こんにちわ~
前回、関西の地震のことを書きました。
でね、実はTwitterにはアップしたんですが、あの阪神淡路大震災をぼくは経験したんです。
なんか、思い出しちゃった。
— みのみの@キリストの証人 (@minomino_m) 2018年6月19日
阪神・淡路大震災の時、西宮にいました。
あの時、確か先日が月曜日でのどかな一日。その翌日の朝方、突然ドーン。突き上げるような凄い揺れが。布団から出れなかった。
布団から出るとぐちゃぐちゃ。蛍光灯も床に落ちて。
外に出るとガス臭くて焼け野原みたいな。
"草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。"
— みのみの@キリストの証人 (@minomino_m) 2018年6月19日
イザヤ書 40章 8節
まさにこのみことば。みことばが唯一変わらないものであり、みことばに立つことは重要ですね。
これ、前回いろいろ書いたことをまとめた内容なんですが、あの時はまさに地獄図でした。
すべてが大変で、水を確保するのも、自衛隊の給水車が来て、その水をもらうために行列し、重いタンクに水を入れてもらい運びました。
それと何が大変かというと、変な話、トイレなんです。
だって水が流れないので、用を足した後が問題です。
なので、池に行って水を確保し、用を足した後、その水を便器に注いで手動で流しました。
外はガス漏れが酷く、ガスの匂いが充満していました。
また、壊れたアパートや家も沢山ありました。
前日は祝日で、兵庫なのでとっても寒かったんですが、晴れで、休日独特の柔らかい空気で、町全体がのんびりしていたことを覚えています。
それが一夜明けると全く世界が変わって、とんでもないことになっていたんです。
コンビニも1時間も開店してればいい方で、売る品が無いので、直ぐにシャッターを降ろしていました。
喜びと悲しみ、たった1日で全くの別世界でした。
前日の月曜日は祝日で、まさか翌日そんなことになるとは夢にも思いません。
しかも、関西は地震が無いという神話がありましたので、地震に対する警戒心も無かったです。
そうそう、当時は携帯が今ほど普及していなかったので、公衆電話は長蛇の列、しかもパンク状態でなかなかつながらなかったことを覚えています。
あぁ、これが大震災の現実なんですよね。
だからね、今日幸せで嬉しい一日であっても、明日どうなっているのか、誰も予想出来ないんです。
今回の大阪の地震だってそうですよね。
朝、まったりして、朝ドラをさぁ観よっかなって思ってた人もいることでしょうね。
その瞬間、突き上げるような大きな地響きと共に縦揺れ、そして横揺れです。
揺れた時間自体は十数秒なんでしょうが、体感としては凄く長く感じます。
しかも厄介なのが余震。
余震でも縦揺れどーーんですからね。
そのたんびに体が硬直し、警戒心マックス、ドキドキしました。
こうやって考えると、この地上で安心出来るものって無いですね。
でもまさにみことばは永遠に変わることがありません。
ぼくたちの唯一の守りは、この聖書、神のみことばなんですよね。
大震災のことを思うとき、この聖歌を思い出します。
「遠き国や
」です。

これは関東大震災の時に出来た賛美なんですが、この歌詞、めちゃくちゃリアルなんです。
あの時のことがよみがえります。
でね、この地獄の中でも主の十字架は輝いているんですよね。
第二テモテ4章1~2節にはこうあります。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、
その現れと御国を思いながら、私は厳かに命じます。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
平和な時代である今、ぼくたちはみことばを宣べ伝える必要があるんですよね。
そして、クリスチャンを整えるためにも、みことばを教え、学び、みことばにしっかり根ざすようにする必要がありますよね。
大災害が来たとき、その悲劇に流されて、心まで被災してしまうのか、その最悪の状況の中で主を見上げ、主に信頼し、尚輝いていられるのか、それは平和な時である今どうなのかにかかってくるんです。
日本に住んでいる限り、安全な地域はありません。
私たちは物質的な備えはしますが、心の備えはどうでしょうか?
みことばを慕い求め、みことばに養われ、みことばの乳をいっぱいいただきましょうね。
そして、イエス様の似姿にお互い変えられていきましょうね。
祝福を祈ります 

キリストの愛を込めて。。。

じゃぁね

最終更新日 : 2018-06-20