神様の定めの時 - みことばの分かち合い
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みのみの

みのみの

こんにちわ〜

ここ数日、思わされていることがあるんです。

それはね、「神様の時」っていうこと。


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天の下では、何事にお定まった時期があり、すべての営みには時がある。
伝道者の書3:1

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このことをしみじみ思わされているんです。


今ね、ヨハネの黙示録の学びをしているんですが、黙示録1章1節にこう記されています。

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イエス・キリストの黙視。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。

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これ、黙示録の冒頭のみことばなんですが、「これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに記すため、神がキリストにお与えになったものである」ってありますね。

でもこれが書かれてから2000年くらい経っています。

「すぐに起こる。。。」

起こんないじゃ〜〜〜〜〜〜ん!!!!

って批判する人もいるみたいなんですが、この「すぐに起こるはずの事」って、ぼくたちの考えている時じゃなくて、神様の時、神様が定めておられる時なんです。

だからね、神様のその定めておられる時が来たら、すぐに行動されるんだっていうことなんです。

これを自分たちの経験している時間軸に合わせて読むから、わかんなくなっちゃうんですね。


冒頭で書いた伝道者の書3章1節のみことば、
「天の下では、何事にお定まった時期があり、すべての営みには時がある。」
これ、本当にそうなんだなぁって思わされているんです。

黙示録の冒頭の箇所もそうなんですが、「神様の時」ということが鍵なんです。



ぼくのまわりで、大変な病を抱えておられる方がいます。

もう余命が病院の担当医から告げられ、今は自宅で寝たきりの状態です。

ご家族は本当に心配し、また介護と看護で日々大変な生活をされています。


その方、体中が痛み、症状も波があり、何度ももうだめかもってご家族も思われたそうです。

今月持たないだろうって、家族で覚悟もされたとのこと。

でも、本当に不思議なんですが、一時的に落ちたとしても、また持ち直し、淡々とした歩みをされ、落ち着いてもいます。


その方のご自宅に伺い、交わりの時をもたせて頂きましたが、自分は寝たきりで何も出来ないし、それこそ食べたいものがあっても、以前のようにはいかない。でも心は平安なんですっておっしゃっていました。

また、以前は聖書を読むとき、注解書などを読んでいたけど、最近は直接みことばを味わい、イエス様の愛をひしひしと感じるとおっしゃっていました。


もちろん、戦いはあります。先月も食事をしても戻してしまい、大変でした。

でも、そういう苦しみの中、試練の中で、直接神様に養われているんだなぁって思わされたんです。


ご家族の方もクリスチャンなんですが、何度も今月持たないだろうって覚悟されてたとのこと、でも神様はその方を生かしてくださっています。


ぼく、思ったんです。

その方は見た目には寝たきりだし、可愛そうに、生活全般、家族のお世話を受けないと生きていけません。

でも、その方を通してイエス様の愛やイエス様の素晴らしさが伝わってくるんです。

神様はそうやってその方を通してご自身を現しておられるんだなぁって強く伝わってきたんです。



そして、生きるのも死ぬのも、神様の定めの時の中でのことなんだなっていうこと。

ぼくたちは一喜一憂し、その方の症状から「もうだめかも」って思ってしまいがちです。

でもね、人が召されるのは、神様の定められた時になんです。

だから、ぼくたちの方で勝手に死期を定めちゃだめだって感じたんです。

そして、生きていることは意味があるんだっていうこと、たとえ自分では何も出来なくなっても。


これ、ぼくたちの歩みもそうなんですよね。

自分が思っていることと違ったり、そのことで不安に感じたり、自分の年齢や状況から考えると、こんな筈じゃないんだけど。。。みたいな、そんなふうに感じ、焦ったり、落ち込んだり、不安にさいなまれたり、ぼく自身感じることがあります。

でもね、それはぼくの計画であり、この世の価値観の中での基準で、その基準の中での評価なんですよね。

神様の計画はぼくたちの思い描いているのとは違うし、もちろんこの世の価値観とは全く違います。

神様の定めの時が来たり、門が開かれます。

だから、ぼくたちが必要なのは、自分を責めることじゃないし、世の中を批判することでもないし、周りに辛く当たることでもないです。

ぼくらに一番必要なのは、「神様の定めの時」に信頼し、今やるべきことを心込めてすることなんです。


そのことをここ数日、すごく思わされ、ずっとそのことを思い巡らしているんです。


「神様の定めの時」、本当に大切だし、人生の鍵でもありますよね。

ぼくらはもがいて自分の時を獲得しようとするんじゃなくて、神様の時に信頼し、神様の愛に信頼し、そのご計画の大きさ、ぼくらのちっぽけなスケールを遙かに超えた大きな大きなご計画に信頼し、そこに身をゆだねること、これが大切なんですよね。

そしてそれは諦めじゃない、なまけでもない。

だからこそ、今目の前にあることに集中できるんです。

だって、それも神様が与えてくださっていることだし、その積み重ねの先にあるのは、神様のご計画であり、神様の定めの時につながっているんですからね。


神様の時に信頼する歩み、一緒にしていきましょうね


でわでわ〜

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キリストの愛を込めて。。。


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