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キリストの律法が与えられて

2019年07月12日
みことばの分かち合い 0
こんにちわ

前回の記事から半月以上過ぎてしまいました


ブログ、少しずつ回復し、軌道に乗せたいと思ってます。

力を抜いて、聖霊様に導かれるままにね。



今日は「キリストの律法」っていうことについて、シェアしようと思います。

ところで、キリストの律法って知ってますか?

新約聖書のガラテヤ人への手紙6章2節にこうあります。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
互いの重荷を負い合いなさい。
そうすれば、キリストの律法を成就することになります。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

このキリストの律法って、新約聖書に書かれている命令のことです。

「こうしなさい」って命じられていることです。



でも、律法というと、モーセの十戒とか、旧約聖書に書かれている戒律のイメージがあると思います。

で、「律法主義」という言葉があり、ネガティブなイメージが強いんじゃないのかなぁって思います。



で、キリストの律法って。。。

イエス様まで律法律法って言うの~~~みたいな



でもね、このキリストの律法、上のガラテヤ人への手紙6章2節にあるように、「愛の律法」なんです。

決して義務感から守んなきゃ大変なことになるとか、イエス様に喜ばれないから~~~とか、そういう恐怖に陥れるような律法ではありません。




旧約聖書に出て来るモーセの律法、これは到底守れるものではありません。

そして、この律法は、私たちの内に罪があることを教えるためのものなんです。

パウロは、この律法を心の底から守りたくて、がんばってがんばって守ろうとしたんだけど、がんばればがんばるほど守れない自分が見えて、愕然とし、落ち込みました。



パウロは言っています。

私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(ローマ7:24)

でもそのパウロ、その後でこう告白しています。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることはありません。
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。
肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。
神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。
それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

罪の無い、神の御子であられるイエス様が、私たちの罪を身に受け、十字架上で処罰されました。

この時、モーセの律法は完全に終わったんです。

だって、イエス様がご自分の肉体を通して、律法の要求を全うされたのですから。



このモーセの律法、聖書は「罪と死の律法」って言っています。

そうなんですよね、古い旧約聖書に出て来る律法は、私たちを罪の中に閉じ込める罪と死の律法なんです。

私たちにはどうすることも出来ない律法の要求をすべて満たしてくださったのがイエス様です。



だからね、イエス様が十字架上で、大きな声を振り絞って「完了した!」って叫ばれましたが、これ、ギリシャ語で「テテレスタイ」というんですが、商業用語で借金が完済したという言葉なんです。

私たちの罪の借金は、十字架上で完全に完済されました。

だからもう、罪と死の律法に苦しむ必要はないんです。



でもね、実はこのモーセの律法、ユダヤ人に与えられた律法であって、ぼくたち異邦人には関係ないんです。



今日、ぼくたちに与えられているのは、キリストの律法です。

パウロは「いのちの御霊の律法」って言っていますね。



このキリストの律法は、決して義務感から行う律法じゃないんです。

つまりね、この命令を守らなきゃイエス様に喜ばれない!とか、そういう律法じゃないんです。



古い律法は、祝福するためにがんばって律法を守ろうとするものでした。

でも、新しい律法、つまりキリストの律法は、既に祝福されている、だからその喜びから行うんです。

しかも、ぼくたちの内には聖霊様がお住まいになっています。

その聖霊様が守るよう、導いてくださるんです。



だから、実際、キリストの律法を無視しして、好き勝手に生きようとすると、心がものすごく苦しくなります。

なんか気持ちが重くなり、チクチクと刺さるような思いになり、決して喜びにはなりません。

なぜでしょうか?

それは聖霊様がぼくたちの内におられるからです。

だから「いのちの御霊の律法」なんです。



ぼくたちは今自由です。

そして、古い律法の支配にはありません。

また、何かをしてイエス様を喜ばせるための律法に従おうとしてるんでもありません。

イエス様に喜ばれるために奉仕するんじゃないです。

イエス様に従うために、イエス様に喜ばれるために伝道するんでもないです。

献金だってそうです。命じられているから捧げるんじゃないんです。



そうじゃなくて、イエス様の愛が、イエス様がぼくたちにしてくださったことがわかればわかるほど、嬉しくなり、イエス様に従いたくなるんです。

これがキリストの律法です。



だからね、もっともっとイエス様の素晴らしさについて知る必要がありますよね。

だからこそ、みことばを日々味わい、みことばによって養われる必要があるんです。

だって、聖書にすべてが書かれているし、聖書は完成した神様の啓示の書です。

神様の御心がぎゅっとこの聖書の中に凝縮されているんです。



だから、聖書を味わい、聖書を学ぶこと、これが健全なクリスチャンライフの中心なんです。

みことばを慕い求め、みことばに養われるとき、成長があります。

それ以外のものはすべてジャンクです。つまり、お腹は満たされるけど、栄養は全く無いし、場合によっては健康に影響を及ぼす、そういうものです。



誤解しないでね、賛美すること、祈ること、クリスチャンの人たちから学ぶこと、それを否定してるんじゃないです。

逆にとってもよいことです。

でも、聖書はぼくたちの道しるべであり、聖書を通して神様は私たちに働かれています。

聖書を知らなくちゃ、容易にサタンにやられちゃいます。



そして、聖書を学べば学ぶほど、神様の愛がわかり、その応答としてキリストの律法に従おうと自然となっていくんです。


だから、一緒にみことばを味わい、慕い求め、主を礼拝する歩み、していきましょうね。

キリストの愛を込めて。。。

じゃぁね
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みのみの
この記事を書いた人: みのみの



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