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信仰とは

こんにちわ~

今日二つ目の投稿です。


よく「信仰によって」とか言いますが、じゃぁ、信仰って何でしょう?

実はね、信仰の定義が聖書に書かれているんです。

それはヘブル11章1節。



信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。


このヘブル11章、この後、聖書に出て来るいろんな信仰者が出て来ますが、それはみんなこの信仰の定義どおりに行動したっていうことの説明というか、実例です。

でね、この「望んでいる事柄」とか「見えない事実」って何かというと、まさにイエス様の十字架と復活による救いの確かさのことです。

でもね、この「望んでいる事柄」が一人歩きするととっても危険、っていうか、御利益宗教的になっちゃいます。

だってさ、「こうなりたいです~!」とか、「こういう人と出会って、結婚して~」って、全部ベクトルが自分自分になり、「念じることが大切だ」的信仰になっちゃいます。

ここで言っているのってそういうことじゃなくて、イエス様による救い、つまり購いの確かさ、そして、再臨のことなんです。


さて、「見えない事実」ってありますね。これ、どうやって確認するのかというと、そう、聖書のみことばによってです。

奇跡が起きたとか、平安でいられるとか、そういう現象じゃないです。

そうじゃなくて、聖書に書かれていることをそのまんま信じ受け入れるのかどうかなんです。


そして、聖書は宇宙の始まりについて、人類の創造について、罪による堕落について、そして救済について、事細かに書かれている書です。

聖書は宇宙の始まりやイエス様の十字架と復活による救いという過去の出来事だけじゃなくて、将来のこと、携挙について、大患難時代について、ユダヤ人の民族的救いとイエス様の再臨、千年王国について、新天新地についてと将来についてまできちんと啓示されています。


問題は、この聖書に書かれている客観的事実に対してアーメンと受け入れ、そこに信頼を置くかどうか、そこに信頼を置くこと、それが信仰なんです。


最近特に思うんですが、聖書の権威に対してどういう反応してるのかなって自問自答しています。

たとえば、権威ある先生のメッセージとか、感銘を受ける信仰書とか、そこで語られている内容と聖書のみことば、どっちを上にしてるんだろうって自問自答しています。

みなさんはどうですか?

注意しないと聖書のみことばよりも○○先生のメッセージとか、聖書のみことばよりも教会の教え、そうなってしまう危うさがあると感じてるんです。


これ、おそらくだれも聖書の権威は認めていると思います。でも、無意識の内に聖書の権威よりも○○先生、○○教会の教えを上にしているような気がします。

それが人間の弱さなんでしょうね。。。


今日、信仰について思い巡らし、そういう中で、純粋な聖書のみことばの乳で養われる大切さ、そしてみことばの約束をアーメンと額面どおりに信じ、確信すること、そしてどんな先生が語られたことであってもみことばを開き、みことばから確認する大切さ、そのことを強く強く思わされました。

今週一週間、みことばの権威を認め、みことばという客観的事実をそのまんま信じ、みことばに従う一週間となりますように。。。


でわでわ~
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