こんにちわ~
今週もあと二日、なんかあっという間ですね。
さてさて、今日はみことばの分かち合いをしますね。
今、旧約聖書の創世記を味わっています。
創世記3章を見ると、最初の人アダム、そして女(この時はまだエバっていう名前は
与えられていません)が蛇の誘惑に負けて、善悪を知る木の実を食べてしまったっていうことが書かれています。
創世記3:6~7そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。このようにして、ふたりの目は開かれ、それで亜kレらは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
蛇の誘惑に負けたのは、女でした。
彼女は蛇の甘い言葉を聞いた時、もう心はこの木の実に夢中になっちゃったんでしょうね。
おそらく3章1節にある「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか」という言葉を聞いた段階で、女はそうとう心揺さぶられたことと思います。
だから、彼女は蛇に対して「神様は『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』って言われたんだ」って答えたんでしょう。
神様は「食べたら必ず死ぬんだ」って食べることを禁止されたんですが、アダムから聞いた女の記憶は「死ぬといけないからだ」っていう言葉にすり替わっています。
こうなると、蛇に女の心をガチっと掴まれてしまっています。
蛇は「あなたがたは決して死にません」って言い、そしてそれどころか神様みたいにあなたもなれるし、神様に頼んなくても自分で善悪を判断出来るようになれるんですよって、心揺れる女に語りかけてきます。
とどめは「神は知っているのです」って言葉です。
さも神様が出し惜しみして、自分のようになって欲しくないから、食べさせないんだっていうように語り、それでもう女のこの善悪を知る木の実に対する欲求、食べたい!!!!っていう欲求で頭がいっぱいになっちゃったんでしょうね。
この誘惑を聞いた後、女の目には、善悪を知る木の実はまことに食べるのによく、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかったんです。
そしてついに食べちゃいました。
で、夫であるアダムはどうだったのかというと、なんと「いっしょにいた」んです。
アダムは神様から直接命令を受けているはずなのに、女をたしなめることをせず、彼女のなすに任せていたんです。
彼女のすることを尊重していたっていうと聞こえは良いけど、アダムは神様から直接聴いていたし、たしなめる責任がある筈なのに、それをせず、しかも女から与えられて食べちゃったんです。
アダムの責任は大だし、これは重罪です。
そして、人類の代表であるアダムが罪を犯した結果、その子孫である私たちにまで罪の結果が及んでしまっているんです。
これがこの3章の前半のストーリーなんですが、すごく考えさせられるのは、女にしろ、アダムにしろ、神様の命令よりも目の前の誘惑の方に心惹かれてしまうということです。
サタン(蛇がぺらぺらとしゃべったんじゃなくて、サタンが蛇を通して女にささやいたんです)の甘い誘惑がそれだけ強烈なんでしょうけど、でも神様との契約を破るっていうのは。。。ね~
でも、これが人間の弱さであり、サタンの言葉の巧みさなんでしょうね。
このサタンの誘惑、今もぼくたちの内にささやいてきます。
それは甘くて、魅力的、魅惑的です。
そうやって思いのうちに、サタンは誘惑し、真理から離そうとしているんです。
でね、そのサタンの誘惑から守られるために必要なことって、聖書のみことばを味わい、みことばに信頼し、自分の思いをみことばに合わせることです。
でも、サタンの誘惑に勝つにはそれだけじゃだめですよね。
そう、兄弟姉妹の励ましであり、祈り合いであり、慰め合いです。
でもこれ、車の両輪のように、どちらかだけというわけにはいきません。
みことばを学び、みことばに対する忠実、その上での兄弟姉妹との祈り合いであり、励まし合い、慰め合いなんです。
サタンの誘惑、甘く見ちゃだめだし、サタンは弱いところを突いてきます。
すると、あの女のように、「まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった」というのと同じ状態になり、誘惑に負けてしまいます。
「私は誘惑に負けない!」っていう人ほど、サタンにとっていいカモです。
そして、誘惑に負けて、悲しくなり、悔い改めて、でもまた誘惑に負けて。。。っていう悪循環となるんです。
ぼくたちは弱さを知り、みことばという土台の上に立ち、いえ、みことばの中に座り込み、そして同じ信仰の兄弟姉妹との関係を大切にすることで、サタンの誘惑に勝利できるんです。
みことばを慕い求め、みことばを学ぶ私たちでありましょうね。
でわでわ~

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最終更新日 : 2016-12-09