こんにちわ
じゃぁね
数日前、Twitterにアップしたんですが、最近「たとえそうでなくても
」っていう賛美を聴いています。

最近、これ、よく聴きます🎶
— みのみの@キリストのフォロワー (@minomino_m) 2019年2月15日
しみじみほんとにそうだなぁってただただアーメンだなぁって実感してます。
いろんなことあるし、毎日が戦いだけど、でも、でもはっきり言えるのは主は良きお方。
このお方を日々賛美する恵み、ただただ感謝です。
ハレルヤ、主は素晴らしいですhttps://t.co/nHHvqnANBY
この賛美を聴きながら、ほんとにそうだなぁってしみじみ思われるんです。
どうしてそうなんだろうって思ってしまうことってありますよね。
自分が思い描いていた人生と違っていたり、未だトンネルの中だったり。。。
時々思うんです。
あぁ、「どうしてこうなんだろう。あの時ちゃんとしていたら。。。」
「どうしてこんなに先延ばしにしちゃったんだろう。。。」
過去に戻れるならなぁ。。。みたいな、そんなことをふと心によぎることがあるんです。
でもね、過去にはもう戻れないんですよね。
そして、これもまた神様の御手の中でのことなんです。
主の許しの中で、今置かれているんです。
自分がどうであれ、主はすばらしい。主はよきお方です。
ハレルヤ

そして、神様はぜったいにぼくたちを見放さないです。
主の御手に信頼することなんです。
このことを思い巡らしている中で、一つのみことばが心に響きました。
それは、第二テモテ2章11~13節です。
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次のことばは真実です。
「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。
耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。
キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。
私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。
ご自分を否むことができないからである。」
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そうなんですよね。私たちが真実じゃなくても、イエス様は常に真実なんです。
主はよきお方です。
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私は裸で母の胎の中から出て来た。
また裸でかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。
ヨブ記1章21節
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主は与え、主は取られる。
主はよいお方。常に真実なお方。
いつも主を賛美し、感謝する者でありたいです。
ハレルヤ、主よ、感謝します






最終更新日 : 2019-02-20