こんにちわぁ~
今日はみことばの分かち合いしますね
旧約聖書のヨブ記です。
ヨブって本当に大変な中を通らされた人です。
だってね、最初、幸せな中で、家族にも恵まれ、神様を第一とした歩みをしていました。
そんなヨブ、突然酷い皮膚病に冒され、灰の中に座り、素焼きのかけらで体中を掻きむしる状態とされました(ヨブ2:8)。
そしてヨブの奥さんからも罵倒され、すべてを失ってしまったんです。。
それだけじゃないです。
なんと、見舞いに来た筈の友だちからも非難され、しかも22章を見ると、友だちの一人エリファズから濡れ衣を着せられ、悔い改めよって言われてるんです。
神様に訴えても、神様は沈黙されたままで、何も答えてくださいません。
ヨブの心を思うと、心痛くなりますね。。。
ヨブ23:8~9
あぁ、私が前へ進んでも、神はおられず、 うしろに行っても、神を認めることができない。
左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことが出来ない。
でもね、思うんですが、私たちもヨブみたいな最悪の状態では無いにしろ、説明不可能な苦難というか、苦しみの中に入れられてしまうことってあると思うんです。
祈っても、もがいても、解決されない。
ぼくもありました。
その時、呻いて呻いて、誰もいない教会で大声を上げて祈っても、どうにもなりません。
しかも、病で倒れてしまいました。
そして、もはや何も出来ない状態となり、その時、始めてわかったんです。
あぁ、ぼくの内には何も無いんだなぁってね。
どんなに大声で祈っても、何とかしようともがいても、どうすることも出来ませんでしたが、倒れたとき、始めて、自分の無能さがわかり、神様に頼るレッスンを受けるようになったんです。
苦難って、変な言い方なんだけど、ある意味恵みなんです。
逆に言うと、苦難に遭わなければならないほど、人間って頑ななんです。
そして、下を見ると真っ暗、その穴に落ちないよう、頑張って信仰を働かせて、もがいて、呻いて、主よーーー!!!って祈ります。
でも、その間は主は沈黙したまま、何も答えてくださいません。
今、はっきり言えるのは、その時、手を離して落ちてしまえばいいんです。
乱暴な言い方でごめんなさい、だってね、落ちた先ってどこだかわかりますか?
イエス様の優しい御手の中なんです。
私たちは、今の苦しみ、まるですべての道がふさがれたように見えても、でもその中で主を見上げ、主に信頼し、今与えられていることに忠実でありたいですね。
そして、頑張って握りしめているその手を、勇気を出して離し、落ちてしなうことです。
そう、優しいイエス様の御手の中に。。。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~
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最終更新日 : 2016-05-31