こんにちわ~
10月に入って早いものでもう8日目、秋ですねぇ~。。。
って言いたいとこですが、今年はちょっと違い、まだ夏ですねぇ~~
今日も暑い一日でした。
なんかまだ7月で、これから夏~みたいな、なんかそんな陽気です。
この分でいくと、秋をスキップして、そのまま冬になっちゃいそうですね。
さてさて、今、ヨハネの黙示録を学んでいます。
ヨハネの黙示録を学ぶことは幸いであり、祝福であるって、神様は語られています。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いてそこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。
ヨハネの黙示録1:3
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これ、すごーくわかります。
ヨハネの黙示録を学ぶと、今の時代がどういう時代なのかということがすごくよくわかります。
そして、携挙が、その後の大患難時代が間近なんだって、肌感覚で伝わってきます。
すごーく近いなってね。
で、携挙、イエス様がぼくたちを迎えに来てくださる日が刻々と近づいてきていることを実感し、その日のための備えということを思わされ、神様が悲しまれることから離れたいという思いが起こされます。
だってね、携挙が起こるための条件は今、ぜーーんぶ揃ってますし、実は今日、今この瞬間に携挙があっても全くおかしくないというのが今の時代なんです。
携挙される人は、真の教会、つまり純粋な信仰者。
これ、罪が全く無いきよーーーーい人っていう意味じゃないです。
そうだったら、誰も携挙されません。
そうじゃなくって、純粋な福音、つまりイエス様が私たちのために十字架にかかり死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目によみがえり、今も生きておられることを信じ受け入れ、そこに信頼を置いている人が携挙されます。
つまり、公式にするとこうなります。
信仰+恵み+0
ところが、この”0”のところに「バプテスマ」とかを入れると、それは福音ではありません。
だって、バプテスマを受けるっていう行いが入ってしまうからです。
人はバプテスマを受けることで救いが完成するとか、そういう教え、これは聖書の福音ではありません。
つまり、「信仰+恵み+水のバプテスマ」では救いを受けられないんです。
この人は、どんなに携挙を待ち望んでも、携挙されずに大患難時代の中に入ってしまうという悲劇となります。
救いは「信仰+恵み+0」のみです。
これは厳粛です。
救いには人の努力とか、行いとか、そういうものは一切入りませんし、入り込む余地もありません。
でね、最近、このヨハネの黙示録を学んでいる中で教えられたことがあります。
それは、3章に書かれているフィラデルフィアの教会についてです。
このフィラデルフィアって「兄弟愛」っていう意味です。
豊かな町で、偶像に満ちた町であるフィラデルフィア、そこにあった教会なんですが、神様はこの教会について一切叱責をされなかったんです。
その理由、わかりますか?
実はその理由がこの3章に書かれているんです。
ここは新改訳聖書の訳だと問題があり、間違った意味で伝わってしまう可能性があるので、最新の訳、再来年、2018年の秋に日本聖書協会から出版予定の「標準訳聖書」から紹介します。
フィラデルフィアにある教会の天使に、こう書き送れ。
聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、誰も閉じることがなく、閉じると、誰も開けることがない。
その方が言われる。
「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開けておいた。誰もこれを閉じることはできない。
あなたは力の弱い者であるが、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである」
黙示録3:7~8
「あなたは力の弱い者であるが、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである」
力は弱くてOKなんです。逆に力が弱いことこそ大切。
ぼくたちの内には力はとっても弱いです。だから主に信頼し、主が力を与えてくださいます。
そして彼らの信仰は一つで、しっかりとみことばを学び、そこに留まっていたことです。
混ぜ物のない純粋なピュアなみことばを理解し、そこに留まり、立ち続けている、それがフィラデルフィアの教会の信仰であり、状態でした。
ぼくらはどうでしょう?
常にみことばにしっかりと立ち続けていたいですね。
みことばに立ち、みことばに留まり続ける者でありたいです。
純粋なみことば、書かれているみことばに、それこそ洗礼を受けることで救いが完成するとか、付け加えることをせず、純粋なみことばのみ受け入れ、そこに留まりたいです。
みことばに信頼を置く信仰、これこそ、携挙を待ち望む信仰であり、キリストの弟子の姿です。
お互いにみことばに、純粋なみことばに留まり続けましょうね。
祝福を祈ります。キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~(@^^)/~~~
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最終更新日 : 2016-10-09