こんにちわ~
今日も無事一日が終わりました。
今朝、旧約聖書の伝道者の書を味わいました。
で、最後の最後の箇所、12章13~14節、この箇所がずっと心に残り、そのことを思い巡らしてました。
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すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ」
これこそ、人間のすべて。
神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこともすべて、裁きの座に引き出されるであろう。
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ほんと、コヘレト(新改訳聖書で言う伝道者)の出した結論、これがすべてですよね。
「神を畏れ、その戒めを守れ」
日々の歩みの中で、神を畏れること、神様を畏れ、神様との関係をしっかり持つこと。
これ、ほんと、大切ですよね。
でもね、忘れちゃだめなのは、「畏れ」であって「恐れ」じゃないっていうこと。
神様を畏れることって、まさに礼拝です。
それは決して恐怖心から出ることじゃなくて、神様との愛の関係から出て来ること。
そして、神様との関係が深くなればなるほど、神様を悲しませたくないという思いが出て来ます。
だから、大切なのは、神様との関係性なんです。
でも、それも、朝5時に起きて、聖書を5章以上読んで、1時間以上祈ってって、そういうことじゃ決してないです。
そうじゃなくて、日々の歩みの中で、神様を第一とし、みことばを味わい、みことばに信頼すること。
そこから出て来る神様との関係性です。
「神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこTもすべて裁きの座に引き出されるであろう」
ヘブル9章27節を思い出しました。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」
私たちは死後、必ず神様の前に出ます。
クリスチャンは全員、キリストの御座の裁きといって、携挙された後、イエス様の前に出て、裁きを受けます。
これは報償の裁きであって、罪をジャッジする裁きではありません。
でもね、その時、私たちのすべて、隠していたことも何もかも、イエス様の前にあらわにされます。
その時、「よくやった、忠実な良いしもべ」って言われたいですよね。
日々の歩み、神様を畏れ、神様を愛し、みことばを学び、忠実にみことばに従う。
今日、私たちに与えられている律法は「キリストの律法」という律法で、それはイエス様が、また使徒たちが語られた命令、つまり、新約聖書で語られている命令、これがキリストの律法です。
だから、私たちにとっての戒めは、キリストの律法です。
私たちが日々、みことばを学び、みことばに忠実に生きようとすると、自ずとキリストの律法を守ることとなりますよね。
だって、聖書に従うということは、その戒めに従うことですからね。
日々、みことばを学び、みことばに対して忠実に生きる者、みことばに従う者でありたいですね。
そんなことをこの一日、思い巡らしました。
主よ、あなたのみことばに忠実に従う者として、明日も歩ませてください。。。
お互いに主のみことばに忠実でありましょうね

でわでわ~

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最終更新日 : 2016-10-28