こんにちわ~

今日、二つ目の投降です。
ベタニアのマリアってわかりますか?
聖書にはマリアさんがいっぱい出て来て、どのマリア????って思っちゃうかもしれませんね。
ベタニアのマリアって、姉妹にはマルタがいて、兄弟には蘇生したラザロがいたあのラザロ。
マルタとマリアのマリアって言った方がわかりやすいですね。
ベタニアのマリアってベタニアに住んでるマリアっていう意味で、そういう表現にしています。
でね、このマリア、マルタは一生懸命に給仕してる人で、マリアはイエス様の足下でイエス様のお話を聞いている人っていう印象だと思います。
イエス様を愛し、イエス様がメシアだということをマリアは受け入れ、イエス様のおっしゃられたことばを一字一句聞き逃さないよう、真剣に聞いていたことでしょうね。
で、ヨハネ12章をみると、イエス様は過越の祭りの六日前に、そのベタニアに行かれました。
そのとき、このマリア、高価で、大切にしていたナルドの香油をイエス様の足に塗り、彼女の髪の毛でその足をぬぐったんです。
それに対して、イエス様はこうおっしゃったんです。
ヨハネ12:7~8
イエスは言われた。
「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだ
貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
マリアはなんと、イエス様が十字架で死なれることをちゃんと理解していたんです。
それで、彼女はイエス様の埋葬のために、高価なナルドの香油をイエス様の足に惜しげも無く注いだんです。
でね、今日、一つのことがわかり、はっとしたんです。
それはね、イエス様の十字架と埋葬のシーンに、他のマリアや女性は登場しますが、このベタニアのマリアは一切登場していないということです。
彼女の登場シーンは、この箇所が最後です。
何がハッとしたのかというと、彼女はイエス様が十字架にかかり、埋葬すること、それだけじゃなくて、イエス様が復活することをちゃんと理解していたのだろうっていうことです。
だから、安息日の翌日の明け方、つまり日曜日の明け方、他のマリアはイエス様が埋葬されたお墓に行きましたが、ベタニアのマリアはそこにいなかったんでしょう。
ベタニアのマリア以外の女、それだけじゃなくて、ペテロを筆頭とした弟子たちもみーーんなイエス様が復活することを理解せず、信じもしていませんでした。
イエス様はちゃんと弟子たちに話したのにねぇ。。。
でも、ベタニアのマリアだけは違います。
彼女は他の女たちが出来なかった、イエス様の埋葬をちゃんとやったんです。
そして、復活まで理解していたんです。
ベタニアのマリアがどうして、イエス様の埋葬の準備をすることが出来たのかというと、彼女は常にイエス様のそばでイエス様のお話を聞いていたからです。
私たちもそうなんですよね、あの奉仕、この奉仕以上に、みことばを聞くこと、これ以上に大切なことはないし、みことばを学ぶことこそ、健全なクリスチャンライフ、免疫力に強いクリスチャンライフを送る鍵なんです。
ベタニアのマリアの信仰、本当に見習いたいですね。
そして、みことばを愛し、みことばを慕い求めるクリスチャンライフ、送りましょうね。
祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~







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最終更新日 : 2016-06-21