イエス様はどういうお方? - みことばの分かち合い
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みのみの

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こんにちわ~

5日ぶりですね~

一週間以内にアップ出来て、ほっです。


今日は気温が下がり、寒い一日でした。

最近暖かくて、桜も開花したのに、また寒くなり、明日は真冬~

でもこうやって春本番になっていくんでしょうね。



さてさて、前回、婚前交渉の話を書きました。

で、その時にクリスチャンの場合、神様との関係性がどうなのかが問題の一つだということを書きました。

で、今日は、イエス様はどういうお方かということについて、ご一緒にみことばを通して学ぼうと思います。


ヨハネの黙示録1章12~18節にこうあります。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。
その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。
その足は、炉で精錬された、光輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。
また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、頭は強く照り輝く太陽のようであった。
この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。
「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。また、子とよみの鍵を持っている。」

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

これ、ヨハネの黙示録の著者であるヨハネの体験です。

この時、ヨハネはパトモス島という島にいました。

パトモス島にいたって聞くと、バカンスかなんかでパトモス島にいて、美味しいもの食べて、海で泳いで~っていうイメージを持つ方もいるかもしれませんね。

ぼくもたぶん、何の情報もなく、ヨハネのパトモス島での体験って聞くと、あぁ、ヨハネ、パトモス島で優雅な休日を取っていたんだなぁって思っちゃうと思います。

だって、パトモス島ってエーゲ海みたいな響きだし、めちゃくちゃおしゃれで波の音が似合いそうな響きですもんね。


でもね、実はそんな甘いというか、おふざけの状態じゃなかったんです、ヨハネは。

このとき、ヨハネはおじいちゃんになっていました。

だってね、イエス様が十字架にかかられ、三日目によみがえられて、天に上げられてから、約65年も経ってるんですからね。

しかも、ローマ帝国によるクリスチャンへの迫害はもの凄くて、多くのクリスチャンは殺されてしまいました。

そして、ヨハネはイエス様の12弟子でしたよね。

なんと、ヨハネ以外の弟子は全員亡くなり、ヨハネだけが助かったんです。

でも、ヨハネはエーゲ海にあるパトモス島に島流しにされたんです。


そんな中で、神様から啓示があり、このヨハネの黙示録を書きました。

そのヨハネなんですが、ある日、聖霊がヨハネに臨み、彼の後ろからラッパの音のような大きな声が聞こえたんです。

ラッパっていっても、心地よい音楽とかじゃなく、おそらく戦いのラッパの音だったんだと思います。

そして、ラッパの音と共に声が聞こえて、「あなたの見ることを巻き物に記して、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい」(黙示録1:11)って言われたんです。



で、何だろうと思い、ヨハネは後ろを振り向いたんですが、その時の情景が上に書いた12節以降のみことばなんです。

で、ヨハネが後ろを振り向くと、7つの金の燭台(しょくだい)が見えました。

その燭台は、メノラーって言って、七枝の燭台じゃなく、一つ一つ独立した7つの燭台です。

そして、その燭台の真ん中には「人の子のような方」、つまりイエス様がおられたんです。


ところが、ヨハネが見たイエス様、優しくて穏やかで笑顔のイエス様じゃなかったんです。

イエス様の頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白いです。

これは白髪じゃなく、言葉では言い表せない真っ白で神々しい白さです。


そして、イエス様の目は燃える炎のようです。

前にも書きましたが、燃える炎って、すべてを見抜いておられる目です。

完璧な知識、誤りなき洞察力、罪に対する容赦なき裁きを示している目、それが燃える炎です。

イエス様のこの時の目はそういう目でした。


そしてイエス様の足は炉で洗練された、光り輝く真鍮(しんちゅう)のようでした。

これはイエス様が裁き主だということを真鍮という言葉で表現しているんです。


で、イエス様の声なんですが、大水のとどろきのような声でした。

力強く、威厳に満ちていて、声を聞いただけで震え上がるほどに畏怖の念で満ちた声だったんです。


そしてイエス様の右手には七つの星を持っていて、口から鋭い両刃の剣が出ていて、イエス様の顔は強く照り輝く太陽のようだったんです。

七つの星は1章20節に「七つの教会の御使いたち」だって書いてあります。

教会を守る天使です。

そして、右手は権威ある所有を現しています。

で、問題はイエス様の口です。口から両刃の剣が出ていたんですが、両刃の剣は「神のことば」で、みことばは両刃の剣のように鋭く、人々の罪を裁くんです。

イエス様が裁き主として、表現されています。


で、顔は照り輝く太陽のようでした。

これはシャカイナ・グローリーっていうんですが、神様の栄光の輝きで、その輝きでイエス様は満ちていました。

もうこの世の光では表現できないくらいに眩しく、太陽のような栄光の輝きで満ちておられるイエス様です。


そのイエス様を見たヨハネ、あまりの恐ろしさと神々しさに、イエス様の足もとに倒れてしまい、もはや死人のようになってしまいました。

イエス様はそのヨハネに「恐れるな」と語りかけられ、優しく手を置いてくださいました。



長々とヨハネの見たイエス様の姿について書いたんですが、このイエス様、ぼくたちが思う優しくて愛に溢れているイエス様と違いますよね。

だって、口からは剣が生えているし、声は大水のとどろきのよう。

髪の毛はまばゆいばかりの白で輝き、イエス様は太陽のような栄光の輝きで見ていたいたんですからね。


ぼくたちは、イエス様っていうと優しいって思います。

もちろん、これは正しいです。

優しくて愛に溢れたお方、それがイエス様。

でもね、同時に罪を見逃さず、憎まれるお方でもあるんです。

つまりね、イエス様は裁き主なんです。


ぼくたちは、イエス様は神であられ、裁き主でもあるお方であることを知る必要があります。

この側面がわかると、イエス様が憎まれること、悲しまれることが出来なくなります。

イエス様は優しいし、どうせ悔い改めれば赦されるし、そういうイエス様を軽く見ることの出来なくなります。


でもね、そのイエス様があまりの恐ろしさに死んだようになったヨハネに優しく手を置いて、「恐れるな」って言ってくださったんです。


日々の歩みの中で、イエス様は確かに友なんだけど、同時に神でもあるお方です。

ぼくたちはまるで「イエスくん」とか「イエスちゃん」って、神様だっていうことを忘れ、ただの友だちみたいに思い、しかもその優しさに甘え、罪に対してもゆるくなっちゃう傾向にあると思います。

そして自分たちの欲を優先してしまうんです。


義に満ちたイエス様と友なる優しいイエス様、両面をお持ちのお方、それがイエス様です。

それをどっちかに比重を置くと危険です。

優しいお方っていうことばかりに比重を置くと罪に対してゆるくなっちゃうけど、逆に義に満ちたお方のほうに比重を置くと、それに縛られ、恐怖心で行動したり、律法主義になってしまいます。

バランスが大切なんです。


ぼくたちは、イエス様が憎まれること、悲しまれることをしないようにしましょうね。

そして、イエス様が悲しまれることを、ぼくたちもまた悲しむ、これが大切です。

愛し合えば愛し合うほど、誘惑も大きいです。

性交渉だけじゃなく、日常生活の中でも誘惑はいっぱいあります。

サタンはぼくたちにささやき、「これくらいいいじゃん。これやったら幸せになるよ」って甘く優しく囁いてきます。

それはぼくたちをイエス様から離すため、堕落させるためです。


だから、みことばを学ぶ必要があります。

そしてみことばの土台の上にしっかりと立ち続け、悪魔の誘惑のささやきに耳をかさず、拒否るのです。


なんか偉そうに言ってるけど、ぼく自身もおんなじです。

本当に目を覚まして、イエス様の心で行動していきたいなって心から思ってます。


お互いにイエス様の心、大切にして歩みましょうね。

イエス様の愛の御手に支えられながら。。。


じゃぁね
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イエス様の祝福が豊かにありますように。

キリストの愛を込めて。。。


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