今日の預言者とは - 基礎の学び
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みのみの

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こんにちわ~♪

今日も無事、一日が終わりました。
主よ、感謝します。



さて、下の動画ですが、とってもわかりやすいし、これ、とても大事なことだと思います。





今日でも預言者という人はいますが、でもね、聖書はこう言っています。

あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスがその礎石(新共同訳では『かなめ石』)です。
エペソ2:20


旧約聖書の時代、そして初代教会においては、まだ聖書が完結されていないので、預言者がいました。

彼ら、つまり預言者たちは、神様のことばを預かり、それを民に伝えました。

時に、イスラエルの民が罪に満ち、酷い状態のとき、預言者たちが悔い改めに導いたこともあります。



そこにおいては、自分の思いとか、アドバイスとか、そういう混ぜ物を入れたりせず、純粋に神様のことばを伝えました。

だから、「主はこう言われる」って、彼らは言っていますよね。



でね、預言の内容は励まし、苦難の人たちへの励ましです。

そして、傲慢になっている場合、叱責です。悔い改めに導くためのことばが発せられます。

そして、「このままだとこうなる」という警告です。


また、メシア預言もそうですね。イエス様についての預言は、旧約聖書において語られています。



そして、イエス様の十字架と復活、そして昇天後の、「初代教会」と言われていた時代にも預言者はいました。


ということは、今日も使徒の働きは続いているのだから、当然預言者も!って思われるかもしれませんが、実際には、今日、もう預言者としての働きは終わっています。

っていうか、もう必要が無いのです。


因みに、使徒職もそうです。

どうして終わったと言えるのかというと、上のエペソ2章20節のみことばです。


イエス様が家を建てるためのかなめ石、つまり中心となる石で、家の土台は使徒と預言者です。

そして、その土台の上に教会、この場合の教会は○○キリスト教会ではなく、私たちクリスチャンのことですが(これを「普遍的教会」といいます)、私たち教会がその使徒と預言者という土台の上に建てられているのです。



考えてみてください。

家と建てるとき、一度土台が据えられたら、その土台をまた新たに追加しますか?

土台が据えられていなければ、家はまだ建っていないということです。


つまり、使徒と預言者という土台は据えられたのです。

では、いつ据えられたのでしょうか?

聖書が完成した時です。


今日、聖書は完成し、完結しました。

だから、預言者の働きは、もう必要無いし、活動期は終わったんです。


でも、今日でも「預言者」と名乗っている人はいますね。

ある教会では「預言者学校」と言って、預言する訓練までするところがあります。

彼らはどうなのか?

それは、今言ったことから、お一人一人判断してください。

自ずと答えは導き出されると思います。



尚、預言者は絶対にハズレてはいけません。

一つでもハズレたら、それはもう預言者ではありません。

神様のことばは「当たるも八卦当たらぬも八卦」などという無責任な、いい加減な者では決してありません。

100%当たらなければなりません。

そして、聖書との調和においても、100%調和していなければなりません。



だからね、私たちはそういう預言者から預言をもらうとか、使徒○○という人にお伺いを立てるのではなく、聖書に立つことなんです。

使徒と預言者という土台は据えられています。

そして、今、私たちには聖書が与えられています。


聖書は比喩的にではなく、字義的に解釈し、読まなければいけません。

だから、今日の働きの別のものにすり替えたり、今日的会社をするのではなく、書かれたことを書かれたとおりに理解することなんです。


お互いにみことばを大切にし、聖書のみことばにしっかり立っていきましょうね



でわでわ~





ご訪問下さり、お読みくださり、
ありがとうございます。

心から感謝します。

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イエス様の祝福が豊かにありますように。

キリストの愛を込めて。。。


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