24節
それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。

神様は私たちに結婚という制度を与えてくださっています。

それは単なる紙切れで結ばれる、そのようなものではありません。

だってね、人類最初の夫婦であるアダムとエバ、まっこの時はまだエバという名前が与えられていないので「女」なんですけどね。

この二人に上のみことばが語られています。


この二人の結婚は、何時だかわかりますか?

そう、神様がアダムを造り、そのあばら骨からアダムの助け手として女を造られ、ふたりは結婚へと導かれました。

アダムは女に「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから」(創世記2:22)と語り、喜びました。


おわかりと思うんですが、この時って、まだアダムが罪を犯す前ですよね。

まだ地上に罪がなく、ふたりとも服を着ていなくて裸だったんですが、恥ずかしいと全く思わなかったんです。

その時に、ふたりは結婚し、神様は「男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる」って語られたんです。


だから結婚って、罪の結果出来たもんじゃないんです。

本来、祝福に満ちたものなんです。


それとね、聖書はイエス様と私たちクリスチャンの関係を花婿と花嫁という形で語られています。

イエス様は花婿で、私たちクリスチャンは、それが男であっても女であっても関係無く、花嫁なんです。

イエス様はヨハネの福音書で、こう語られています。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆
あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしがいるところに、あなたがたもいるようになるのです。
ヨハネ14章1~3
☆★○☆★○☆★○☆★○☆

イエス様は私たちの罪のために十字架にかかり、死んで墓に葬られ、三日目によみがえりました。
復活されたイエス様は天に上げられたんですが、今も生きて、今は大祭司として私たちのためにとりなし祈っていてくださっています。

このイエス様が将来私たちを迎えに再び来てくださいます。

そのとき、既に死んだクリスチャンの人たちはこの地上でよみがえり、天に上げられます。

そしてその時生きているクリスチャンも、そのまま天に上げられるんです。

これを携挙っていうんですが、私たちが住む場所が整えられたら、イエス様が私たちを迎えに来てくださり、私たちクリスチャンは天に上げられ、空中でイエス様とお会いするのです。

そして、天に上げられた後、イエス様と私たちクリスチャンとの結婚式が待っています。

その後、この地上では7年間の大患難時代に入り、7年後にその時に生きているユダヤ人全員が悔い改め、イエス様に助けを求めたとき、イエス様は再びこの地上まで戻って来てくださいます。

これを再臨というんですが、イエス様はエルサレムに戻られ、その後、千年間、イエス様はこの地を王の王として統治されます。

そして、なんとその時、私たちとイエス様との披露宴が催されるのです。

それはものすごい規模で、想像を絶する至福の時なんでしょうね。

これが聖書の約束で、私たちクリスチャンは、イエス様が迎えに来てくださることを心待ちしています。



さて、実は結婚、そして夫婦生活って、このイエス様と私たちとの結婚の型であり、前味わいなんです。

私たちの結婚、そして夫婦生活を通して、神様と私たちの関係を味わうことが出来る、これは大きな恵みだと思います。


だから、結婚って、よく言われる紙切れ一枚で束縛されたくないとか、結婚なんてどうでもいい、二人が愛し合えばそれでいいじゃんって、そういう問題じゃないんです。

結婚を通して、神様は私たちを整え、祝福しようとされています。

だから、結婚は大切だし、独身の賜物が無いのなら、結婚について祈るべきだと思います。



で、長々と結婚について書きましたが、この結婚という枠組みの中で、性行為を神様は与えてくださっているんです。

セックスはネガティブに考えるべきではないし、私たちを喜ばせるためのプレゼントです。

そして単に子作りのためだけじゃないです。

セックスを通して、夫婦がお互いをいたわるようになり、まさに心も体も一つにされるんです。

でも、無秩序に「お互いが愛し合っていればべつにいいじゃん」ってセックスすること、これは神様を悲しませる行為であり、そこには真の祝福はありません。


これ、今に始まったことじゃないんですが、クリスチャンの中にも、残念ながらセックスに対して軽く考える人も意外と多くいます。

でも、クリスチャンは心の中で、婚前交渉はいけないっていうことはわかっています。

でも好きになったらしょうがないって、割り切って、セックスをする、これが実態だと思います。


ある人から聞いたんですが、未信者の人に相談し、まだ関係を持っていないっていうことを話したところ、その人にびっくりされ、「あなた、そんな、もし相性が悪かったらどうするの!!!結婚してからじゃ遅いんだからね!」って言われ、「たしかに。。。そうだなぁ~」って心揺らいだっていうことを教えてくれました。


この世の価値観からしたら、いちいち結婚するまでセックスをしちゃいけないなんてあり得ないことで、愛し合ったら当然する自然な行為ですよね。

聖書の価値観とは真逆なんです。

そして、動画の冒頭でも言っていましたが、この世の価値基準は神様じゃなく、「私」です。

自分が、自分が、自分が喜べば、自分がいいと思えば、これがこの世の中の価値基準です。

でも私たちクリスチャンの価値基準は神様です。

神様が悲しまれること、神様が忌み嫌われることをしてはいけません。

だから、未信者の人たちの意見に左右されるべきじゃないんです。



じゃぁ、問題は、クリスチャンで、過去、お付き合いをしている中で性行為をしてしまった場合、どうなんでしょう?

神様は怒って、離れちゃうんでしょうか?

そうじゃないですよね。それでもその人を愛しておられます。

だから、神様を悲しませたことを悔い改め、そこから離れることです。


そして、「私は大丈夫!」、そう過信しちゃだめです。

イエス様が十字架にかかる前、ペテロも同じようなこと言ってましたよね。。

私たちは男であっても、女であっても、弱さを持っています。

性別は関係ありません。

だから、注意深く、そして結婚するまで、そしてパートナーとだけするんだっていうことを意識すること、そういう雰囲気にならないよう注意すること、これが大事なんですよね。



で、性行為を持ってしまった場合、悔い改め、罪を赦して頂いたら、もう自分を責めないことです。

だってね、イエス様を通して父なる神様に悔い改めたなら、その罪は赦され、もはやその人の内にありません。

だから、向きを変え、そこから離れ、神様との関係性を深めることです。



そうそう、性行為を軽く見てしまう大きな原因の一つは、神様との関係性だと思います。

また、イエス様の愛が強調されすぎて、「イエス様はわかってくれるから」とか「優しいお方だから」って、きっと理解してくださるだろうって軽く思ってしまう傾向もあるのかなって思います。

でもね、イエス様は愛に満ちたお方で優しいお方ですが、同時に神様であり、義なるお方です。

罪を悲しまれますが、報っておいたり、見逃したりはしません。

私たちはイエス様に対して愛と義、両方お持ちのお方として交わるべきです。


みことばを通してイエス様との交わりが深くなればなるほど、どれほど婚前交渉を悲しまれておられるかがわかります。


そんなことを思い、思いのまま、導かれるままに書きました。

といいつつ、ぼく自身、まだ結婚してないんですけどね。。。

あぁ結婚、したいなぁ。。。

真剣に祈っています。


ということで、この辺で。。。


じゃぁね~

 
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2018-03-15 (Thu)

私たちに与えられた隠れたマナと白い石

私たちに与えられた隠れたマナと白い石

こんにちわ~新約聖書の中に「イエス様からの手紙」があるの、知ってます?パウロの手紙、ありますよね。ヨハネの手紙もありますよね。ペテロの手紙もね。じゃぁ、イエス様の手紙は????実はあるんです。これ、福音書のことじゃないですよ。ヨハネの黙示録2章1節~3章22節までの箇所、実はこれ、イエス様の7つの教会に宛てた手紙なんです。ただこれ、イエス様が語られて、それを御使いが書き送った手紙なんですが、実際は御使い...

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こんにちわ~

新約聖書の中に「イエス様からの手紙」があるの、知ってます?

パウロの手紙、ありますよね。ヨハネの手紙もありますよね。ペテロの手紙もね。

じゃぁ、イエス様の手紙は????

実はあるんです。これ、福音書のことじゃないですよ。


ヨハネの黙示録2章1節~3章22節までの箇所、実はこれ、イエス様の7つの教会に宛てた手紙なんです。

ただこれ、イエス様が語られて、それを御使いが書き送った手紙なんですが、実際は御使いは代筆で、イエス様が書くようにと言われて語られた内容をそのまんま御使いが書いた手紙です。


何れ、この7つのイエス様の手紙について、ブログに書きますね。

今日はその中から教えられたことを分かち合います。


黙示録2章17節、これはペルガモンといって、エーゲ海から約25キロメートル東にあった町なんですが、そこの教会に宛てたイエス様からの手紙の中の一部です。

といっても、結論で、イエス様の約束がその内容です。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。
勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。
また、白い石を与える。
その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

このペルガモンって強烈なところで、裕福な町なんだけど、偶像礼拝が蔓延していて、罪に満ちていて、クリスチャンがその中で暮らすのは、とても戦いがありました。

しかも、教会の中にまで、この罪の流れが入り込んできたんです。

その中には性的な堕落を伴った偶像礼拝も含まれています。

だから、「クリスチャンは自由なんだから、そんな堅いこと言わなくても大丈夫。イエス様、優しいお方だから、赦してくださるし♪」って、こんなノリだったんでしょうね。

そして、悪の流れが教会の中に入り込み、大変な状態でした。



そういう中で、イエス様はペルガモンの教会の人たちに「悔い改めなさい」(黙示録2:16)と勧めました。

そして、さっき、上に上げた17節のみことばです。

そういう罪の流れの中で、イエス様に留まり、罪を拒否し続ける者には、二つのものを与えるって、イエス様は彼らに約束されたんです。


それは何かというと、隠れたマナと白い石です。

この「隠れたマナ」って何かというと、このマナはイエス様の型です。

つまり、隠れたマナを食べることが出来るというのは、栄光の御座におられるイエス様を通して、点のお父様と深くて親密な愛の交わりが与えられるということです。

ぼくたちには、隠れたマナがあるんです。

これは、世の中の人が決して得ることが出来ないもので、最高のものなんです。

周りを見ると、苦しいこと、悲しいことがいっぱいです。

嫌になることもいっぱいあります。

でも、目を天に向けるとき、そこにはイエス様がおられ、両手を広げて私たちを迎え入れてくださり、イエス様を通して天のお父様とも深い深い愛に満ちた交わりを持てるんです。

クリスチャンじゃない人はそれを体験したことがないから、隠されています。まさに「隠れたマナ」ですね。

でも、ぼくたちはもう体験済みです。

ぼくたちの歩みの中で、激しい嵐の中にあっても、揺るがされないのは、そのただ中で隠れたマナが与えられているからなんです。

ぼくたちはそれを持っている。クリスチャンってそういう存在なんです。



そして、「白い石」なんですが、これは当時の文化を知らなくちゃ、何のことかわかんないですよね。

だって、白い石って、たとえば海に行けば浜辺に白っぽい石はあります。

また、囲碁の碁石も白ですよね。


実はね、旧約聖書の時代の裁判では、無罪のしるしとして被告人として立たされている人に、その人が無罪だという証拠として、白い石が渡されたんです。

だからね、白い石が与えられたというのは、罪が赦され、もう無罪とされているというしるしなんです。

ぼくたちはイエス様の福音を信じ受け入れた瞬間にこの白い石が与えられたんです。



そして、ローマ時代には、競技会、今でいうオリンピックがありました。

今は、勝者には金メダルとか銀、銅メダルとかが与えられたのですが、当時はそうじゃないんです。

白い石が与えられたんです。

その白い石、何の価値があるのかというと、当時、勝者が参加することが許される宴会があり、その宴会に参加出来るしるしがこの白い石だったんです。

だから、その白い石さえあれば、勝者のための宴会に、その白い石を見せれば参加出来たんです。

ぼくたちは、勝者として与えられた白い石を持って、天で開かれる大祝宴に参加することが出来るんです。



さら、この白い石、主人が客を歓迎するしるしとして与えられるものなんです。

ここでは、神様に受け入れられたしるしとして、私たちに白い石が与えられたんです。



で、この白い石、ただの石じゃないんです。

17節の後半には、「その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている」とあります。

ということは、罪許され、新しくされた私たちの名前がこの白い石には書かれているんです。

私たちは神様に受けいられ、神の家族の一員と数えられ、天の宴会に参加出来るしるしが与えられているんです。

こんな凄い特権が私たちには与えられているんです!!


ぼくたちが罪赦され、救われたということ、クリスチャンとなったということ、これはもの凄いことなんです。

そしてこれは当たり前のことじゃなく、恵みなんです。

だって、ぼくたちは本来、救いとは全く関係のないところにいた者たちですからね。

そんな私たちが救われ、クリスチャンとされたということ、これは本当に恵みであって、ただただ神様に感謝なんです。


クリスチャンってほんと、凄いですね。

ぼくたちに与えられている隠れたマナと白い石。

救われたことで、今、最高級のマナを味わい、そして将来、ぼくたちがこの地上生涯を終え、死んだ後、天の大宴会でイエス様と直接お会いし、最高の祝宴を堪能出来る恵みが約束されています。

だって、ぼくたちには白い石がもう既に与えられていますからね。


ぼく自身そうですが、苦しいこといっぱいありますね。

逃げ出したくなることもいっぱいあります。

悲しいこともいっぱいです。

でも、そんな苦しいただ中で、ぼくたちには隠れたマナが与えられているんです。


詩篇23篇5節にこうあります。

私の敵をよそに、あんたは私の前に食卓を整え、頭に香油を楚々いて下さいます。

神様はこういうお方です。

さあ、今日も最高級のマナを堪能し、お腹いっぱいになるまで味わいましょうね。

ハレルヤ、感謝します


じゃぁね
 
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2018-03-14 (Wed)

ブログ復活~♪

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こんにちわ~3月、速いもので明日で後半。今年に入って、2ヶ月半なんですよね。なんか速い。。。ブログ、しばらくお休みしていました。今日から気分を一新して再開することとします。このブログは、導かれたままに、思いのまんまに書き綴っていこうと思ってます。力を抜いて、ご一緒に主の恵みを味わえればなぁって思ってます。そんなこんなですが、改めてよろしくお願いします。じゃぁね~...

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こんにちわ~

3月、速いもので明日で後半。

今年に入って、2ヶ月半なんですよね。なんか速い。。。


ブログ、しばらくお休みしていました。

今日から気分を一新して再開することとします。

このブログは、導かれたままに、思いのまんまに書き綴っていこうと思ってます。


力を抜いて、ご一緒に主の恵みを味わえればなぁって思ってます。

そんなこんなですが、改めてよろしくお願いします。

じゃぁね~
 
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