こんにちわ
めっちゃお久しぶりです











前回のブログから随分と経っちゃいました。
ごめんなさい





またぼちぼちと再開しようと思ってます。
改めてよろしくお願いします。
さてさて、最近、イエス様の血潮について思い巡らしています。
こういうわけで、兄弟たち。
私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。
ヘブル10:19
イエス様が十字架で流された血潮により、天のおとうさまとの関係が回復され、大胆に天のお父さまの御前に出ることが出来る、なんて凄いことなんだろうってしみじみ思わされています。
旧約聖書の時代、毎年毎年動物の犠牲の血が祭壇に流されましたが、でもそれによって罪が取り除かれるということはなく、一時的に罪が覆われるだけ。
だから、罪自体は残ってるんですよね。
そして、本当に完全に聖めてくださるのなら、毎年捧げる必要はないです。
でも実際は、毎年毎年捧げられたのが実際でした。
しかも捧げる祭司にも罪があるので、祭司のための聖めも必要なんです。
でも、イエス様の流された血潮は、私たちを完全に聖め、義人としてくださり、もはや私たちのおとうさまとの間を隔てるものは何もないんです。
そして、今、私たちはまことの神様に「おとうさん」って呼ぶことが許されている。
凄いことだなぁって思わされています。
これもイエス様が十字架にかかってくださったおかげ。
イエス様は神様であられるお方なのに、ご自分の立場を捨てて、自分から十字架にかかってくださいました。
これも、私たちの罪を取り除くため。
そしてイエス様は十字架上で流されたその血潮の捧げ物により、私たちへの神様の怒りは取り除かれ、完全に新しくしてくださったんです。
イエス様は十字架上で死なれました。
でも死んで終わりだったら、世の中の偉人の中の一人ですよね。
イエス様は死んで、お墓に葬られました。
でも3日目によみがえったんです。
それは肉体をもって、人間としてよみがえりました。
そして今、イエス様は天に昇り、天のお父さまの右の座に座られ、私たちひとりひとりのために、大祭司としてとりなしお祈りしてくださっています。
イエス様は私たちの痛み、悲しみ、苦しみ、怒り、全部を背負って十字架にかかりました。
そして、十字架上で流された血潮により、おとうさまは満足され、完全に自由にされました。
聖書に「血は命だ」って書かれています。
だから、罪の購い、罪の聖めのためには血が必要なんです。
イエス様は私たちのすべての罪を身に受け、ご自身の命の捧げ物により、完全にされ、もう神様から責められることはありません。
罪の代価は全部支払われたので、もう100%完全に自由にされました。
今、大胆に天のおとうさまの御前に出ましょう。
そしてイエス様の血潮により、完全に新しくされた恵みを感謝しましょう。
主の恵みを味わいつつ。。。
じゃあね

最終更新日 : 2021-05-30