こんにちわ~
今日も一日終わりました。
なんか、蒸し暑い一日でしたね。
さてさて、最近、思わされていることなんですが、それはね、「弱さを認める」っていうことなんです。
第二コリント12章9節
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
今朝、ペテロの裏切りの箇所を味わいました。
イエス様が裁判を受けている間、ペテロはイエス様のそばにいて、イエス様を弁護するチャンスがありました。
でも、実際はその勇気が無く、逆に恐れ、成り行きを見ていた役人たちの中で一緒に見ていました。
「イエス様のためなら死んでもいい!絶対に裏切らない!!」って言ってたあのペテロがです。
この原因って、結局、ペテロは自分の弱さを認め受け入れていないところにあるのかなって思わされるんです。
主は弱さの中に現れてくださるお方。
最近ね、しみじみ自分の弱さ、足りなさを痛感しています。
先を見ると不安がよぎり、後ろを見ると。。。みたいな。。。
でもね、これはこの世の論理なんですよね。
この世は強い者が勝つみたいな風潮、ありますよね。
大体「勝ち組、負け組」っていう言葉自体がそうです。
でもね、神様の論理は違うんです。
本当の勝利者は、自分の弱さを知った人、自分の内には何も無いということを知ってる人です。
だっって、自分の弱さを知れば知るほど、自分に頼ることから開放されるんですもんね。
そして、神様に頼りやすくなるんです。
「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」
そうなんですよね。
弱いことって恵みであって、クリスチャンの姿なんですよね。
そう思うと、不安や恐れからも解放されます。
ぼくたちの内には何にもないし、弱い存在。でもその弱いぼくたちの内に主はお住まいになられ、主がぼくらを通して働いてくださる。
そう、「弱いときこそ、強い」(第二コリ12:10b)んです。
もっと力を抜いて、主に信頼する歩み、主に頼る歩みをしていきたいですね。
主の優しい御手の中で。。。

でわでわ~



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最終更新日 : 2016-09-30