こんにちわ~
前回も書きましたが、これから少しずつですが、イエス様がマタイの福音書13章で語られた一連のたとえ話について、ご一緒に味わっていくこととします。
では、さっそく、今日はマタイ13章1~3節の箇所から、みことばを味わいましょう
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マタイの福音書13章1~3節
その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かせた。
「種を蒔く人が種まきに出かけた。。。
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マタイ13章から突然たとえ話になった訳
実はこれから学ぶマタイ13章なんですが、この章、とっても重要な章なんです。
12章までと比較してみるとわかりますが、この13章を起点として、イエス様の活動スタイルがガラッと変わったんです。
12章までは、イエス様は具体的に、当時そこで生き、生活していた民衆にとってわかりやすい言葉で、且つ、具体的に語っていました。
それが突然、この13章を起点として、ガラッと変わっちゃって、とつぜんたとえ話で語るようになりました。
このたとえ話、あまりにも身近すぎて、イエス様が何を言いたいのか、当時そこにいた民衆には理解しづらかったのです。
実は、イエス様、この13章の時点で、あえてわかりにくくされたんです。
ただし、弟子たちには違った対応を取っておられました。
弟子たちは、わからないところをイエス様にお聞きしたら、それに対してイエス様はわかりやすく答えてくださいました。
だから、決して意地悪でたとえ話で話しているんじゃないんです。
赦されない罪を犯したから
イエス様が突然、たとえ話で語るようになったのでしょうか?
その理由はこの前の章である12章にあるんです。
12章をみると、そこにはイエス様が悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人を癒やされたことが記されています。
当時、悪霊追い出しをする方法は、悪霊の名前を聞いて、その悪霊の名前を呼んで追い出しました。
だから、口の利けない人の場合は悪霊を追い出すことが出来ませんよね。
それで、パリサイ人たちは、こういう悪霊を追い出すことが出来るのはメシアだけだって教えていたんです。
で、イエス様はなんと口の利けない人についた悪霊を追い出し、癒やされました。
ということは、イエス様はメシアだっていうことが実証されたんですよね。
だって、自分が教えていたことだから、それを否定することは、弟子たちに示しがつきません。
それでパリサイ人たちがどうしたのかというと、なんと彼ら、「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ」って語ったんです。
はぁ~ってため息が出て来ます
彼らが言ったベルゼブルって何かというと、ペリシテ人の偶像神の中の一つで、「王宮の主」という意味です。
そのベルゼブル、ヘブル語でそれに似た発音で「ベルゼバブ」っていう単語があり、その意味はハエです。
それでユダヤ人たちは「ベルゼバブ」、つまり「ハエの主」っていう意味を込めて「ベルゼバブ」って皮肉たっぷりに語っていたんです。
そして、このベルゼバブってサタンの名称としていたんです。
だからね、パリサイ人たちは、イエス様が悪霊を追い出したのは、イエス様が悪霊の頭で、しかもユダヤ人たちが「ハエの主」だってバカにし、サタンの名称として呼んでいた「ベルゼブル」の力で悪霊どもを追い出しているだけだって言ったんです。
イエス様は、この時に悪霊呼ばわりしたことを「赦されない罪」(32)だった言われたんです。
赦されない罪
この「赦されない罪」、ものすごく混乱し、多くのクリスチャンが恐れているワードです。
「赦されない罪、犯しちゃったかな。。。」ってね。
この箇所を使って、「私たちは救われても、救いを失うことがある」 って教えたりする人がいて、それを聞いている人は戦々恐々、救いを失いたくないって恐れてしまいます。
また、「あれはもう救いを失うな」って、時にクリスチャンらしくない振る舞いをする人を批判したり、「こんなことをしたら救いを失う」って判断したりします。
でもね、これらぜーーーんぶ間違いであり、うそ!!
だってね、考えてみてください、神様はそんないい加減な方じゃないですよ。
神様はね、一度罪赦し、ご自身の子どもとされた者を見捨てて、やっぱり救いを没収する、そんな無責任なお方じゃないです。
それにね、もしそうなら、ぼくたち戦々恐々となっちゃいます。
だって、神様の目から見たら、みーーーんな大なり小なり罪を犯しているし、それ以上に、神様の目から見たらどんぐりの背比べです。
っていうことはね、いつ神様が自分を見捨てるか、救いを没収されるか、わかんないし、ま、死ぬまで救いを維持出来る人など、おそらくいないでしょうね。。。
「一度救われても、救いを失うことがある」っていう教え、これは嘘だって、これでわかりますよね。
神様は契約の神様で、一度救いを約束したなら、もう絶対にその救いが無くなるようなことは絶対に絶対にありません。
神様は一度約束されたら、絶対に約束を破棄にされないお方、契約に対して忠実なお方なんです。
だから、安心してクリスチャンライフ、送ってくださいね
じゃぁ、この「赦されない罪」って何かというと、イエス様を悪霊呼ばわりしたその時のユダヤ人たちのことなんです。
私たちが何をしても、赦されない罪など犯しようがないし、犯すことも出来ないんです。
だから、このことで我々も赦されない罪を犯すことがあると聞いても、それを心に留めてはダメです。
どんな罪でもイエス様の前に告白したら赦されます。赦されない罪など何一つありません。
イエス様の十字架の御業は完璧なのです。
天の御国のプログラムの変化
さて、話しを戻しますが、こうやってその当時のユダヤ人たちは公式にイエス様を拒否しました。
ユダヤ人の王として来られたイエス様、そのイエス様を悪霊呼ばわりして拒否する。。。心痛くなります。
そして、この時以来、「天の御国のプログラム」は大きく変わったんです。
どう変わったのかというと、これまでイエス様は民衆に向かって、その人たちにわかるように語られていたんですが、この時を境に彼らに対してはたとえ話だけで語り、そして12使徒の訓練に焦点を合わせるようになったんです。
現実問題として、教会時代がまもなく来ます。
教会時代はイエス様が私たちの罪のために十字架にかかり、墓に葬られ、三日目によみがえり、天に上り、聖霊が下って以降から始まったんですが、イエス様のミニストリーは教会時代に働く弟子たちのための訓練にシフトしたんです。
イエス様の働きの変化
イエス様の働きの具体的な変化なんですが、この時以前は、奇跡をなされましたが、その人の信仰は問われませんでした。
しかし、この時以降は、その人に信仰があるかどうかが問われ、また必要を抱えた個人を助けるために行われました。
また、ユダヤ人たちが赦されない罪を犯す前は、イエス様は御自分がメシアであることを言い広めるように命じられました。
ところが、この時以降は真逆で、ご自身がメシアであることは誰にも言うなって命じられるようになったんです。
そして、「赦されない罪」を犯す前は、イエス様は山上の垂訓に見られるように、誰にもわかりやすい言葉で、明瞭にはっきりと人々に教えられました。
ところが、この事件以降は、たとえ話でしか語ることはなくなりました。
イエス様がたとえ話でしか教えなくなった理由は、聴衆から真理を隠すためです。
なぜなら、聖霊を汚す罪、赦されない罪を犯し、回帰不能点を超えたからです。
このように、イエス様の宣教が変更された理由は、その時代(今じゃないですよ~!!!)のユダヤ人たちが取り返しのつかない罪、つまり「赦されない罪」を犯したためなのです。
そして、この13章の一連のたとえ話の最初が「種まきのたとえ」です。
次回はこの「種まきのたとえ」について、ご一緒に味わうこととしましょう。
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。
じゃぁね~~
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最終更新日 : 2017-09-18