主を畏れる歩み - みことばの分かち合い
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みのみの

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こんにちわ~

今日も無事一日が終わりました。

今朝、旧約聖書の伝道者の書を味わいました。

で、最後の最後の箇所、12章13~14節、この箇所がずっと心に残り、そのことを思い巡らしてました。


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ」
これこそ、人間のすべて。
神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこともすべて、裁きの座に引き出されるであろう。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆


ほんと、コヘレト(新改訳聖書で言う伝道者)の出した結論、これがすべてですよね。

「神を畏れ、その戒めを守れ」


日々の歩みの中で、神を畏れること、神様を畏れ、神様との関係をしっかり持つこと。

これ、ほんと、大切ですよね。

でもね、忘れちゃだめなのは、「畏れ」であって「恐れ」じゃないっていうこと。


神様を畏れることって、まさに礼拝です。

それは決して恐怖心から出ることじゃなくて、神様との愛の関係から出て来ること。

そして、神様との関係が深くなればなるほど、神様を悲しませたくないという思いが出て来ます。


だから、大切なのは、神様との関係性なんです。


でも、それも、朝5時に起きて、聖書を5章以上読んで、1時間以上祈ってって、そういうことじゃ決してないです。

そうじゃなくて、日々の歩みの中で、神様を第一とし、みことばを味わい、みことばに信頼すること。

そこから出て来る神様との関係性です。



「神は、善をも悪をも、一切の業を、隠れたこTもすべて裁きの座に引き出されるであろう」

ヘブル9章27節を思い出しました。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」


私たちは死後、必ず神様の前に出ます。

クリスチャンは全員、キリストの御座の裁きといって、携挙された後、イエス様の前に出て、裁きを受けます。

これは報償の裁きであって、罪をジャッジする裁きではありません。

でもね、その時、私たちのすべて、隠していたことも何もかも、イエス様の前にあらわにされます。

その時、「よくやった、忠実な良いしもべ」って言われたいですよね。


日々の歩み、神様を畏れ、神様を愛し、みことばを学び、忠実にみことばに従う。

今日、私たちに与えられている律法は「キリストの律法」という律法で、それはイエス様が、また使徒たちが語られた命令、つまり、新約聖書で語られている命令、これがキリストの律法です。

だから、私たちにとっての戒めは、キリストの律法です。


私たちが日々、みことばを学び、みことばに忠実に生きようとすると、自ずとキリストの律法を守ることとなりますよね。

だって、聖書に従うということは、その戒めに従うことですからね。


日々、みことばを学び、みことばに対して忠実に生きる者、みことばに従う者でありたいですね。

そんなことをこの一日、思い巡らしました。


主よ、あなたのみことばに忠実に従う者として、明日も歩ませてください。。。


お互いに主のみことばに忠実でありましょうね


でわでわ~


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イエス様の祝福が豊かにありますように。

キリストの愛を込めて。。。


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