こんにちわ~
今日も無事一日が終わりました。ふぅ~
今日もみことばを分かち合いますね。
こうやって一日の終わりにみことばを分かち合えること、とってもとっても感謝です。
でね、今日はローマ人への手紙から分かち合いますね。
この箇所から二つのことを分かち合いますね。
「福音は、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」ってありますね。
パウロは 福音に完璧な信頼を置いていて、それを誇りとしていましたが、その理由がこれなんです。
「すべて」ってありますね。
救いはすべての人に差し出されています。
それが神様の御心ですもんね。
でもね、じゃぁ、みーーーんな、すべての人が救いを経験するのかっていうと、そうじゃないです。
救いを受ける方法は信仰です。信仰によって受け取る以外に救われる方法はないです。
じゃぁ、その信仰って何かというと、以前お話しした「福音の三要素」です。
これを信じ受け入れ、そこに信頼をおかなければ、救われているとは言えません。
ときどき、「教会に行っています、だからクリスチャンです」とか、「洗礼をちゃんと受けています、だからクリスチャンです」っていう人がいますが、残念ながら、それではクリスチャンだとは言えません。
いくら毎週教会にまじめに通ってるからと言っても、洗礼を受けたからと言っても、上の福音の三要素を信じ受け入れなければ、その人は求道者ではあるかもしれませんが、まだ救われていません。
もし、マリヤが処女でイエス様を産んだことやイエス様が三日目に復活されたことを疑っていたり、信じていないなら、まだクリスチャンではないのです。
これが福音であり、この福音こそ、私たち救われた者の原動力であり、神の力なんです。
その力は、今回、オバマさんが広島に来ましたが、その核兵器よりも遙かに強い力です。
そう、福音ってそれだけの力があるんです。
パウロは「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」って言っていますね。
これ、直訳すると「福音は、まずユダヤ人に対して、そしてギリシヤ人に対して」ってなります。
つまり、福音はまずユダヤ人に伝えられ、次にギリシヤ人に伝えられるっていうことで、福音を伝えるのには、神様が計画された順序があるっていうことです。
この16節の箇所、動詞は一つで、現在形です。
現在形という時制は、今もその真理が有効であるということを教えています。
つまり、福音は神様のものすごい力なんだっていうことは、今も変わらないということです。
そして、このパウロが語っているパターン、「福音は、まずユダヤ人に対して、そしてギリシヤ人に対して」っていう順番も、今も変わらず有効なんです。
パウロはね、この「まずユダヤ人に、そしてギリシヤ人に」っていう福音を伝える順番を必ず守り、一回も崩していません。
使徒の働き13章4~5でのパウロの最初の伝道も、28章23節のローマでの伝道もそうでした。
パウロは新しい宣教地に行くと、まずユダヤ人に福音を伝え、それから異邦人伝道に向かいました。
必ずです。
まずユダヤ人に、そして異邦人に
今の時代にもこれは当てはまります。
でも、ユダヤ人の知り合いとかいないし。。。。
そう思われたかもしれませんね。
そうなんですよね、直接ユダヤ人の人を知らないですよね。
でもね、祈ることは出来ますよね。
かれらのの祝福と、ユダヤ人の救いのためにです。
神様のご計画は、まずユダヤ人に、そして次に異邦人にっていう順番です。
ぼくたちもまた、家族や友だちのため、日本のために祈り、福音を伝えることはとっても大切なんですが、それと同時にユダヤ人がイエス様と出会い、彼らの心が開かれ、福音が受けいられるようにって祈ること、大切なんですよね。
今日、この箇所を味わいながら、そのことを思わされました。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~


今日も無事一日が終わりました。ふぅ~
今日もみことばを分かち合いますね。
こうやって一日の終わりにみことばを分かち合えること、とってもとっても感謝です。
でね、今日はローマ人への手紙から分かち合いますね。
ローマ1:16
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
この箇所から二つのことを分かち合いますね。
信じるすべての人
パウロは 福音に完璧な信頼を置いていて、それを誇りとしていましたが、その理由がこれなんです。
「すべて」ってありますね。
救いはすべての人に差し出されています。
それが神様の御心ですもんね。
でもね、じゃぁ、みーーーんな、すべての人が救いを経験するのかっていうと、そうじゃないです。
救いを受ける方法は信仰です。信仰によって受け取る以外に救われる方法はないです。
じゃぁ、その信仰って何かというと、以前お話しした「福音の三要素」です。
- イエス様が私たちの罪のために十字架にかかられたこと
- 死んで墓に葬られたこと
- 三日目に復活されたこと
これを信じ受け入れ、そこに信頼をおかなければ、救われているとは言えません。
ときどき、「教会に行っています、だからクリスチャンです」とか、「洗礼をちゃんと受けています、だからクリスチャンです」っていう人がいますが、残念ながら、それではクリスチャンだとは言えません。
いくら毎週教会にまじめに通ってるからと言っても、洗礼を受けたからと言っても、上の福音の三要素を信じ受け入れなければ、その人は求道者ではあるかもしれませんが、まだ救われていません。
もし、マリヤが処女でイエス様を産んだことやイエス様が三日目に復活されたことを疑っていたり、信じていないなら、まだクリスチャンではないのです。
これが福音であり、この福音こそ、私たち救われた者の原動力であり、神の力なんです。
その力は、今回、オバマさんが広島に来ましたが、その核兵器よりも遙かに強い力です。
そう、福音ってそれだけの力があるんです。
まずユダヤ人、そしてギリシヤ人
これ、直訳すると「福音は、まずユダヤ人に対して、そしてギリシヤ人に対して」ってなります。
つまり、福音はまずユダヤ人に伝えられ、次にギリシヤ人に伝えられるっていうことで、福音を伝えるのには、神様が計画された順序があるっていうことです。
この16節の箇所、動詞は一つで、現在形です。
現在形という時制は、今もその真理が有効であるということを教えています。
つまり、福音は神様のものすごい力なんだっていうことは、今も変わらないということです。
そして、このパウロが語っているパターン、「福音は、まずユダヤ人に対して、そしてギリシヤ人に対して」っていう順番も、今も変わらず有効なんです。
パウロはね、この「まずユダヤ人に、そしてギリシヤ人に」っていう福音を伝える順番を必ず守り、一回も崩していません。
使徒の働き13章4~5でのパウロの最初の伝道も、28章23節のローマでの伝道もそうでした。
パウロは新しい宣教地に行くと、まずユダヤ人に福音を伝え、それから異邦人伝道に向かいました。
必ずです。
まずユダヤ人に、そして異邦人に
今の時代にもこれは当てはまります。
でも、ユダヤ人の知り合いとかいないし。。。。
そう思われたかもしれませんね。
そうなんですよね、直接ユダヤ人の人を知らないですよね。
でもね、祈ることは出来ますよね。
かれらのの祝福と、ユダヤ人の救いのためにです。
神様のご計画は、まずユダヤ人に、そして次に異邦人にっていう順番です。
ぼくたちもまた、家族や友だちのため、日本のために祈り、福音を伝えることはとっても大切なんですが、それと同時にユダヤ人がイエス様と出会い、彼らの心が開かれ、福音が受けいられるようにって祈ること、大切なんですよね。
今日、この箇所を味わいながら、そのことを思わされました。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~

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最終更新日 : 2016-05-30