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キリストのみことばに養われて

あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にしますーヨハネ8:32ー

死期の時の告白って?

こんにちわ~

今日も一日の終わり、今日一日も守られ、主に感謝です。

天候も守れましたしね 



昨日、聖書を味わいながら、自分が死ぬ時について、ふと思わされました。

というのも、第二テモテ4章を味わっていて、その中でパウロが自分の死期が迫っていることを感じ、まるで遺言のようにテモテに託していたからです。


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
私はすでに注ぎのささげ物となっています。
私が世を去る時が来ました。
私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。
私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

パウロは「注ぎのささげ物」、つまり自分は殉教の死を遂げて血を流すであろうと感じ取っていたようです。

でも、それは悲観的なものではなく、まるで客観的に受け入れているように感じ取れます。

これはおそらく自分の直感とかじゃなく、神様との交わりの中で受け取ったことなんでしょうね。


パウロは自分の死を前にして、「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」って語り、今自分が抱いている望みは、正しいさばき主であり、審判者である主から直接、自分のために用意されている義の栄冠を頂くことだって言ってるんです。


このパウロの告白を通して、ぼくの死期、どんな感じなんだろうなぁって思ったんです。

どんな発言をして死んでいくのかなぁってね。


神様はぼくに対してご計画を持たれ、お造りになられました。

そして、ぼくはそのご計画のために生かされているんですよね。

だから、まっ、まだ死期になってないから、予想なんですけど、パウロと同じ告白をし、賛美を捧げながら死にたいなって思うんです。


以前ね、実はね、恐れがあったんです。

それは死ぬのが怖いとか、死にたくないとか、そういうことじゃないです。

だって、死後、ぼくの行き先はわかってるし、そっちの方がこの地上生活よりうん億倍いいことがわかっているんですから。

でもね、もしかしたらぼくの晩年、誰にも看取られることもなく、ぼくのために泣いてくれる人もいないで、孤独死という形で死んでいき、それで半ば白骨化して発見されて無縁墓地に埋葬されるか、遠い親戚の人かだれかが義務的に埋葬をするか、、、なのかなってね。

この思いが心に囁いてくるんです。

リアルでしょ。。。

この思いが心の中にすーーーっと囁いてくるんです。

すると何とも言えない重ーーーーい思いになるんです。


ぶっちゃけちゃうと、その瞬間、サタンの囁きに心開いてしまってるんですね。

危ない、危ない


でも、本当に感謝です。

だって、それは偽りの声であり、完全に間違っているんですからね。

神様は、ご自身のしもべをそのように扱うことは絶対無いし、神様のご計画を遂行するとき、その必要はすべて満たされるし、悲しい思いをさせるようなことは絶対にありません。

だいたい、今の状態で死を迎えるとは考えられません。

神様は求める者には惜しみなく与えるお方だし、必要なパートナーも、ご自身のご計画を遂行するために必要なものも、すべて主の御手の中にあり、与えてくださるお方。

ぼくの祈りはすべて天において届いています、ハレルヤ


でも、たとえ、そうであったとしても、ぼくはイエス様と直接お会いし、イエス様から義の栄冠を頂くんです。

だから、そんな心配は無用なんです。

ぼくは主だけを見上げ、主に信頼し、クリスチャンとして、イエス様の弟子としてどう歩んでいくのか、それが問われるんだと思うんです。


あぁ、自分が死ぬとき、このみことばを心からの感謝を込めて告白し、賛美しながら息を引き取れたらなぁって思います。

そしてそのまま天の御国に霊が行き、心から天上でイエス様をあがめ、イエス様を賛美するんです。

あぁ、ハレルヤだなぁって思います。


そんなことを、このみことばを味わいながら思い巡らしました。

今週も後半、今月もあと一週間半ですが、主に感謝を捧げ、主の御手に身をゆだねつつ、歩んでいきます。


祝福を祈ります。
キリストの愛を込めて。。。

じゃぁね 



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イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。



大震災への心の備え

こんにちわ~

前回、関西の地震のことを書きました。

でね、実はTwitterにはアップしたんですが、あの阪神淡路大震災をぼくは経験したんです。



これ、前回いろいろ書いたことをまとめた内容なんですが、あの時はまさに地獄図でした。

すべてが大変で、水を確保するのも、自衛隊の給水車が来て、その水をもらうために行列し、重いタンクに水を入れてもらい運びました。

それと何が大変かというと、変な話、トイレなんです。

だって水が流れないので、用を足した後が問題です。

なので、池に行って水を確保し、用を足した後、その水を便器に注いで手動で流しました。


外はガス漏れが酷く、ガスの匂いが充満していました。

また、壊れたアパートや家も沢山ありました。


前日は祝日で、兵庫なのでとっても寒かったんですが、晴れで、休日独特の柔らかい空気で、町全体がのんびりしていたことを覚えています。

それが一夜明けると全く世界が変わって、とんでもないことになっていたんです。


コンビニも1時間も開店してればいい方で、売る品が無いので、直ぐにシャッターを降ろしていました。

喜びと悲しみ、たった1日で全くの別世界でした。


前日の月曜日は祝日で、まさか翌日そんなことになるとは夢にも思いません。

しかも、関西は地震が無いという神話がありましたので、地震に対する警戒心も無かったです。


そうそう、当時は携帯が今ほど普及していなかったので、公衆電話は長蛇の列、しかもパンク状態でなかなかつながらなかったことを覚えています。


あぁ、これが大震災の現実なんですよね。

だからね、今日幸せで嬉しい一日であっても、明日どうなっているのか、誰も予想出来ないんです。

今回の大阪の地震だってそうですよね。

朝、まったりして、朝ドラをさぁ観よっかなって思ってた人もいることでしょうね。

その瞬間、突き上げるような大きな地響きと共に縦揺れ、そして横揺れです。

揺れた時間自体は十数秒なんでしょうが、体感としては凄く長く感じます。


しかも厄介なのが余震。

余震でも縦揺れどーーんですからね。

そのたんびに体が硬直し、警戒心マックス、ドキドキしました。


こうやって考えると、この地上で安心出来るものって無いですね。

でもまさにみことばは永遠に変わることがありません。

ぼくたちの唯一の守りは、この聖書、神のみことばなんですよね。



大震災のことを思うとき、この聖歌を思い出します。

「遠き国や」です。

これは関東大震災の時に出来た賛美なんですが、この歌詞、めちゃくちゃリアルなんです。

あの時のことがよみがえります。

でね、この地獄の中でも主の十字架は輝いているんですよね。




第二テモテ4章1~2節にはこうあります。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、
その現れと御国を思いながら、私は厳かに命じます。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

平和な時代である今、ぼくたちはみことばを宣べ伝える必要があるんですよね。

そして、クリスチャンを整えるためにも、みことばを教え、学び、みことばにしっかり根ざすようにする必要がありますよね。

大災害が来たとき、その悲劇に流されて、心まで被災してしまうのか、その最悪の状況の中で主を見上げ、主に信頼し、尚輝いていられるのか、それは平和な時である今どうなのかにかかってくるんです。


日本に住んでいる限り、安全な地域はありません。

私たちは物質的な備えはしますが、心の備えはどうでしょうか?

みことばを慕い求め、みことばに養われ、みことばの乳をいっぱいいただきましょうね。

そして、イエス様の似姿にお互い変えられていきましょうね。


祝福を祈ります 
キリストの愛を込めて。。。

じゃぁね


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イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。



地震を通して

こんにちわ~

今日は朝から本当に本当に大変でしたね。

朝の8時頃、大阪が震源地で大きな地震があり、被害も出てしまいました。


テレビのニュースで、地震があった時の動画を見たんですが、ドーンという地響きの音と共に大きな揺れ、さぞかし怖かったんだろうなって思いました。

考えてみれば、この地域には過去の阪神淡路大震災を経験した人もいっぱいいることでしょうね。

あの地震は、今回の地震よりも遙かに悲惨で、地獄図です。


三宮などでは町全体が火事となり、焼け野原となってしまったし、多くの家が壊れ、人々は呆然とし、死んだような目になり、呆然と配給のおむすびを食べていました。

町を歩くと、人々は抜け殻のようになり、希望を失った悲しみに溢れていました。


今回、大阪の地震を聞いたとき、その時のことが頭をよぎりました。

それを経験された人が多くいるんだろうなってね。

心のケアも必要なんですよね。

メンタルが守られるよう、お祈りしました。



で、思ったんですが、今日の朝8時くらいまで、まったく普段と同じ生活で、ある人は出勤、登校しようとしていて、また朝ご飯を食べている最中だったり、まだお布団の中だったり、それぞれの朝で、いつもと変わらなかったんでしょうね。

でも、それが8時前に突然地響きと共に大きな地震が起き、家の中は大変なことになりました。

すべては当たり前じゃないんだなぁって、今回の地震を通して思わされたんです。


ぼくたちは毎日を当たり前のように過ごし、また明日がある、数分先はいつもと変わらないって思います。

でも、一寸先は闇じゃないけど、次の瞬間どうなるのかなんて誰にもわかんないんです。


地震は毎日の延長線上の生活の中に突然やって来ます。

ぼく自身、いつぼくの住んでいる町に地震があるのかわからないし、うちは海沿いなので、津波の心配もあります。

ほんと、すべては当たり前じゃないし、この地上に頼れるものなど何もないんだなぁって思わされました。


で、ひとつのみことばが心に響いたんです。

イザヤ書40章8節です。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
草はしおれ、花は散る。
しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

「しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」
まさにこれですよね。

ぼくたちが唯一信頼出来るのは、神のことばである聖書のみことばです。

いつぼくたちの町に震災が来るかわかりません。

もちろん、そのために準備したり、備えたりすることは当然ですし、警戒することも重要です。


でも、もっと大事なこと、それはいつ何が起きても大丈夫なように、みことばによって心を備えることなんですよね。

みことばを学び、蓄え、養われること。


今、時代は聖書的にはもう終末時代に突入しています。

それは第一次世界大戦の時からです。

そして、いつ携挙、つまりイエス様が救われたクリスチャンである私たちを迎えに来てくださってもおかしくない時代です。


私たちはその時携挙されます。

でも、残された人たちが待っているのは、大患難時代です。

そこでも救われる人は起こされます。

でもそこで信じ救われたクリスチャンは地獄です。

大患難時代の後半になると、クリスチャンへの迫害は酷くなり、もはや生活出来ないレベルにまでなってしまいます。


ぼくたちはこの事実を現実問題として受け止め、心を備える必要があるんです。

目を覚まし、みことばを第一とするクリスチャンでありましょうね、お互いに。


今回の地震でこれ以上被害が増えないように、余震で更に酷い状態となることがないよう、何よりもその地域にお住まいの方々の心が守れるよう、お祈りします


祝福がありますように。。。
キリストの愛を込めて。。。

じゃぁね



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梅雨の中での神様の恵みのプレゼント

こんにちわ~

今週は6月最後の一週間、そしてなんと2018年のターニングポイント、来週からは今年の後半です。

なんか、実感はないんですけどね。。。

改めて、与えられてる時間は限られてるんだなって思わされました。



さてさて、今は梅雨。梅雨といえば紫陽花ですね。
って、強引かな。。。(・ω<)-☆

実は今日じゃなくて先週なんですが、紫陽花を見に行きました。

場所は、鎌倉にある稲村ヶ崎海浜公園っていう海に面した公園です。

この公園、めっちゃいい公園なんです。

何がいいかって、そこから見える海なんです。

でね、この公園の近所には、今回は入らなかったんですが、天然温泉もあるんです。

この公園は大好きなスポットです。



で、この公園は実は紫陽花の名所なんです。

ということで、じゃー早速、紫陽花、、、行ってみよぅ












どうですか?綺麗でしょー




で、この公園、こんな感じです。








この公園に行くまでで、好きなスポットがあります。

これです。






そして、公園から見た海はこんな感じです。







こんな感じです。


そしてトンビも飛んでます。




どうですか? この景色、大好きなんです。

上手くいくと、江ノ島の裏に富士山が見えるんです。



そして江ノ電です。







いかがでしたか?

でも、自然ってほんといいですよね。

自然の中にいると、ほんと癒やされるし落ち着きます。

それはやっぱ、神様がお造りになられたからなんですよね。

主の素晴らしさにただただ感謝だし、自然を見ると神様の偉大さを実感します。

だって、この自然もすべて、神様の作品だし、神様の支配、管理のもとで運行されているんですからね。


ぼくたちはこの神様の御前では本当に小さな小さな存在なんですよね。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

"主は天と地と海またそれらの中のすべてのものを造られた方。

とこしえまでも真実を守り
虐げられている者のためにさばきを行い飢えている者にパンを与える方。

主は捕らわれ人を解放される。"

(詩篇 146篇 6~7節)

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○



天と地をお造りになり、この自然をお造りになり、そして私たちをお造りになった主が、この一週間もぼくたちを守り、愛し、ぼくたちを通してご自身の栄光を現してくださる。

このお方に信頼し、今週も歩んでいきましょうね。


今週もよろしくお願いします



祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


じゃぁね


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おひさです

こんにちわ~

6月第一回目の投稿です。

って、今日は16日、もう半月以上、いえ、前回の投稿が5月11日なので、一ヶ月以上ブランクを空けてしまいました

大変失礼しました。


今日からまたブログ再開です。

いろんなことを自由にゆる~~~~く書いていきたいなって思ってます。

そして、ブログを楽しみます。


ということで、改めて、これからよろしくお願いします。

じゃぁね


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イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。



いのちの道の素晴らしさ♪

こんにちわ~
ふぅ、ブログ、久しぶりに更新しますね。
ほんとはね、もっともっと頻繁にアップしたいんだけどね~~~

やっぱさ、もっと自然体で、力抜いて、これからは書いていくことなんだよね。
今思ってることとか、示されたこととかね。

今日から新たな気持ちで


詩篇16篇11節です。

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。
満ち足りた喜びが、あなたの御前にあり、
楽しみが、あなたの右にとこしえにあります。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

このみことばを味わいながら、心に喜びが湧いてきました。
イエス様がぼくにしてくださったこと、そして今自分はどういう立場なのか、そして将来どこにいくのか、神様はどんなことを用意してくださっているのか、
そんなことをこのみことばを味わいながら思い巡らしたんです。

ほんと、そうなんですよね。
神様はみことばを通して、「いのちの道」を知らせてくださったんですよね。
そして、ぼくたちは神様の子どもとしてくださり、今この瞬間も揺るぎない愛で満たしてくださっているんですよね。

天のお父様はぜったいにぼくのことを見捨てないし、どんなに失敗しても見放すことはないです。
イエス様を通して、今、大胆に天のお父様のところに行くことが出来るし、何よりも「おとうさん」って愛に溢れた交わりをすることが出来ます。

そして、前回も書きましたが、将来ぼくたちは完全な体が与えられ、新天新地、新しい地に住める恵みが約束されています。
ヨハネの黙示録21~22章にはそれがどういう状態なのかが書かれています。

今ぼくたちが住んでいるこの地は滅びます。
そして、この地は滅び、そこに新しい天と新しい地が用意され、そこに天から新しいエルサレムが下ってくるんです。
その状況はこの世の言葉では説明しつくせないほど素晴らしいところ。
そこで永遠に暮らすことが出来るんです。

聖書をみると、そこでは天のお父様と直接お会いして交わるようになります。
もはや天のお父様とぼくたちとの間にある罪による遮断はありません。
完全にきよくされ、本来の自分、神様の御心に沿った本来の自分がそこにいるんです。

そこには罪は無く、怒りも悲しみもありません。
もちろん病気も死も無いです。
完全に解放され、自由にされ、喜びで満ちています。
きっといつもニコニコな状態なんでしょうね。

この詩篇16篇11節を味わいながら、喜びが満ち、楽しみがとこしえにあること、まさにそれが新しい天と新しい地での生活なんですよね。
すごいですよね。

聖書ってすごいなぁって思います。
だってね、神様のご計画の全貌がぜーーんぶ書かれているんですからね。
そしてこの新しい天と新しい地、これって元天使長だったサタンが堕落する前のエデンの園、そう、創世記1章で書かれているアダムとエバがいたあのエデンの園よりも前にあったエデンの園の状態の回復なんです。
神様のご計画は、本来あるべき秩序が整えられていた最高の状態の回復であり、そこでご自分の栄光が現され、私たちと深い愛の交流を持つことなんですね。

あぁ、もっともっと深くみことばを味わいたい。
そして、将来行くべき場所がわかると、今生かされているこの地での歩みも変わってきます。
今、生かされている恵みを味わい、神様の召しに応答していきたいです。
将来、イエス様とお会いしたとき、喜んで褒めていただけるように。

さぁ、またちょくちょくアップしていきますね。
いっしょにイエス様を味わい、イエス様を喜ぶ歩み、していきましょう!
ハレルヤ

じゃぁね




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イエス様の祝福が豊かにありますように。
キリストの愛を込めて。。



新しいエルサレムでの生活の希望

こんにちわ~

GW、始まりましたね。

先月末から気温がぐんぐんと上がり、今日は一日半袖で過ごしました。

 

このところ、ブログの更新、間が空いちゃいましたね。

いけない、いけない。。。

なんかね、もっと力を抜いて、読んでもらうためには~みたい、そういう思いを無くして、自然体で思ったこと、導かれたこと、示されたことをゆる~~~~く書いていきたいなぁって、ここ最近思ってます。

 

そんなこんなで、5月、第一回目の投稿です

 

さて、ヨハネの黙示録を先月くらいから味わっています。

ヨハネの黙示録、わぁムズいって思う人もいるかもしれませんが、でもね、確かに難しい箇所もありますけど、でもね、全体的にはすごい書だなぁって思うんです。

 

だってね、神様の私たちに対するご計画のクライマックスが書かれてるんですからね。

また、このブログで何れ少しずつヨハネの黙示録を1節1節分かち合いたいと思います。

 

で、このヨハネの黙示録の中で、神様のご計画のゴールが書かれているんです。

このことがわかると、今の試練とかの意味もわかってきます。

 

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。

「見よ、神の幕屋が人々とともにある。

神は人々とともに住み、人々は神の民となる。

神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。

神は彼らの目から、涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。

以前のものが過ぎ去ったからである。」

ヨハネの黙示録21:3~4

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○

 

 

これ、ヨハネが見た内容なんですが、この21章は、7年間に渡る大患難時代が終わり、イエス様が再臨され、そして千年間の統治、千年王国と言われる時代が終わった後のことです。

 

大患難時代というのは、罪に満ちたこの地上への神様の裁きの時代で、世界大の戦争があり、天変地異が起こり、反キリストと言われる人がこの地を治める時代です。

この時代にクリスチャンになったら、それ自体は恵みなんですが、ただ迫害が凄くて、大変な時代です。

黙示録をみると、もの凄い人たちが殉教の死を遂げています。

 

因みに、クリスチャンはこの大患難時代を経験するのかというと、経験しません。

だって、クリスチャンはイエス様の十字架と復活によって救われ、罪赦された存在です。

そして罪は全部イエス様が負われ、十字架上で処分されたんです。

だから、クリスチャンが裁かれる必要は全くありません。

 

で、クリスチャンはというと、ある日ある時、イエス様が空中に降りて私たちクリスチャンを迎えに来てくださり、その時に生きているクリスチャンはその瞬間に空中に上げられます。

そして既に亡くなったクリスチャンたちは、その時全員復活し、栄光の体に変えられ、そして天に引き上げられます。

これは「携挙」って言われていることで、将来必ず起こります。

クリスチャンの希望は、実はここにあるんです。

 

今はぼくたちが死んだら、肉体はこの地上で滅びますね。

土葬にしても腐ってしまいますし、この日本では火葬しなければいけないので火葬なんですが、火葬だと完全に骨だけになります。

でも、霊は生き続け、天に上げられ、イエス様とその時お会いします。

そして、天で心からイエス様を賛美し、礼拝するんです。

 

で、携挙の時に、もう一度この地上に戻ってきて、肉体が与えられ、そして天に引き上げられるんです。

 

その後、残されたこの地上では、大患難時代に入ります。

でも、その中でも救われる人が多く起こされるんです。

というのは、この大患難時代の初期に多くのユダヤ人が救われ、その中から14万4000人のユダヤ人が世界中に福音を携えて伝道し、その結果、多くの異邦人が救われます。

 

そして大患難時代の中で、世界の統一国家が起こり、その王として反キリストが立てられます。

そして、彼によってクリスチャンとユダヤ人に対して大迫害がなされるんです。

 

その大患難時代の中で、ユダヤ人が滅ぼされる状態になり、その中で悔い改め、イエス様を求めます。

その求めに応じ、イエス様が王としてこの地に来られ、彼らを助けます。

 

そしてサタンと反キリスト、偽預言者たち、そして悪霊たちを隔離し、サタンと悪霊の影響が無い世界を迎えるのです。

 

でも、この千年間も罪が入り込むんです。

それは、大患難時代の中で救われた異邦人信者の間で子どもが生まれます。

その子どもが全員救われるのでは無く、子どもたちの中から罪人が出て来ます。

その罪人である者たちが千年王国の終わりに閉じ込められたサタンと組んで、再び戦争を起こそうとします。

 

でも、イエス様が天から火を降らせ、一瞬のうちにその戦争も終わります。

 

そして、サタンが永遠の火の池に投げ込まれ、イエス様を拒否した未信者の人たちもこの時に復活し、裁きを受け、同じ永遠の火の中に投げ込まれます。

 

そしてこの地上は滅びます。

そして、新しい天と新しい地が出来上がるのです。

そこは環境も最高だし、あの創世記1章でアダムが罪を犯す前の状態です。

そして、そこには栄光の体に変えられた私たちクリスチャン、ユダヤ人でイエス様を信じ受け入れているメシアニック・ジューの人たち、大患難時代の中で救われた人たちだけが住んでいます。

だからもう罪は存在しません。

病気もないし、肉体も最高の状態です。

それこそアンチエイジングなどという言葉は死語になります。

お化粧をする人もいなくなります。最高の肌で最高のはりつや、お化粧するなんて考えられません。

 

おそらくアダムとエバのように服を着ることも無く、裸で生活することでしょうね。

裸なんて。。。って思うかもしれませんが、その時はもう羞恥心もないし、性的な目で人を見ることもないです。

だって、罪は無いんですからね。

そしてお互いの肉体の美しさを味わい、神様に感謝することでしょう。

 

長く書いちゃいましたが、これが冒頭に上げたみことばの背景なんです。

「神の幕屋が人とともにある」ってありますが、この幕屋は神様の臨在そのもののことです。

つまり、神様の栄光が人と共にあり、永遠に神様の栄光の臨在、これをシャカイナ・グローリーっていうんですが、このシャカイナ・グローリーに囲まれて人は生活するようになるんです。

そして三位一体の神様が永遠に人と共にいるようになります。

 

実はね、神様のご計画はこれなんです。

新しいエルサレムで永遠にシャカイナ・グローリーに包まれて生活し、直接神様を見、交わること。

そこには何の障害も、遮るものもありません。

イエス様の御顔を、天のお父様を直接見、そして神様との甘い交わりを日々持つんです。

 

神様はこのことのために、今、私たちクリスチャンを整え、造りかえているんです。

試練があるのはそのことのためです。

 

この地上生涯で流した涙をイエス様は優しく拭ってくださいます。

そしてもはやこの時、悲しみもありません。人を傷つけることも、傷付けられることもありません。

そこにあるのは喜びと感謝だけです。

孤独だって無いです。

そして、そこで永遠に生きるのです。

 

この1ヶ月、ヨハネの黙示録を味わいながら、神様のご計画の大きさに触れ、そしてぼくたちの希望は、必ず将来この新天新地、新しいエルサレムに住むんだということです。

 

目の前を見ると問題は山積してるし、悲しみや恐れもいっぱいあります。

でも目の前のことから、天を見ると、そこに希望を見いだします。

ぼくたちの将来は完全に約束されていて、決まっています。

そのことの故にハレルヤなんです。

 

そんなことをこのところ、味わっています。

ほんと、主は素晴らしいですね


ということで、今月はもっと頻繁に更新出来たらなぁって思ってます。

とりあえずこの辺で。。。

 

じゃぁね

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