こんにちわ~



今日もみことばの分かち合い、しますね。
今、ヨブ記を味わっています。
ヨブ記を味わうと、ヨブの痛み、苦しみが伝わってきます。
すべてを失い、友だちに誹謗中傷をされ、傷ついたヨブ。
そのヨブの葛藤を見ると、とっても辛いですね。
でも、ヨブみたいな壮絶な体験じゃ無くても、多かれ少なかれ、誰も試練を通らされることはありますよね。
そういう意味では、ヨブと同じ体験をみんなしてるんでしょうね。
思うんですが、試練に遭うとき、ヨブのように「どうしてですか!」って嘆き、呻きたくなります。
でも、ヨブ記を味わう中で、それって実は違うんだなぁって感じてます。
ヨブ記38:1~3
主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
これは何者か。
知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。
男らしく、腰に帯をせよ。
わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。
ね、凄いでしょ。
ぼくたちは全員、何れ、というか、死んだら神様の前に立ちます。
その時、もはや神様に文句、クレームなんか言えるわけがありません。
おそらく立つことすら出来ないでしょう。
この数節を見るだけで、その権威、偉大さが伝わってきますね。
でね、神様はヨブに対して「知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは」って言ってますね。
ヨブは神様にクレームを付けているけど、実は何にもわかってないんです。
これね、ぼくたちもおんなじなんです。
今日の箇所を味わいながら、あぁ、自分もそうだなぁって、しみじみ思わされました。
それなのに、神様にクレームを入れて、あまりにも愚かだって痛感したんです。
ぼくたちは神様にクレームを入れるんじゃなくて、自分は何も知らないことを認め、その状況の中で主に信頼し、主を見上げることなんですよね。
文句を言っている間は何も変わらないし、もはや神様よりも上に自分を置いていることになります。
神様は決して意地悪なんじゃなくて、その口を閉じ、神様を見上げることを待っておられるんだと思うんです。
ぼく自身、いろんな不安や問題があります。どうしよう。。。っていうこともあるし、「主よ、扉を開き、道を示してください!」って祈ります。
でもね、その中で神様を見上げ、主に依り頼む、これなんですよね。
そう、主の御手の中に留まり、そこで、苦しいただ中で主の御手の中で安息するんです。
そして、主にしていただく信仰、これなんですよね。
そんなことをみことばを味わいながら、思わされました。
祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。。

でわでわ~

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最終更新日 : 2016-06-17